君 の 目 に 映る 世界 の 続き を 見 たい と 思っ たん だ 愛し てるよ。 “Step and Go” のソロが好き☆: 2013年9月

【 いつも+君の中に 】 【 歌詞 】共有 152筆相關歌詞

君 の 目 に 映る 世界 の 続き を 見 たい と 思っ たん だ 愛し てるよ

<注意書き> ・微量ではございますが新蘭的な要素があります。 そのため蘭ちゃんには申し訳ないことになっています。 ・カイトという黒羽快斗のコピーロボット的なオリジナルキャラがおります。 ・ルビを多用しております。 いずれも苦手な方はご注意ください。 なお、この作品はフィクションであり、書き手に工学関連の専門的な知識はありません。 もし間違っていたとしても「だいたいこんな感じのことを言いたいのだな」と脳内補完していただければ幸いです。 正確に表現すると『人間の』快斗は唯ひとり。 黒羽快斗がそれを作ったのは、怪盗キッドのためだった。 世間を騒がす『怪盗キッド』と『黒羽快斗』はイコールで結びつく。 彼は父・盗一の跡を受け継いで、その白い衣装を纏った。 それをほぼひとりでこなす彼は間違いなく天才、それも鬼才といえるほどの卓抜した頭脳を持っていた。 彼は、自らの代役として、もうひとりの自分を作り出した。 それが、レプリカの『快斗』だ。 彼は自らが作製したレプリカを、常に『快斗』と呼んだ。 そしてレプリカには己を『キッド』と呼ばせた。 あたかも、自分は『キッド』であり、すでに『快斗』ではないと断じるように。 『快斗』が以前、「自分の名前なのに呼びにくくないか」と訊ねたことがある。 そのとき彼は平然と、「慣れた」と言った。 自分だけの名前がないことに不満そうな『快斗』へ、彼は苦笑した。 「代役をする以上、なりきってもらわないと困るからな。 うっかりオレの名前に反応し損ねた、なんてことになったら、また白馬に疑われちまう」 そのいらえに、『快斗』は納得するしかなかった。 彼は『快斗』に自らの記憶を移植するときも、怪盗としてのそれだけは与えなかった。 これもまた同じ理由で、「キッドしか知らない事柄を、誰かにもらされては困るから」だった。 彼はどこまでも徹底していた。 理にかなっていたために反論できなかった『快斗』は、いつしかそう呼ばれるのにも慣れて、本当に自分が『快斗』になった気になっていた。 「どうしてオレが『快斗』なんだ? なぁ、役割を逆にしようぜ?」 『快斗』を作った理由が、別にあるとは、思いもせずに。 「オレならキッドがいれば、いくらでも直してもらえるし、さ」 レプリカは、身の程知らずにも。 「オレ、イヤだ。 キッドの身体が傷だらけになるなんて。 オレだけが無傷なんて、イヤだ」 彼と同一の存在になろうなんて、おこがましいことは願わないけれど。 人間になることも望まなかったけれど。 彼の隣で、彼の支えになることを……夢、見ていた。 黒い学生服を着た少年は、中学生と間違えそうなほど無邪気な笑顔で、子どもたちと鬼ごっこをしていた。 その制服が江古田高校のものだと知らなかったら、きっと高校生だと気づかないままだったろう。 新一は高校二年生の一時期、ひょんなことから身体が幼児化し、『江戸川コナン』という名で、二度目の小学校生活を体験していた。 そのときのことを思い出した新一は、あの頃の自分は、ああも子どもたちにまぎれて他愛無い遊びに興じることができなかったなぁ……と、妙に感慨深げに彼らを見物する。 なにせ中身が十七歳。 無駄に理性があったため、小学生らしい遊戯に夢中になれるはずもなく、また、彼らと同化することに対し、どこか抑制をかけていた。 だが、目の前の彼は、本気で彼らとの遊びに熱中している。 彼は手を抜きながらも真剣に子どもたちを追いかけ、その中のひとりを、両腕を回しこむように捕まえたと思うと、きゃーきゃー楽しげな悲鳴を上げた子どもを、ぐるぐると回し始めた。 歓声が、ひときわ大きくなる。 逃げていたはずの子どもたちが、振り回されている子どもを羨ましそうに見ながら、彼の周りへと集まってくる。 そして「次はボクにやってー」「ずるーい、次はあたしだよ~」と、口々にせがむ。 少年は楽しそうに子どもたちをなだめて、順番に構ってやっていた。 そんな、キラキラと光がはじけるような笑顔と笑い声にあふれる風景。 事件は、深夜になってようやく解決した。 とはいえ、それは新一がいたからこその成果だった。 新一がいなければ、解決まであと数日はかかったことだろう。 人の良い刑事は新一に「車で送っていこうか」と申し出てくれたが、彼は高校生でもある新一と違って、連日その事件を調査していた。 それを知っていた新一は、さすがに気が咎めたので、その有り難い言葉を断り、ひとり家路を辿る。 夜風に少し当たりたいからという言い訳を使ったが、秋の夜はコートを着ていても少々肌寒い。 ブルリと身を震わせて、冷たい空気が入らないよう襟をかきよせる。 新一があくびをかみ殺しながら、公園の近くを通りかかったとき、視界の端に、キイキイと錆びついた音を立てながら揺れる影が映った。 薄暗いブランコを照らす、オレンジがかった街灯に、長い影が行ったり来たり。 それは昼すぎにも見かけた、あの少年だった。 黒い、学生服。 俯き加減で、表情も昼間と違って途方に暮れた迷子のような感じだったが、間違いない。 新一の危惧を裏付けるかのように、彼は小さくくしゃみをした。 「おい。 こんな時間に何してるんだ?」 呼びかけに、ゆるやかに首をめぐらせた彼は、新一の姿を目に留めて、驚いたようにまばたきした。 「何って……。 特に、何も」 少年は長い間言葉を発していなかったせいか、一瞬だけ喉が絡んだように声を詰まらせた。 「じゃあ質問を変えよう。 なんでここにいるんだ? 家に帰らないと、そのうち補導されるんじゃないか」 新一は話しながら彼との距離を縮める。 少年はぷいと顔を背けて、どうだっていいだろ、と小さく呟いた。 「まあ、そうなんだけどさ。 昼間は楽しそうだったのに、どうして今はしょぼくれてんのかが気になってな」 「見てたのか。 でも、昼間も今も事情は変わんねーぜ? ただ単に、親とケンカして、家出してきただけ」 不貞腐れながら、渋々、口を開く。 「家出って……」 いまどき、しかも高校生にもなって、家出するやつなんているのだろうか。 なにせ新一は、一人暮らし暦が長かった。 「オメー、金は持っているのか? こんなところにいたら風邪ひいちまうぜ」 反応を待っても、沈黙しか返ってこない。 この寒さのせいか、少年の頬や鼻の頭、耳たぶが、うっすら赤くなっているのが見て取れた。 「もしも行くアテがないなら、うちに来いよ。 オレは一人暮らしだし、部屋も余ってるからさ」 気がつけば、初対面なのにそんなことを言い出していた。 不審に思われても仕方がないのだが、新一はどうしても、彼の笑顔をもっと間近で見たいと強く思った。 彼が隣で笑ってくれる。 きっとそれだけで、あたたかくて、幸せな気持ちになれると確信に近いものを抱いた。 「……」 それに対する返答は、沈黙。 家出人にしてみれば、おいしすぎる提案だった。 少年は訝しげに眉根を寄せながらも、迷っているのか、視線を彷徨わせる。 「なあ、そうしろよ。 対価が気になるなら、そうだな……家事をやってくれよ。 そしたら、すげえ助かるし」 逡巡しているのを察知して、畳み掛けるように提案した。 あと、もう一押し。 「掃除でも洗濯でも料理でも、やることはいっぱいある。 それを滞在費にすれば、お互い気を遣うこともないだろ。 ……なあ、気が向いたらいつでも帰っていいからさ、自宅へ帰る気になるまで、うちに来いよ」 自分でもどこかおかしいと思うほど熱心に勧誘する。 この気持ちがどこから来るのか、新一自身にもよくわかっていなかった。 だが、そんな新一の熱意が通じたのか、少年の黒い瞳が、おずおずと新一を見返す。 「じゃあ……お世話に、なろうかな」 「よっしゃ! オレは工藤新一。 オメーは?」 「……カイト」 ガッツポーズをとった新一に返されたのは、下の名前だけ。 苗字を言えば自宅に帰されるか、警察に届けられると警戒しているのだろうか。 だが、探偵にあるまじきことかもしれないが、新一は彼が傍にいてくれるなら、素性は知らないままでいいとさえ思った。 「カイト、か。 なんかオメーにピッタリの名前だな。 それを逃さぬように捕まえると、力強く握った。 カイトが掃除をすれば、ハウスクリーニングが入ったのかと思うほど、どこもかしこもキレイになっていた。 照明の埃を取り払ったおかげで、部屋も明るくなった。 洗濯をしたら、タオル類はふわふわ。 シャツはきちんとプレスされ、しみがついていた衣服も、まるで新品のような仕上がり。 しかもほつれた衣服も、元の縫い目と見紛うほどの腕前で直されていた。 料理はどこぞのシェフ並。 和・洋・中と完璧だ。 そうかと思うと、素朴な家庭料理も作れたりして、幅が広い。 カイトが来て、まだたったの二日目にして、新一は感嘆の嵐だった。 現在も、ダイニングテーブルには、栄養バランスまで計算された食事が並んでいる。 今夜は和食だった。 「カイト、すげーな。 もしかして、なんでもできんじゃねぇ?」 新一は肉じゃがに舌鼓を打ちながら、向かいに座るカイトへ尊敬のまなざしを向けた。 それに、カイトが苦笑する。 カイトが何でもできるのは、オリジナルがそうだからだ。 しかも彼は、機械であるはずのカイトが、模倣するのも難しいほどの、天賦の才の持ち主だ。 彼は鬼才であることは隠しても、天才であるということは隠さなかった。 だから、この程度のことは、探偵という存在の前でも、おおっぴらに披露できる。 カイトはあくまでも、『快斗』を『なぞる』だけの存在でしかない。 新一が買ってきてくれた食材の中に天敵がいて、絶叫した記憶も新しいカイトは、それとなく目を逸らした。 その話題からオゾマシイものの姿かたちを思い出してしまいそうだからだ。 カイトの嗜好は、オリジナルと変わらない。 以前、なにもこんなところまで一緒にしなくてもいいのではと抗議したことがあるが、その辺りはオリジナルの記憶をそのままインプットした結果なので、製作者自身にも、どうにもできなかったらしい。 よって、カイトもその名前を聞いただけで体が竦んでしまう。 「オレは確かになんでもできるけど、結構『器用貧乏』なんだ。 それなりにできるってだけ。 もっとも、その基準が高いせいか、いつも友達に『うっそだ~』とか言われちまうんだよな」 「ああ、それはオレもだから、なんとなくわかる。 アマチュアでは高レベルまで行けるけど、その先……プロへ行くには何かが足りない、ってやつだろ。 オメーの場合はプロになれるが、超一流まではいかないといったところか」 「そうそう! 新一、話がわかる!」 理解を得られて手を叩いて喜ぶカイトに、新一は目元を和らげる。 「オレも、って言っただろ。 もっともオレの場合は家事じゃなくて勉強でだけどよ。 どの教科もそれなりにいい成績なんだが、実は知識そのものは広くて浅いんだよ」 「なるほどね。 たとえテストで満点が取れても、それだけじゃ足りないと思っているわけだ。 高校で習っているのは、ぶっちゃけ基礎の基礎だし?」 「そう。 オレが知りたいのはもっと踏み込んだことなんだけど、高校じゃやらねーし、独学だとどうしても偏っていくんだよ」 夕飯を口へ運びながら、新一も目を輝かせた。 同じような価値基準を持っている相手との会話が、楽しいのだろう。 カイトの口から出る言葉は、すべてオリジナルの記憶の分析結果にすぎないのだが。 「オレは探偵だから、ムラなく学んでいこうとは思っているんだ。 でも、まだ足りない。 オールマイティなんて無茶なことは言わないし、専門的なものは専門家に任せりゃいい。 だけど、基礎がしっかりしてないと、それがどの専門なのかとか、わかんねーだろ。 常にいろんな分野にアンテナを立てて、情報収集しないとな」 貪欲なまでに、高みを目指す。 そんな新一の姿に、カイトは目を細めるように笑った。 これが、『キッド』が唯一認めた『名探偵』なのかと思った。 キッドに関わる記憶がないために、ふたりの間に何があったのかは知らないけれど、キッドが新聞やテレビを見ながら、彼について話してくれたことがあった。 白馬などは遠慮呵責なく『ヘボ』と称する彼が、工藤新一を『名探偵』と呼んだ。 いろいろと『普通』の基準から外れるものの、キッドを知るカイトにとっては、それでも『普通』の範疇に入りそうな探偵。 この相手のどこが、彼をして『名』探偵とまで言わしめるのか、知りたくなった。 「それにしても、このゆでたカボチャにピリ辛のそぼろの組み合わせがなかなかイケルな。 オレ、カボチャなんていつも一切れしか食えねぇのに」 「だろ~! カボチャだけで食べると甘くてすぐ飽きちまうんだけど、これと一緒だと二個三個って食べれちまうんだよな」 他愛ない会話を続けながらもカイトは瞳の奥に油断ない光を秘め、新一の一挙手一投足を観察する。 どういう気まぐれなのか、カイトをテリトリーに入れた探偵。 カイトはキッドの不利になるようなことはしたくないが、興味がわいた。 本物の『黒羽快斗』なら、その申し出を断らないと判断して、彼の手を取った。 だからこそ今の状況は、その一点においては、裏切りだったかもしれない。 でも『快斗』を模倣するからこそ、拒みきれない。 彼は、カイトに「人間になる必要はない。 『黒羽快斗』になりすませるようになれ」と告げた。 無理して人間になろうとすれば、プログラムが破綻し、ジレンマという無限ループに陥るからだろうか。 或いは、彼は自分自身を人間だと思っていなかったのだろうか。 「なりすませるようになれ」という言葉には、「『黒羽快斗』にもなるな」という意味も含まれる。 だけどカイトは、少しでもオリジナルに近づきたい。 それならば、しばらくはここで『自分』を作るのも悪くない、と。 オリジナルのように、密かに唇の端を吊り上げた。 あまつさえ、彼を屋敷に住まわせているのだという。 あの、縄張り意識が強くて、自分の邪魔をされるのが大嫌いな『オレサマ』が、である。 興味を抱くなというのは無理だろう。 その男の子は、初対面の際、工藤新一がふたりいるのかと思ったくらい隣人にそっくりで、でも、朗らかに微笑んだ表情はまったくの別人だった。 まぶしさを感じるほど、一転の曇りもない笑顔。 それでいて、どこか包み込むように暖かい。 その笑顔が、そのまなざしが、その人物の内面を如実にあらわしていた。 見ているだけで、心の中にじわりと安堵に似たものが広がる。 そして、納得した。 何故、彼が、彼を求めたのか。 こんな人が近くにいたら、一緒にいるだけで幸せになれそうだと思った。 カイトが工藤新一宅に居候し始めて三日目。 インターフォンに呼び出され、玄関の扉を開けた灰原哀は、その優秀な思考回路の停止を余儀なくされた。 「やっほー、哀ちゃん。 パンプキンパイを作ったからおすそ分けに来たよ」 『明るい』を通り越して能天気なその声は、隣家に身を寄せるカイト少年のもの。 だがその姿は、どこから見ても『少女』だった。 カイトは胸元まで届くセミロングのウィッグをつけて、おそらく新一の母親のお古だと思われる白いドレスシャツに、淡い水色のフレアのロングスカートを着ていた。 ほぼノーメイクに見えるが、唇に艶やかな光沢があったので、リップクリームかグロスを塗っているようだ。 片手で戸を開けた姿勢で固まっている哀に、カイトは小首をかしげた。 その拍子に黒髪がさらりと肩から背へ流れ落ちた。 「……変、だった? このカッコ」 「あなた、女の子だったの?」 常日頃は冷静沈着な科学者だが、声が震えないようにするのが精一杯だった。 「いえいえ、ちゃんと男ですよー。 ただ、知り合いに見つかったら、いろいろ質問されたりして面倒そうだから。 オレ、家出人だし」 「ああ、そうなの……。 大丈夫、似合ってるわ」 いっそ似合いすぎて恐怖を抱くほどに。 哀はカイトを家に招き入れると、自らの想像を振り切るように軽く頭を振った。 カイトが『相当変わっている』ことを新一から聞いていたが、実際に目の当たりにしてみると、『常軌を逸しているくらい変』だった。 親とケンカして家出してきたというカイトは、初日、工藤邸へ到着するなり電話を借りて、「しばらく家に帰らないから」と母親に連絡したらしい。 しかも彼は工藤邸の電話番号を新一に訊ね、それも伝えたというのだ。 ケンカしたのは母親とじゃないからいい、というのがカイトの言い分らしいが、新一は後日、 「家出しておきながら家に連絡するヤツがいるなんて思わなかった……」 と、しみじみ述懐していた。 新一の定期健診をしながら、カイトについてあれこれ訊いていた哀は、 「一般的にはしないでしょうけど、今回はケンカしたと思われる父親に、行き先が伝わらなければいいってことでしょう? きっと、母親に心配かけたくなかったのね。 ……どこかの誰かさんと違って、親思いのいい子じゃない」 などと、あてこすりつきでコメントしておいた。 その後も新一は、カイトがどれだけ家事が完璧で、だけど大の魚恐怖症であり、目を潤ませて今にも泣きそうなところが可愛い、大の甘党でケーキをひとりでワンホール平らげたらご機嫌になったなどなど、のろけのようなものを延々と話していたので、三日目にして予備知識だけは豊富な哀だった。 「はい、どうぞ」 「おお、サンキュ! 哀ちゃんはどれくらい食べる? 半分? あ、まだちっちゃいから四分の一くらいがいいかな」 哀からナイフも手渡されたカイトは、嬉しそうにナイフをパイにあててスタンバイしている。 「普通はそんなに食べないわよ。 いつもなら十二分の一くらいだけど、今日は八分の一ほどいただこうかしら」 「哀ちゃん、少食だな。 オレの幼なじみはオレと同じくらい食べるんだけどな」 「……つかぬことを訊くけど、その幼なじみって男の子?」 「いや、女だけど?」 「そう……。 類は友を呼ぶっていうしね……」 最後はぼそっと呟いた哀の視線は右下斜め四十五度ほどに落ちていた。 変人の近くには変人が集まるようだ。 その変人の中に、哀自身はカウントされてないが、隣家の名探偵が彼女の感想を知ったらまず間違いなく、哀もその仲間に入れてくれることだろう。 「ああ、その言葉、よく言われるよ。 オレにはよくわかんないけど」 声は小さかったはずだが、しっかり聞こえていたらしい。 のんびりほえほえとカイトが笑う。 その間に、しっかりと哀の分を皿にとりわけ、彼自身はホールの半分をフォークでつついていた。 「なんつーか、誰ひとりとして同じ人間がいないんだから、全員個性的って思うのは当たり前だろ」 「確かにそうかもしれないわ……」 「そうそう。 ただまあ、一般的な『普通』って言葉に当てはめようとしたら、周りの奴らはほとんど当てはまらないかも」 『普通』というのは、非常に曖昧な統計。 人によってかなり基準が異なるものだ。 それでも、どんなものが一般的に『普通』と呼ばれるのか、カイトは客観性があるらしい。 「……そう。 じゃあ、あなたの目に私はどう映っているのかしら?」 哀は初対面の際に驚きで自失してしまい、子どもらしさを取り繕うことができなかったので、カイトの前で、猫をかぶるのをやめてしまった。 子どもらしくない子ども。 同年代の子たちと比べたら、自分は奇妙なほど冷静で大人びていると感じられることだろう。 だが、カイトの答えは哀の予想に反した。 「うーん、ちょっとオレの小さいときと似てる、かなあ。 いやいや、それだと哀ちゃんに悪い気も……」 しりすぼみになっていく声に、耳を疑った。 「いや、オレなんかを哀ちゃんと重ねたら哀ちゃんに失礼だよ。 実は無駄に頭がよかったせいで、いろいろ……ね。 ハスに構えていたというか周りをバカにしていたというか、ぶっちゃけ両親以外はほとんど内心見下してたな」 哀はあまり表情こそ変わらないものの、いぶかしげにカイトを見やる。 語られた内容が今のカイトと結びつかない。 昔のオレは『人』を知らないおバカさんだったってだけ。 勉強できるヤツが、勉強ができないからってだけで人をバカにしちまうような、そんな感じ」 「想像つかないわね」 哀は軽くかぶりを振って、吐息にのせるように言った。 「うん、そのほうがいいな、オレとしても。 今は違うんだしさ。 ……哀ちゃんはすごくやさしくて、面倒見がいいよな。 お姉さんがいたらこんな感じなのかな~」 紅茶で喉を潤していた哀が思わず手を止めた。 「……お姉さん?」 「そう、お姉さん。 「あらあら、それじゃあずいぶん大きな弟ができちゃうのね」 温かい紅茶を口にしているはずなのに、胃の腑の辺りに冷たいものを感じながら、哀はことさら明るさを装った。 「あはは。 これからもよろしく、哀お姉ちゃん」 カイトなる人物はとにかく『普通』の枠に当てはまらない。 たとえ何があっても『それがカイトならば在り得るかも』と思ってしまう。 そんな意識を、着々と刷り込まれていった。 ほんの些細な誤差に、右手から左手へよどみなく流れ落ちていたカードが、統制を失ってばらばらと床に落ちる。 無残な結果を見下ろして、ふ、と漏れる溜息。 与えられた客室で、月によって憂いに満ちた横顔が照らされた。 カーテンも引かず明かりもつけずに、月と闇を供にしての鍛錬。 こんな技量では到底、『彼』に追いつけない。 かの人は、自身との差異を極力なくすため、機械であるにも関わらず、触覚や味覚、痛覚などのもろもろの感覚をカイトに与えた。 さらに食事や排泄などの、人の生命維持活動に必要な機能に加え、涙や表面上の体温の変化なども、こまごまと付け加えたのだ。 カイトの動力源は電気エネルギーだが、日常を送る程度なら摂取した食料を燃料に変換するだけで充分だ。 それで体温も一定に保てる。 水分は冷却装置のために、定期的に入れ替えねばならないが、なにも涙や排泄という形で排出しなくてもよかった。 ……とはいえ、性的な機能は製作者本人が居たたまれなかったようで、皆無である。 それを除けば、オリジナルは自分の分身を、人間に見えるよう、精巧に作り上げたといっていい。 それなのに、何故か、マジックだけは上手くいかなかった。 いくら忠実に再現されていても、奇術だけはうまくできない。 記憶の中にある動きを、実際に表現しきれない。 論理だけで言えば、素早さもミリ単位のブレもない動きも、機械であるカイトのほうができるはずだ。 実際、可能だ。 なのに、マジックでだけは、それができない。 「これじゃ……ダメなのに」 奇術ができないと、『キッド』になれないのに。 落としたカードをぼんやりと見つめながらひとりごち、すとん、と落下するように床へ座り込む。 「このままじゃ……」 煌々と浮かび上がるましろな月。 真っ直ぐに降りてくる光を追うように、天を見上げる。 今日、テレビの生中継を見て、初めて予告状が出されていたことを知った。 予告が出されたのは三日前だったらしい。 それは、カイトが家出した日だった。 夕飯時、いきなり食事することを放り出して、テレビにかじりついたカイトに新一は驚いていた。 いろいろ訊かれたけれども余裕がなかったので、『快斗』のように「キッドのファン」だと言って、ほとんど新一のことを無視してしまった。 ……だけど、ただのファンにしては『心配』が前面に出ていやしなかっただろうか? もしかしたら、カイトとキッドとの間にある繋がりを、気取られてしまったかもしれない。 しかし、カイトには新一がどう思ったのかがわからない。 あのときは完全に、新一のことが頭の中からすっぽ抜けていた。 相手は、キッドが唯一認める『名探偵』だというのに、その目の前で、カイトはただひたすら、画面にキッドを探していたのだ。 カイトが何か知っているのだと、新一が動いてしまったら、どうしよう……? そんな不安に、今更ながら苛まれた。 「ごめん……」 カイトは今ここにいない彼を重ねて、月に謝罪する。 そのことが、彼の不利に働かなければいいと、切に願う。 しばし、眩しい月の光を見つめていたカイトは、迷うようにハンガーにつるした学生服へと視線を移した。 逡巡は、わずか二秒。 立ち上がった彼はポケットに入れていた携帯電話を取り出す。 充電器がなかったので、電池が切れていてもおかしくなかったが、まだ残っていたらしい。 ほっと息をついて、一度しか使えない番号をプッシュする。 コール音が二回ほど響いて、ほどなく、落ち着いた声が受話器の向こうから聞こえた。 「お久しぶりです。 お元気でしたか」 カイトを案じる、老紳士の声。 どこにいるのか知らないが、雑音が聞こえないところを見ると、どこか建物の中なのだろう。 「オレだけど……。 「ええ、ご安心ください。 本日はつつがなく終了しました」 「よかった……」 その言葉を聞いて、全身から力が抜けた。 「事情はうかがっております。 何かあればサポートいたしますので、そのときは『いつもの番号』へご連絡ください」 「サンキュ。 助かるよ。 あの方の無茶に比べれば、まだまだですよ。 それに、ぼっちゃまのお怒りはごもっとも。 寺井もぼっちゃまの意見に賛成です。 ですから、思う存分、あの方を困らせてあげてください」 茶目っ気のこもった声色に、カイトは破顔した。 「そっか! 困ってたんだ。 よかった……」 くつくつと肩を震わせて笑いながら、泣きそうに顔を歪ませる。 家出してよかった、と。 自分は間違っていないのだと、自信を持てた。 「気が済むまで、そちらに滞在されて結構です。 状態はこちらでモニタリングされていますし……何かあればすぐに駆けつけます」 「やっぱり知ってたんだな」 「ええ……すみません」 「いいって。 それが当然なんだし。 あ、そろそろ電池がヤバイみたいだ。 じゃあ……おやすみ。 ありがと」 「はい、おやすみなさいませ。 ……よい夢を」 本当の祖父のように感じられる言葉に、体のどこかが温まるような、そんな気がした。 手早く履歴を消すと、携帯電話の電源を落とした。 そして、ベッドへ飛び込むように突進した。 あたたかくてやわらかい、さらりとした感触が頬や手に伝わる。 製作者の彼はどこまでも天才で、こんなところまで再現してくれるから、自身との『違い』が、認めがたく、たまらなく辛い。 目を閉ざすと浮かぶのは、白い衣装。 それはどれも、メディアを通して垣間見たもの。 与えられなかったデータのせいで、近年の記憶は虫食い状態だった。 彼がキッドとして行動、発言していたと思われる箇所には、ぽっかりと穴があいている。 椅子の背もたれに体重を預けると、おとがいに手を当てて、思考にふける。 この違法行為が信頼を裏切るものとわかっていたが、どうしても気になってカイトの部屋に盗聴器を仕掛けた。 もとより、倫理観は大雑把だった。 罪悪感はあっても必要とあらばそれを実行できる。 否、謎を追い求めている間は、罪悪感すら抱かないのが探偵・工藤新一の常だ。 そして今、棚上げしていた罪の意識が押し寄せてきて、正直なところ新一は迷っていた。 聞こえたのは、カードを切るような音と、それを取り落とす音。 最初は本のページでもぱらぱらめくっているのかと思ったが、落としたときの音が軽かったのでカードのようなものだろうと見当をつけた。 そして、彼の嘆き……。 しばらくして、誰かと電話していたというのも、なんとなくわかったが、電話に盗聴器をつけたわけではないので、誰と話していたのかは不明である。 電話番号も、打ったときに電子音がしなかったので、探ることができない。 新一は、自覚こそないが絶対音感を持っているので、音さえすれば何番にかけたのかわかったのに。 快斗の言葉から、親しい誰かにケンカ相手の動向を訊ねているというのはわかった。 しかし、新一が一番気がかりで、問題としているのは、そのケンカ相手だ。 通常であれば、彼の「親とケンカした」という家出の理由をそのまま信じることができた。 だが、いかんせん、タイミングが悪かった。 何気なくつけたテレビの特番で、白い怪盗の犯行が生中継されていた。 カイトはそれを目にした途端、小さく息を飲んで、その藍色の瞳がこぼれおちんばかりに見開いた。 次いで彼は、持っていた食器をいささか乱暴な手つきで置くと、テレビの前へ飛んでいった。 食い入るような目つきで画面の前を陣取る。 ただならぬ、その表情。 いつも穏やかで、正の感情しか見せない少年の豹変に、新一は心の底から驚いた。 「……カイト、どうした?」 カイトは、新一の声が聞こえていないようだった。 画面の中では、怪盗の予告状の解説をしている。 怪盗の予告がマスコミにもれているのは、受取人である美術館の館長が公表したからのようだ。 暗号はすでに警視庁で解かれており、予告まであと数分らしい。 「おい、カイト……」 「ごめん、あとにして!」 再度声をかけたら、振り向きもされずに怒鳴られてしまった。 予告時間までの、カウントダウンが始まる。 犯罪者のくせに人気のある怪盗はファンが多く、プラカードを持った野次馬たちが美術館の前でキッドの名をコールしている。 月下の魔術師、平成のルパン、数多くの呼び名を持つ白き衣の大怪盗、その予告時間まで、あと十、九、八、七…… 新一の視界の片隅で、カイトが拳をさらにきつくにぎりしめた。 だが、何も起きることなく予告からさらに数秒が経過する。 二、三、四、五、六、七…… 実況中継をするはずのリポーターは、しかし、一言も声を発することなく、カメラも静けさに覆われた美術館の周辺を映し出す。 カイトも息を殺して、真剣なまなざしを画面からはずさない。 そんな彼の緊張につられたのか、新一もまたかたずをのんで画面に魅入る。 独特の清涼な空気と共に、鮮やかに、美術館の屋上へと広がった。 遠すぎて聞こえるはずのない、白いマントの翻る音が、聞こえた気がした。 瞬間、観客たちの声でビリビリとスピーカーが揺れた。 驚きに彼の横顔を見ると、ほっと表情を緩ませている。 「Ladies and Gentlemen!! 今宵は私のショウへご足労いただき、誠にありがとうございます」 声援に負けない、よく通る声で、大胆不敵な怪盗はマントをさばいて優雅に腰を折る。 だが新一は、目をキラキラさせて怪盗を見ているカイトから、目が離せなかった。 月を背に負った、白くて綺麗な怪盗を飾るに相応しい、蒼く美しい宝石だった。 野次馬たちはその光景に、ほぅ、と感嘆の息をつく。 その夢想を壊すように、怒号が響いた。 「待てえええええっっっ、キッドッ!! 」 この声は中森警部だな、と、新一は苦笑する。 姿は見えないが、彼は屋上の、キッドの背後にいるのだろう。 肩越しに後ろを少し振り向いた怪盗は、しかし余裕綽綽な態度で再び観客に向き合う。 「応援してくださった皆様に、この怪盗からささやかなお礼を」 光り輝く石はいつの間にか消えて、彼の周辺を花びらのようなものが舞っている。 どこからともなく現れ、風も無視した動きをするそれは、見る見るうちに増えていく。 「総員、キッドを確保だ!! 花となって消えた怪盗に、夢のような世界に浸っている観客たち。 しかしカイトは、キッドが消えたあたりを、どこか不安そうに見つめていた。 「なあ、カイト」 新一の声に、カイトは体を震わせた。 「……っ、ビックリした。 何?」 胸を押さえながら、きょとんと見上げてくる無邪気な瞳に、新一は口ごもる。 「あの、さ……食事……」 「あ! ごめんごめん、今から食べる。 オレ、キッドのファンだからさ~。 今日、予告日だって知らなくて、焦っちまったぜ」 装ったような明るさで、カイトは新一から目を逸らしてテーブルに戻った。 ……だが、そのときから新一の疑念は晴れない。 あれは、ファンの反応ではなかった。 カイトの様子は、そのはしばしから、キッドを心配するものに感じられた。 コナンの姿であったときに、怪盗が何者かに狙撃されているのを、目撃していた。 ただのファンはそんなことは知らないし、怪盗によって夢だけを見せられている。 怪盗を心配するカイトは、そんな怪盗の裏事情を知るほど親しいのだろうか。 それともコナンのように、たまたまその現場に遭遇したことでもあるのだろうか。 どちらにせよ、ただのファンではありえない、なんらかの繋がりがありそうだと、新一は結論付けた。 ふわああああ、と。 目に涙をにじませながら、大あくびをした新一は口を手のひらでおおった。 昨日は結局、あまり眠れなかった。 イヤホンを引っこ抜いて、すぐにベッドへ横になったのだが、つらつらと推理を並べ立てる脳は活動を続けてしまい、眠りを遠ざけた。 ようやく眠りの波が訪れたのは朝方で、しかし出席日数が常にピンチな探偵は学校を遅刻することも休むこともできなかった。 それでも、二時間目の途中で目暮警部から電話がかかってきて、事件現場に呼び出されてしまったのだが。 今は、警視庁での事情聴取を終え、それに立ちあった新一も帰路につくところである。 事件の最中は忘れていたが、新一の頭の中は再びカイトに占められていた。 脳裏に浮かぶ、テレビに釘付けのカイトの姿に、もやもやとした不快感が胸を支配する。 これは、一晩考え、否定し続けたものの、嫉妬でしかなかった。 怪盗に嫉妬なんて、懐かしい。 コナンであった頃は、本来自分が持っているはずのものをたくさん持っている怪盗に幾度となく抱いたものだ。 悠々と、気ままに生きているような姿にも、どんな危機も自らの能力で乗り越えていくところにも。 元の姿を取り戻してからも、怪盗にヤキモチを焼くなんて、思いもしなかった。 カイトと怪盗の繋がりを知りたい。 だが、カイトに直接質問はできないし、苗字も聞かなかったから素性を調べることもできない。 ……いや、やろうと思えばいくらでもできる。 顔を知っている。 学校だってわかる。 苗字はわからないが、名前だって知っているのだ。 カイトの学校へ行けば、すぐに判明してしまうだろう。 だけどあえてそれはしない自分に、新一は戸惑った。 失うことを、恐れているからだろうか……。 最初に、カイトを家へ誘ったときにも、素性はわからなくていいとさえ思った。 そんなことをぼんやりと考えながら、勝手知ったる警視庁の内部を歩いていると、意外な人から声をかけられた。 「工藤君!」 振り向き、新一は微かに瞠目した。 口元にひげを生やした男性は、探偵を毛嫌いしているはずの、二課の刑事。 「……中森警部?」 「工藤君、……まぁ、その……なんだ……」 声をかけた中森は渋面を作りながら、目を逸らしがちにしている。 普段、子どもが捜査に加わるのはけしからん、と鼻息を荒くしているだけに、どういう態度をとっていいのか、わからないのかもしれない。 気を取り直すためか、中森が咳払いをした。 「あー……快斗君が君のところで世話になっとるそうだな。 どうだ、元気にしとるかね」 その言葉に、新一は面食らった。 そして、新一が今まで目にしたことのないような、やわらかな顔で笑った。 「ああ、快斗君から聞いてなかったか? 彼はうちの近所に住んどるんだよ。 「そうなんですか……」 思わぬところからカイトの名前が出て、新一はまだ呆然としていた。 情報がうまく脳に伝達されない。 まばたきを数度繰り返す間に、なんとか平静を取り戻す。 中森は、カイトの母親が彼の所在を教えるほど、親しいらしい。 新一は思い切って、気になっていることのひとつを中森に訊ねた。 「……そういえば、カイトは父親とケンカしたと言ってましたが、警部はケンカの原因をご存知ですか?」 「は? 何を言っているんだ、快斗君の父親は九年前に亡くなっとるだろう?」 カイトは『親』とは言ったが『父親』とは口にしてない。 「知らなかったのかね? 快斗君の父親は、黒羽盗一という、世界的にも有名なマジシャンだったんだが……」 「くろば……って、もしかして、『東洋の魔術師』……?」 オウムのように言い返した。 常ではありえないほど、頭の動きが鈍かった。 それでも、有名なマジシャンの異名が、自動的に口からとび出てきた。 「そうだ。 よく知っとるな。 快斗君も盗一君のようなマジシャンを目指してるが……ワシは快斗君の母親から、家出の原因はスランプと聞いていたんだが、違うのかね?」 怪訝そうな中森に、返事もできず。 東の名探偵、日本警察の救世主、平成のホームズと謳われる工藤新一は、らしくもなく、その思考を完全に停止させてしまった。 シルクハットで顔を覆っていたが、彼は心配性の老人がどんな表情をしているのかわかった。 キッドが作製し、丹精込めて育ててきた『快斗』が、米花町の幽霊屋敷、もとい、工藤邸の居候になっている。 キッドが唯一、『名』をつけて呼ぶ探偵。 彼の倫理観は独特で、魔女をして悪魔のように狡猾と言わしめたほど腹黒い。 そんな探偵を相手にして、『快斗』がキッドとの繋がりを隠し通せるとは思えない。 彼がロボットだと悟られてしまったら、一巻の終わりだ。 あの探偵を騙しきるような技術力を持った人間は限られている。 キッドとて、幾度も変装を見破られているのだ。 ブルーワンダーのときも、使い捨てとはいえ自動人形使っちまったしなぁ……。 あれは『快斗』と違って感情プログラムも、『快斗』の記憶も持っていない、足を動かすだけの人形だったが、キッドがそういうものを作れるのだと、連想するには充分な材料だった。 そもそも、あちらの『快斗』がロボットだと露見したあとで、『黒羽快斗』が実在していることが知れれば、疑う要素満載である。 不審極まりない。 いつもキッドに対して素直で、ひたむきにキッドの役に立とうと頑張る『快斗』は可愛かった。 ある意味で自分の分身なのだが、そうとは思えないほど純真で、キッドの癒しとなっていた。 キッドは弟がいたらこんな感じなのかな、と、江戸川コナンを相手にしても抱かなかった感想を持ったほどだ。 ちなみに、小学一年生のナリをしていたときの工藤新一は、キッドにとってひたすら凶悪だったので、可愛いとは思えなかった。 むしろぶりっこされたら怖かった覚えがある。 そんな手中の珠を、天敵の探偵に掻っ攫われてしまった。 初めてやらかしてしまった大喧嘩だけでもヘコんでいるのに、これは追い討ちだった。 謝ろうにも迎えに行こうにも、すねに傷を持つ身なので、キッドはうかつに動けない。 探偵に背後を探られては大いに困るのである。 だいたい、そのようなことになってしまったら、なんのために『快斗』を作ったのかわからない。 『黒羽快斗』がふたりいると知られてしまうことも、また同じ。 キッドの無反応さに、説得を諦めたらしい初老の紳士は、狸寝入りを続ける主にコーヒーを淹れてくれたらしい。 腹筋だけで半身を起こしたキッドは、差し出されたカップを、小さな礼と共に受け取る。 薄めにいれられた、茶色がかった黒い液体に、ゆらゆらと無表情な己の顔が映っていた。 こんな、観客がいないときでもポーカーフェイスができている自分に心の中で苦笑した。 湯気をたてる液体を吹き冷ましながら一口すすれば、ほのかな甘みと、次いで苦味が広がる。 あたたかなものに、体の中がほぐれていく気がした。 何も知らなかったころの、無邪気な子ども。 そして、好敵手となりうるほどの思考能力を持ち、光の中を歩み続ける同年代の人間。 どちらも、キッドが既になくしたものを持っている者たちだった。 ただただ、その幸を祈るように、瞑目する。 計らずも、手を離すときが来たようだ。 しかも本人はこちらの心境などつゆ知らず、無傷のまま飄々と手を振ってくださった。 いちいち驚くのもバカらしくなった哀は溜息をついた。 「……あなた、サルみたいね」 慣れたくなんてなかったが順応させられてしまったことに、皮肉げに歪む口元。 「うわ、ヒドッ! これくらい新一もできるだろ。 二階から地上までの差なんて、オレの身長にプラス一メートルくらい。 ここん家はデカイからそれよりありそうだけど、そんなもんだぜ」 カイトは気にした風もなく、あっけらかんと言ってのける。 「確かに、運動神経のいい人はケガすらしないでしょうけど、普通はしないわよ。 見ていてハラハラするわ」 「あー……そっか、ごめんな? 心配をかけるつもりはなかったんだけど、普段オレが三階から飛び降りても、誰も気にしないから、すっかり忘れてたぜ」 いつものごとく、さらりと爆弾を投下したオコサマは、申し訳なさそうに肩を竦めた。 少年はそのまま助走もつけずにひらりと門を飛び越え、阿笠邸の敷地へ降り立った。 彼のお陰で哀の中にある『常識』の二文字の存在は、風前の灯だった。 哀が研究の合間に、気分転換として焼いたクッキーを、カイトは満面の笑みを浮かべながら、非常においしそうに平らげていく。 その天真爛漫な表情は三日前となんら変わりないのに、それを見つめる少女の眼差しが憂いに翳る。 昨夜、警視庁から戻ってきた新一が自宅へ直行せずに、哀の下へやってきた。 「……カイトの素性がわかった」 お茶を出そうとする哀の背に、単刀直入に切り出した辺りは、彼らしかった。 哀はキッチンでお茶をいれただけでなく、おそらく夕食も満足に取ってないであろう新一のために、鍋焼きうどんも作ってきた。 戻ってきたとき、彼はむっつり唇を引き結び、気難しい顔をして考え込んでいた。 新一が何か口を開く前に、哀は彼に食事をすすめた。 哀に頭の上がらない新一は、大人しくうどんをすする。 阿笠博士はもう遅い時間帯なので、一足先に就寝しているせいか、家の中はどこかひんやりとした空気が漂っていた。 博士の穏やかさに、普段どれほど救われているのか、こういうときにくっきりと浮かび上がってくる。 「それで、何があったのかしら? 素性がわかっただけではないんでしょう」 食べ終えた頃合を見計らって、口火を切る。 哀に促され、新一は警視庁で中森警部に会ったこと、カイトが彼の隣人であることを、ぽつりぽつりと話し出した。 父親は九年前に他界しているらしい。 警部はカイトの家出の理由を、『マジックのスランプ中で、そこから脱するまで誰にもマジックを見せたくないから』だと聞いているようだ」 ただならぬ深刻さは消えないが、哀はその理由がわかって、少しだけ安堵した。 「それであなたは、彼がウソをついたと思ったわけね」 こくりと、江戸川コナンの名残か、幼い動作で頷く新一。 哀は、食事を作るついでに自分のために淹れたコーヒーで喉を潤す。 「彼は確かに『親とケンカした』と言ったけれども、『父親』とは言ってないわ。 私たちが勝手にそう解釈しただけ。 たとえば、名付け親や、親のように慕っている『誰か』がいるかもしれないわ」 弾かれたように新一が顔を上げた。 底の知れない青い瞳に射竦められ、舌先が凍りつく。 「キッド……かもしれねぇと……オレは考えてる」 憶測を滅多に口にしない新一が、哀にそう告げるということは、かなりの高い確率で確信があるのだろう。 きつく、眉根が寄せられた。 そのまま彼は俯いて黙り込む。 らしくもなく取り乱していたのは、それだけカイトと一緒にいたいからだろう。 「工藤君が……」 新一の視線が逸れ、呪縛から解き放たれた哀は溜息をついた。 「それと……カイトを疑う自分が嫌だ」 搾り出すような声色が、苦悩の深さを物語る。 重苦しい空気は相変わらず拭えないものの、哀に話すことで落ち着いて分析ができたのか、新一の雰囲気から硬質さが取れた。 「それで、工藤君はどうしたいの?」 問いかけに対して、ためらいがちに唇が開かれた。 「そういえば工藤君、今日も警視庁へ行っているのね」 「ああ、そうみたいだ。 警察は新一を頼りすぎだぜ。 昨日も遅く帰ってきてさぁ……夕飯は食べてきたみたいだからまだよかったけど、どうにかならないものかね。 あれじゃ、身体壊しちまいそうだぜ」 思い出すように哀が告げれば、クッキーに夢中だったカイトも呆れを隠さずに愚痴めいた心配を零した。 「あら、まだ聞いてなかったの? 工藤君、昨日は帰り際に中森警部に捕まって、あなたのことをよろしく頼まれたみたいよ」 何の気もないように装って、それでも意識はつぶさにカイトを見つめる。 だが、カイトはまったくもって通常通りだった。 「なんだ、遅かったのは哀ちゃんのところにも寄ってたせいか……。 そういや、警部も警視庁だもんなー。 警部、なんだって?」 カイトは新一が、昨日は帰りが遅かったから話さなかったのだろうと、納得しているようだ。 「さあ? 詳しくは私も知らないけど……工藤君、警部からあなたの家出の理由が『マジックのスランプ』だと聞かされて驚いたって言っていたわ」 「ふ~ん、おふくろ、そういうことにしたんだ」 クッキーをくわえたカイトは、ぱきんと半分に折る。 「じゃあ、本当は違うのかしら?」 「半分はそうだけどね。 本当の理由はオレが新一に言ったので正解」 すがすがしいほどあっけらかんとしていて、やましいことなど、何もなさそうだ。 情報を小出しにして反応を見ていた哀は、あまりの手ごたえのなさに内心、首をかしげた。 「ではお父様と、何が原因でケンカしたの?」 あえて父親の不在を知らぬふりをしたまま訊ねる。 「ん? あ、違う違う! 親父じゃねぇんだ。 血の繋がりはないけどさ、ただ、オレにとっては『親』としか言いようがないんだよなぁ……」 クッキーに伸ばしていた手を引っ込めて、どこか懐かしむように、頬杖をついた。 彼は、訊けば答えてくれる。 カイトに気づかれないよう溜息をついた。 哀も、カイトと話すのはキライではない。 自分を偽らなくていいし、斬新でおもしろいとさえ思える。 それに彼といるその空間は心地よいと、出会ってからたった数日しかたっていないのに、心を許している己に驚く。 「ちなみに、ケンカの原因は意見の不一致! オレが『絶対イヤ!』って思ってることをしようとしたからなんだ。 あ、何かはナイショな、口にするのもイヤだから」 悪戯っぽくウインクするカイトに、哀は思わず笑みを零した。 「それに、二日前に知り合いに電話したら、オレが家出して困ってるっておしえてくれたんだ! 向こうが反省して『アレ』をやめてくれたら連絡もくるだろうし……そのときは哀ちゃんたちにも紹介したいな」 ワクワクとこれからのことに思いを馳せる。 前向きな人と一緒にいると、それが自分にも伝播するような気がして、楽しくなる。 「早くその日が来るといいわね」 「うん!」 まるきり子どもそのものな返事に、哀はくすくすと声を立てて笑った。 新一から、夕飯はいらないと連絡が入って、カイトはそのまま阿笠邸で食卓を囲むことになった。 料理上手なカイトと哀が協力しながら調理するのを、博士が孫を見守るようにニコニコしている。 と、こっそり哀にだけ告げられた言葉に、少女が破顔する。 「いつもみたいにあなたが女装すれば、姉妹になれるわよ」 ここ数日は、隣に来るだけなので女装することがなくなっているが、カイトは買い物などの外出の際は未だに女装している。 「なら、オレとおそろいの服でお出かけなんてどう? オレってひとりっ子だから、ちょっとやってみたいんだよね」 「おお! それはいいのう! ワシもぜひ見てみたいわい」 「あら、私としたことが墓穴を掘ってしまったわ」 思わぬところから熱のこもった反応が返ってきてしまって、哀とカイトは顔を見合わせ、声を立てて笑った。 いつもは二人で囲む食卓も、三人になると、とてもにぎやかなものとなる。 少年探偵団といるときのように、哀も自然な笑顔だった。 BGM代わりにしていたテレビから、そのニュースが流れても、彼は常と変わらなかった。 「あ、これ、この間の映像だ。 予告状が出されたのは、オレが丁度家出した頃だったからチェックしてなくてさ。 犯行当日にテレビ見たとき、焦ったのなんのって」 テレビの中では二日前の怪盗キッドの犯行を取り上げており、その再現VTRが流れていた。 幻想的な風景は、いつ見ても意識をそこへとらわれてしまう。 束の間、食事の手を止めていた三人は、ほぼ同時に感嘆の息を吐いた。 「そういえば、また予告状が出されているみたいよ。 今日、工藤君が警視庁に行ったのも、そのことで中森警部に相談されたからだって、さっき電話で言ってたわ」 「へ~! それ、まだテレビでやってないよね?」 「そうみたいね」 カイトが再びテレビへ意識を向けるが、すでに画面は別の話題に移っていた。 新たな予告状が公表されていれば、あっさり話題が切り替わるはずがない。 「うーん、新一に訊いたらダメかなあ」 探偵には、守秘義務がある。 きっと難しいだろう。 うんうん唸るカイトに、博士が助け舟を出した。 「ためしに訊いてみてはどうかのう。 もしも予告状が公開される予定なら、一足先に教えてくれるじゃろうし、ダメでも怒りはしないじゃろ」 「あ、そうだね! そうしよ~っと」 うきうきと、いかにも幸せそうなカイトを見つめながら、和やかに夕食タイムは終了した。 哀がカイトの反応に違和感を覚えたのは、後片付けのときだった。 「洗い物なら、オレに任せてくれちゃっていいからさ。 哀ちゃんは先、お風呂入っといでよ。 明日も学校があるんだし、早く準備して寝ないとね」 学校のことを言われて、哀はふと思い出した。 哀に話しかけたときの表情もそのままに、カイトの動きが、完全に停止している。 我知らず、背を、冷たいものが駆け抜けた。 普段とのギャップがありすぎて、恐ろしい。 「あ……」 小さな声を漏らしたカイトが、ゆっくりとまばたいて、動きを取り戻す。 硝子玉のような瞳に、感情の彩が映し出された。 こんなのは、予想と違う。 不意打ちもいいところなそれは、カイトの反応を知りたいと、哀にあれこれ指示を出した新一も、想定外だろう。 「そう……だね。 気が向いたら、行こうかな」 いつもより少し沈んだ声に、どこかぎこちなさは取れなかった。 ……種は、蒔いた。 あとはどんなものが芽吹くのか待つのみ。 走る悪寒に、我が身を抱くように腕をさすった。 嫌な予感が、する。 何かがおかしいと、カイトの頭脳が、心臓が、警鐘を鳴らしていた。 カイトに勘なんてものはない。 もうひとりの自分、『黒羽快斗』としての考え方、価値観、行動パターンなどといったデータを元に統計をとり、分析した結果だった。 それはとても根拠ある、予感。 なんとか平静を装ったまま阿笠邸を辞して、誰もいない隣家へ戻ったカイトは、玄関の扉にもたれかかるようにずるずると座り込んだ。 カイトは、『黒羽快斗』がふたりいるというのを知られるのはまずいので、外出する際は必ず女装した。 最近は、阿笠邸だけなら素のままで行き来しているが、誰にも目撃されないよう、細心の注意を払っている。 でもキッドは用心して、学校に通わなかった。 哀から伝えられた中森の言葉を額面どおりに受け取れば、それだけのはず。 機関のどこかが囁きかける。 しきりに訴えてくる恐ろしい予感に、我知らず身体が震えた。 カイトにインプットされている最優先事項は、『黒羽快斗になりすますこと』。 その命令によって、カイトは何があっても、『黒羽快斗』の価値観に従って行動する。 だから彼にジレンマというものは存在しない。 普通の機械なら、矛盾する命令があれば、不具合が起きて機能が停止してしまう。 良くも悪くも、機械は命令されたことしかできない。 でもカイトは『快斗』としての記憶がある。 多くの行動例がある。 一見、矛盾しているような心理も行動も、『快斗』が過去に行ったそれらと照らし合わせ、分析して、最適と思われる行動をとれる。 命令された、その最優先事項に従っているだけでいい。 これまで、どんなことがあっても、カイトは命令を守っていた。 なのに、それを取り落とした。 哀の言葉に、それほどの衝撃が襲った。 最優先事項を忘れかけたのだ。 よくも、その時点でクラッシュしなかったと思う。 さほど間を空けずに切り替わったものの、それでもタイムラグができた。 それを哀に不審がられなかっただろうかと、気を回す余裕すらなかった。 失うことが、とても怖い。 それは『黒羽快斗』が父親を失ったときの心の動きに似ていた。 心が冷え切って、身動きがとれない。 忠実すぎるほど、カイトは彼を模倣してしまう。 冷え切った玄関で膝を抱えたカイトは、静寂を引き裂く電話の音に、ビクンと身体を硬直させた。 呆然と顔を上げると、人を急かすような音はしつこく鳴り響いている。 のろのろとだるそうな動きで発信源の前にたたずんだカイトは、迷いながら受話器を手にした。 」 その声を耳にして、カイトは一筋の光明を見た。 「……ぼっちゃまですか?」 寺井の口上を遮るほど勢い込んだカイトの様子に、機械の向こうで戸惑う気配がした。 彼はきっと、カイトの状態に異変が起きたことを知って、連絡したのだろう。 「うん。 あのね、オレ、寺井ちゃんに聞きたいことがあるんだけど……」 カイトはこれ幸いとばかりに、予告状のことを聞こうとしたが、盗聴を恐れて、躊躇った。 使っているのは工藤邸の電話だ。 盗聴器を、新一本人ではなくとも、新一を目障りに思っている者が仕掛けているかもしれない。 何しろ彼は有名な探偵であり、多くの事件に関わってきている。 誰かに怨まれていても不思議はないし、誰かに利用されそうになることも珍しくはない。 カイトは今、その能力の大半を封じられている。 よって、盗聴器の探知なんて芸当はできないのだ。 しかもそれを探知できるようにするための封印の解除は、キッドしかできない。 「よろしければ、明日、店に来ていただけますか?」 「うん、そうする。 ……大丈夫、一日くらい遅れても、まだ間に合う、よな……?」 それに対する返答はなかった。 「いつでもよろしいので、いらしてください。 ……何か用意しておくものはありますか?」 「あ、服がほしいかな。 しかし振り向くことはせずに、電話に集中しているふりを続けた。 「どのような服にしましょうか」 「寺井ちゃんの見立てに任すから、オレの部屋からテキトーに持ってきて」 「はい、ではそのように」 「あ、新一? おかえり~!」 カイトはたった今、接近する新一に気づいたそぶりでちょっとだけ顔を上げた。 「ただいま」 新一は電話の向こうに気遣って、小さな声でいらえた。 「おや、ではそろそろお暇しましょうか」 「うん、おやすみ、寺井ちゃん」 「おやすみなさいませ」 受話器を置くと、新一がリビングに向かいながら苦笑した。 「……別に、急いで切ることなかったのに」 「んー、でも、ちょうど話も終わったところだったし」 「今の……カイトのおじいさん?」 「血の繋がりはないけどな。 寺に井戸の井って書いて、ジイって読むんだ。 『おじいちゃん』っていうには、ちょーっと若いんだけどな」 ソファに腰を下ろした新一のために、コーヒーを淹れてやりながら答える。 「いろいろ近況とかおしえてもらってるんだ。 あ、明日、オレ出かけてくるな。 着替えも家から持ってきてもらうんだ」 「そっか」 どっかりソファに陣取っている新一は、ネクタイをはずしてブレザーを脱ぐと、ごろんと横になった。 彼の端正なかんばせには、疲労の色が濃い。 「新一、なんか疲れてない? 中森警部の相談って、そんなに大変だった?」 「ああ……。 警部のお陰で耳が痛いのなんのって」 ぼやく新一に、カイトは実感をこめて頷いた。 テレビで中継を見ていても、中森警部の声は、遠くからでもかなり響く。 「中森警部も有能なんだけど、あの人、いっつも自分が先陣をきるからな。 たぶん、いつもキッドに逃げられるのって、そのせいだぜ。 距離を置いて全体を把握しながら指示を出せば、惑わされることも減るはずだ」 「ああ、中森警部、キッド逮捕が生きがいだからね。 もう何年も追ってるって言ってたし」 生き生きとキッドを追う警部の姿は見ていても気持ちがいい。 あまりにもキッド一途で、清々しいというか、微笑ましくなるほどだ。 「ほかにもいろいろ、キッドの資料を一式見せてもらって、対策したせいかな。 最後はもう、声がかれるまで怒鳴ってたぞ、あの人。 かなり意見を戦わせたせいか、オレも喉が痛てぇや。 ……でも、これで……次こそは捕まえるさ」 仄暗い炎を燃やす瞳は、天井ではなく、虚空を見ていた。 否、彼の瞳に映っていたのは、キッドかもしれない。 「へー……そういえば哀ちゃんからも聞いたよ。 予告状の暗号は解けた?」 「いや、今回は暗号じゃないぜ」 「え? 暗号じゃないのに参加してるんだ?」 できあがったコーヒーを新一の前に置いたカイトは、向かいのソファに座って首をかしげた。 「ああ。 別にオレは、暗号だけが目的じゃねーからな」 「そうなんだ……。 なあ、予告がいつかおしえてもらっていいか?」 「いいぜ。 予告を出されたデパート側がもうマスコミに公開しちまったらしいからな。 どうせ明日には正式発表されるだろうし……。 予告は三日後の二十時四十五分、ターゲットは東越デパートに展示されている、『永久の炎』というルビーだ」 「うっしゃ、見物に行こ~っ! サンキュ、新一!」 カイトは学校で『快斗』がするように、ガッツポーズをする。 子どもみたいなはしゃぎ方をするカイトを、新一は微笑ましそうに見守っている。 カイトは彼の瞳の奥に、油断ならない光が宿っていることに気づかなかった。 翌日、カイトは寺井が経営する、ブルーパロットへ足を向けた。 本日休業と張り紙をしてある扉をくぐると、寺井は待ちかねていたようにカウンターから出てきた。 「お待ちしておりました、ぼっちゃま」 新一の母親の服を借り、念入りに女装しているカイトを見ても、寺井は動じなかった。 慌てず騒がず奥の住居スペースへ案内してくれる。 それ以降は互いに無言で、カイトは寺井が機械を使って盗聴器のたぐいが仕掛けられていないかチェックし終えるのを待つ。 キッド特製の機械は、何の反応も示さなかった。 「……問題ないようです。 早速ですが、相談というのは今朝発表された、予告のことですね」 「違う……いや、違わない、か?」 「ええ、違わないでしょう。 瞳は驚愕に見開かれ、唇が震えた。 「やっぱり……キッドは……ッ!」 続きは、言葉にならなかった。 あのときの、数日前の彼の言葉が、耳の中で木霊して離れない。 こんな偽りの存在が、あなたに成り代わり、あなたの居場所を奪うなんて、許されない。 自分自身が、許さない。 「オレ……、オレ、なんか間違った!? なあ、どうしてだよ!? 」 必死の表情ですがりつくカイトを振り払えもせずに、寺井は痛ましげに顔をそらした。 彼を模倣した細くしなやかな指が、小刻みに震えている。 強張るほどに、血の気を失うほどに力を込められ、白く白くなっていく。 「オレはキッドを手伝いたい。 けど、こんなのは嫌だッ! どうしたらいい!? 」 ぼろぼろと頬を濡らす雫が、体内で熱を持ちすぎた機関を冷やすためにあふれているのだと理解していても、寺井は直視できない。 腕に食い込む手を、振り払えもしない。 カイトが家を出たのは、最初は最良の選択だったろう。 キッドに都合が良すぎるほど、カイトを預けられる環境が整っていた。 優秀な発明家は、ロボットであるカイトを修理できる。 偶然とはいえ人を若返らせる神秘的な薬を生み出した薬学者はその他の医学にも精通しており、カイトを精神的にもケアできるだろう。 そして、キッドと酷似した容姿で、さらに気質までよく似ている探偵。 カイトはあっさりと探偵の存在に馴染んだ。 カイトが積極的に世話をやいたのは、彼がキッドに似ていたせいもあるだろう。 確固とした価値観を持つ彼は、これからカイトがさらに成長していくための、人間のお手本としても悪くなかった。 だが、寺井はそれを口に出来ない。 それはカイトをさらに追い詰めることにしかならない。 「なあ、助けてくれよ! たすけて……おしえて……? オレは、どうすれば……いい……?」 消えていく悲痛な訴えに、ただただうなだれる。 すすり泣きは、冷たいコンクリのカベに吸い込まれることなく、反響した。 カイトは小一時間ほどかけて、ようやく落ち着いた。 そうそう、泣いてばかりもいられなかったのだ。 寺井が用意してくれた砂糖とはちみつ入りのホットミルクを飲みながら、状況説明に耳を傾ける。 寺井は昨日、カイトのパラメータに機能停止と見られる変化があったことをキッドに知らせようとしたのだが、連絡がつかなかったこと。 そして連絡の取れない状態が今も続いていることを話した。 キッドは独自に動いて連絡を絶つこともしばしばだった。 常ならば、心配こそすれ、ここまで慌てない。 しかし、彼がカイトを作った本当の理由がわかっている今は、とうてい安心できなかった。 「あのさ、今回のターゲットのこと、何か知ってるか?」 「一通りは調べました。 ただ、あの方は、この石の名前は気になるものの、探し物である可能性が低いとおっしゃっていたのですよ。 展示の期間も長いですから、スケジュールに余裕があったら盗む、とも」 「そうか……それならあんまり危険はなさそうだ」 「それは、一概に言いきれません。 組織側でも名前を気にして目をつけている可能性があります」 キッドの言葉がどこまで本当なのかわからなかった。 彼は本心を覆い隠すことがうまい。 「可能性が低い」という発言は、この状況を見越してのフェイクである可能性が高かった。 「うん……でも、どうしても話がしたい。 連絡が取れないなら、オレが出向かなきゃな」 警察や探偵は気づいていないが、中継点ならば予告状に書いてある。 それは、暗号でないときの予告状特有のものだ。 解き方を知っていれば、それが暗に含まれているとわかっていれば、発見できる。 そのことを、『快斗』の価値観を知るカイトは、誰に教えられるまでもなく、予告状を見ただけで読み解けた。 「……わかりました。 では、寺井がサポートいたしましょう」 カイトは完全に決めてしまっている。 こうなっては、決して退かないと、『快斗』をよく知る寺井はわかっていた。 潔く諦めて補佐に回ってくれるという寺井に、カイトはずっとこわばっていた頬を緩めた。 「サンキュ。 頼りにしてるぜ」 寺井と作戦を練ったカイトは、カイト自身が新一に疑われているであろうことを、寺井に教えられた。 カイトが予告状の内容を一足先に教えてもらえたのも、哀にいろいろと話を振られたのも、そのためだと言った。 だけどカイトは帰宅してからも、新一の探るような目を気にしないことにした。 家の中はぎこちない空気が漂ってしまったが、それも受け流した。 現在、最優先すべきことはキッドと話をすることだった。 そうして迎えた予告当日。 新一は朝からキッド捜査に加わることになって、カイトどころではなくなった。 カイトはキッド見物に行くと宣言してあったので「もしかしたら、帰りは一緒になるかもしれないな」なんて、冗談を交えて新一を見送った。 あとは普段通りに家事をして、時間をつぶす。 夜が来ると、早めに夕飯を食べた。 そして食器を片付けると、恒例の女装をして家を出た。 新一が本当にカイトを疑っているなら、哀と阿笠博士に頼んであとをつけさせているかもしれない。 だが、それを確かめ、無理にまく必要はない。 デパート周辺はキッド見物に来た人たちであふれているから、彼らは人ごみで自然とカイトを見失ってしまうだろう。 盗聴器や発信機の対策として、女装して家を出たカイトは途中で動きやすい服に着替えた。 借り物の服はロッカーに預ける。 あとから何か言われても、キッドの追っかけにスカートは不向きだというのは、言い訳として妥当だ。 人波を縫うように黙々と歩いて、誰にもつけられていないことをそれとなく確認したカイトは、ようやく寺井と合流した。 そして、割り出したキッドの中継点の近くへ、車で送ってもらう。 今宵のキッドのターゲットは、『永久の炎』。 その別名を、『不滅の業火』という。 予告状には『罪深き炎の石を頂きに参上する』とあった。 キッドは別名の方を表現したのだろう。 カイトも前日、展示場へ足を運んだが、その深すぎる紅さは暗い炎を連想させ、あまり好きになれなかった。 キッドは間違いなく、その石を手にするだろう。 予告時間が過ぎてからしばらくして、遠くでダミーのキッドが風に流されていくのを、それをヘリコプターが追跡するのを眺めた。 それに遅れてもう一体、今度はキッドが動かしているであろうダミーが、また違った方向へ飛び去るのを見た。 もうすぐ会えるのだと思うと、緊張した。 実は、白い怪盗の扮装をしたキッドと直接対面するのは、これが初めてだった。 カイトは工事中で人気のないビルの屋上で、手を握ったり開いたり、そわそわしながら時が過ぎるのを待つ。 闇を切り裂く白に、目を、瞠る。 翼を畳むと同時に、ばさりと広がったマント。 左目にはモノクル。 白いスーツに、青いシャツを身につけ、紅いネクタイがアクセントとして映えている。 冷涼な気配が辺りを支配し、カイトの舌が凍りついた。 「これはこれは、珍しいお客様だ」 夜気をはらんだ、涼やかなテノール。 これこそが、怪盗としての、キッドなのか、と。 カイトの知るキッドとはまるで別人の存在に、ひたすら圧倒される。 カツカツと真っ直ぐ歩いてくるキッドは、しかし適度な距離を保って、停止した。 「いったい、どのようなご用件で?」 優雅に首を傾げられ、カイトは息を吐き出す。 そこでようやく、自分が呼吸を忘れていたことに気づいた。 キッドは静かに、カイトの言葉を待っている。 だが、そう長くはここにいられない。 キッドがキッドである時間が長引けば長引くほど、彼の危険が増す。 カイトは意を決して、口を開いた。 「オレが……オレがキッドをするから、キッドは『快斗』に戻れよ!」 用意していた言葉は吹き飛んで、直截な表現をしたカイトに、キッドは不敵な表情を崩さずに哂う。 「おやおや、これは面妖な。 ……キッドは私でしかありえない。 私にしかできない」 カイトには無理だと、そう告げる。 それは今、怪盗たるキッドを目にしたカイトにも、痛いくらいわかった。 この空気は、場を支配するほどの力は、作り物である自分には生み出せない。 「じゃあ、『快斗』を捨てるのだけはやめてほしい! オレは『快斗』じゃない! 代わりなんてしたくない!! 」 言いながら、ほぞを噛んだ。 これでは、あのときと、ケンカして飛び出したときと同じだ。 一度失敗したのと同じ言葉で彼を説得できるはずがない。 「キッドを助けたいけど、こんなのヤだッ!!! 」 ぎゅっと目を閉じて駄々っ子のように叫びながら、情けなさのあまり胸がつぶされそうな感覚が襲った。 感情というものがどこから来るのか、カイトにはよくわからない。 けれど、キッドが左胸の心臓辺りに埋め込んだ擬似感情発生装置が、暴走している気がした。 「……バカ。 その顔で泣くなよ」 不意に、怪盗の纏う空気がやわらいだ。 おずおずと目を開ければ、見守るようにあたたかなまなざしが注がれていた。 カイトは涙など流していなかった。 瞳の表面に溜まっていた水が、ひとしずく、こぼれた。 「おふくろが『親が何かを押し付けたりしても、子どもは反発するだけよ』って言ってたけど、本当だな。 しかもオメーは、オレだし。 ……当然かも」 謳うような声は苦笑が滲んでいたけど、どこか楽しげだった。 「この前、一度だけ家に寄ったら『子どもにそんな重いものを、たったひとりで背負わせてはだめよ』ってお説教されちまった。 共に歩め、ってことなんだろうな。 きっと」 カイトにとっては、キッドは生みの親であり、育ての親だ。 そしてキッドの母親は以前、三人で食事をしたときに「息子と同じ大きさの孫ができちゃったわ」なんて話していた。 カイトは、彼の母親が自分の味方をしてくれたのだと知って、その場にへたり込みそうになった。 身体にじわじわと広がるのは、安堵だ。 だが、安心するにはまだ早かった。 ただ、冬の冴え渡る夜空のような双眸の美しさに、やはり自分は彼になれないと、確信していた。 一個目はあからさまなダミーだった。 グライダーが風に流されている時点で不自然だったのに、警察車両は気づかずにそれを追ってしまった。 一斉に警察がダミーを追った後、デパートの屋上から飛び立ったものは、軽い向かい風が吹いている方向へと飛び去った。 新一は、それを追いかけてしまった。 精巧で、また自在に動いていることからも、ダミーに見えなかった。 けれど、野次馬をかきわけ阿笠博士にチューンナップしてもらったバイクに跨ったとき、頭上のグライダーに違和感を覚えた。 滑らかに空を飛ぶその動きが、あの怪盗にしては固い気がしたのだ。 新一以外のものが見ても気づけないような、微小な差。 「クソッ! 三段構えかよっ!」 盛大な舌打ちと共に、新たに飛び立った白い鳥を追うべく、方向転換した。 早めに気づいてよかった。 どのみち足となるものが必要なので、タイミングも悪くなかった。 しかし、道路に沿って走らねばならないものと、そんなものはお構いなしに一直線に飛ぶものとの差は大きい。 なんとか離されすぎないうちに、怪盗が降り立ったビルへ駆け込んだ。 エレベーターという文明の利器は故障中の張り紙がしてあったので、仕方なく一気に階段を上った。 屋上の扉の前で一旦立ち止まった彼は、呼吸を整えながら少しだけ扉を開けて、怪盗の存在を確かめる。 だが、真っ先に彼の目に飛び込んできたのは、ここにいてはならない人の姿だった。 「カイト!? 」 思わず扉を蹴飛ばすと、怪盗キッドのまなざしが、新一に注がれた。 だが、新一に背を向けるカイトは、振り向きもしなかった。 疑惑が確信に変わる。 嫉妬を孕んだ黒い感情が急速に広がっていく。 「なんでオメーが! ここで!! こいつと会ってんだよッ!? 目の前の怪盗をそっちのけでカイトに詰め寄る新一は、明らかに冷静さを欠いてしまっていた。 「おやおや……この方は、きちんと予告状の暗号を読み解いてここへ来たというのに、とんだ言いがかりですね」 聞こえよがしの嘆息に、新一は怒気をはらんだ双眸でにらみつけた。 「暗号、だと?」 「ええ、そうですよ。 文面をそのままの意味で受け取ったあなたたちは、暗号だと気づかなかったようですが」 ククク、と愉快そうに喉の奥で哂う。 「……なるほどな。 それはオレの不覚だが……てめぇ、こいつに何をした!? 」 「さて? 特に何も、と言ったところで探偵君は認めやしねぇだろ」 純然たる怒りの発露に対し、怪盗の口調がガラリと変わった。 江戸川コナンと対峙していたときと同じ、どこか乱暴なそれになる。 「ほい、それは必要ないものだったから、返しといてくれ。 じゃあな!」 無造作に時価数億円もするビッグジュエルを投げられ、新一は慌ててキャッチする。 その間に地上へ飛び降りたキッドが、落下途中でグライダーを広げた。 「チクショウ! 待ちやがれ!! 」 屋上のギリギリのところまで来て叫ぶが、悠々と鳥は去っていく。 宝石を守る側としては、それが隙になってしまうことはどうしようもないのだが、悔しさが拭えない。 「待って! キッド!! 」 「って、オメーも待て!」 カイトが急に我を取り戻し、キッドを追うようにビルから飛び降りようとするのを見て、新一は大いに狼狽した。 抱き込むようにしてなんとか押しとどめるが、カイトは暴れることをやめない。 」 「無茶だ! 追いたいなら階段を使え!! 」 がむしゃらな暴れ方は、人体を封じ込めるための要所をおさえた新一の拘束を解くには至らなかった。 「~~~~っ、わかった。 そうするから離せ!」 焦燥にかられるカイトが方向転換しようとするのを見て、ようやく力を抜いた。 そして怪盗が逃げた方向を確かめると、みるみる遠ざかる白い翼が、突如、制動を乱すのを目撃した。 」 「ウソだろ!? 」 ふたりが見守る中、怪盗が操るグライダーが、どんどん高度を落としていく。 新一もカイトを追いかけるが、九十九折りになっている階段を一息に飛び越え、そこから横に一歩飛んで方向転換すると、またジャンプ一つで段を飛び越えてしまうカイトには追いつけない。 新一にできるのは、せいぜい四~五段飛ばしだ。 地上に出るとバイクで走るが、自分の足で駆けているカイトの背があっという間に遠ざかっていく。 「……おいおい」 バイクでも追いつけないなんて、そんなのアリかよ。 少しげんなりしながら、キッドが墜落したと思われるポイントを目指す。 たどり着いた先は埠頭近くの、コンテナが並んでいる場所だった。 遮蔽物が多いため隠れるにはうってつけだろうが、探す側は大変だ。 新一は油断なく辺りを探りながら、携帯電話で、博士とキッドの現場近くにいるはずの哀に連絡を入れる。 「工藤君、ごめんなさい! 見失ったわ!」 開口一番、名乗る余裕もなく言われてしまった。 「発信機は?」 新一が電話した第一の理由はそれだ。 それさえあれば、キッドがいるであろう詳しい場所が判明する。 「ダメ、発信機はロッカーの中よ。 途中で着替えたみたい」 そういえばカイトは、外出する際のお決まりである女装ではなく、どこにでもいそうな少年の姿だった。 「そうか。 悪いが、オレがいるところまで車を回してくれ」 言いながら、新一は持たされていた発信機のスイッチをオンにした。 「わかったわ」 無駄口は一切なく、携帯電話を仕舞いこんだ新一は、身を隠しながら慎重に移動していく。 キッドを狙撃した敵も彼を追っている可能性が高い。 キッドがすぐ落下しなかったことから、狙撃手はしとめ損ねたことをわかっているはずだ。 人が立てる物音は、どこからも響かない。 気配も感じられないが、新一は自分ならどこに身を隠すだろうかと考え、扉が少しだけ開いている倉庫を見つけた。 広がるのは紅が映える白い布。 「カイ……ト……」 吐息のような声が聞こえたのか、キッドの上半身を支えるように抱きしめていたカイトが振り向いた。 「新一……やっぱり来たんだな。 危ねぇから、ちゃんと閉めてくれ」 どうやら扉は、新一のために開けられていたらしい。 するりと中へ身を滑り込ませると、音を立てないように扉を完全に閉ざした。 「……ケガ、してるのか」 「ふ……大したことはありませんよ」 どこまでも余裕を含ませた声色は、新一の神経を逆なでする。 怪盗はシルクハットを目深にかぶっていて、弧を描くようにつりあがった口元でしか表情を読み取らせない。 キッドはカイトに身を預けるようにしながらも、自力で立っていた。 左肩を負傷しているのか、そこから血が滲んでいるものの、床に血痕はなかった。 「ざまぁねぇな」 新一は嘲笑うが、怪盗はさらりと受け流した。 「そうですね。 とりあえず個人的に動かれては都合が悪いので、お待ちしていました」 「ああッ!? 」 「私は血を好まない。 誰にも邪魔はしないでいただきたいのでね。 ……奥に、マンホールがあります。 そこを通って、ここから立ち去ってください」 新一は憤りを覚えるが、この場を去ることに異存はない。 「てめぇはどうするんだよ。 そのケガで、やりあうつもりか?」 「……入り口を塞ぐ者が必要なのですよ。 もしかしたら、そちら側も負傷しているのだろうか。 「不本意ながら、オレもカイトに賛成だ。 そんな後味の悪いマネ、できっかよ」 「時間がないのです。 急いでください!」 かたくなに拒絶するキッドは有無を言わせずカイトの手を引いて、奥へと追いやる。 珍しく、余裕の仮面がはがれかけている。 「探偵君、そこの箱をどかせ……隠れてっ!」 片腕が使えないためか、新一に頼みかけたキッドが鋭く注意を放った。 新一も急いでふたりのあとを追い、物陰に身を潜めた。 ほどなく、気配を押し殺した何者かが倉庫の扉を開けた。 ゆっくりとした物音を立てないその動きは、しかし、俊敏だった。 数名が扉から身を滑り込ませ、すかさず銃を構えた。 静かに倉庫内を取り囲んだ敵の数は、三。 退路の確保にダンボール箱をよけようにも、その動きは彼らの目に入ってしまう。 彼は新一の視線に気づいて、首を振る。 大人しく好機を待つことしか、策はないらしい。 新一は勝機を見出すべく、めまぐるしく頭脳を回転させた。 だが、そうするうちに捜索者のひとりがこちらへ近づいてくる。 危険に場慣れしてるため、新一は表情こそ平静だったが、それでも痛いくらい鼓動が早かった。 くい、と。 それまで身じろぎ一つしなかったカイトが、キッドのマントを小さく引いたのが、視界の端に映る。 「……コードの、解除を。 オレなら、なんとかできる」 彼は唇の動きだけで、キッドに話しかけた。 読唇術を心得ている新一もそれが読み取れたが、なんのことかわからない。 キッドがかぶりを振るが、カイトは退かない。 「……じゃあ、勝手にやるよ?」 「……」 キッドの逡巡が、新一にも伝わってくるようだった。 彼らが何を話題にし、キッドが躊躇しているのかは、わからない。 だけどそれはふたりが親しさに他ならない。 明確な繋がりを目にした新一は、そんな場合ではないのに暗然とする。 ただし、殺すなよ」 一度瞑目した怪盗が、再び藍の強い黒瞳を開いたとき、そこからは一切の迷いが消えてきた。 「探偵君はこいつを動かして、マンホールを開けてくれ」 闘志に煌く瞳に射抜かれた新一が気を呑まれたまま頷くと、即座に煙幕弾がキッドの袖口から転がり落ちた。 Voice-print collation completion...... Combat form shift! 」 凛と響く声に続いて、カイトから事務的な音声が発せられた。 白い煙に視界を遮られながらも、至近距離にいた新一は、それを目の当たりにしてしまった。 さらに腕が肘の辺りでありえない方向に折れ、そこから弾丸が発射された。 「うわっ、なんだ!? 」 急に視界を奪われた男たちが、闇雲に銃を放つ。 すべて一瞬の出来事だったはずなのに、新一の目にはスローモーションのように、コマ送りで映った。 新一は思わず、この現実を疑った。 その間に体勢を低くしたキッドが、ぼんやりしている新一の元へ移動し、彼の腕を取った。 「急げ、探偵君」 せかされて、飛びそうになっていた意識を取り戻した新一は背筋を這う冷たいものを無理に頭の片隅に追いやった。 少々乱雑だが迅速にダンボール箱をどかせて、重いマンホールを少し持ち上げると、あとは足でそれを横にずらす。 キッドは敵の視界が晴れないうちに、さらにもうひとつ煙幕を落とす。 カイトには敵の位置が見えているのか、あっという間に物音がしなくなった。 「掃除完了。 みんな眠らせたぜ」 「よし、裏口から出るぞ」 マンホールはフェイクにするらしい。 新一は忌々しい思いを抱えながらも、怪盗の後に続く。 訊きたいことが、たくさんあった。 怪盗はこの辺りの地理をよく知っているのか、迷いのない足取りで駆ける。 とてもケガをしているようには見えない。 左の肩を汚す紅さがなければ、新一も忘れてしまいそうになる。 あと少しでコンテナの群れから出るという、まさにそのとき。 ぱしゅん、と空気を押しつぶしたような音がして、キッドが身体をよじった。 まだ、敵がいた。 カイトはすぐさま、腕に仕込まれていた弾丸を撃った。 だが、同時に狙撃手も発砲しており、それが無理に初撃をかわしたために、体勢を立て直せないでいたキッドの足を打ち抜く。 どさりとスナイパーが倒れる音もした。 うめき声ひとつ立てなかった怪盗は、ほかに敵がいないことを確認すると、淡々と応急処置を開始する。 腕の動きはぎこちないが、キッドはこんなときでもマジックで応急キットを取り出し、足をきつく縛ると、あふれる血を拭ってから止血テープを貼る。 地面に流れた血は、キッドが何かの薬品をまくと、蒸発するように消えた。 「だ、大丈夫!? 」 「気にするな。 早くここを離れるぞ」 血が残っていないかぐるりと確認し、立ち上がる。 「バカ、無理するな。 カイト、そっち側を持て」 さすがにこの無茶は見逃せなくて、新一が左側からキッドを支える。 カイトも新一に倣って、キッドのケガに障らないよう、慎重にキッドの腕をとり、自分の肩に回させた。 そして片方の手をキッドの腰に回し、もう片方で彼の膝裏をすくいあげた。 ふたりが左右から抱えるという、妙な体勢となってしまったが、走るのには支障はない。 計らずも、至近距離で怪盗の顔を見ることになってしまった新一は、束の間、息をのんだ。 まじまじと、その顔を見つめてしまう。 これまで距離を置かれていたため、どこか不明瞭だった造作が、この暗がりの中でもはっきりと見て取れた。 新一がここ数日を費やして調査し、立てた推論の通りに、キッドの顔はカイトと同じだった。 覚悟していたはずなのに、動揺してしまう。 だが、しばし硬直していた新一は、怪盗が微かに笑ったことで、敵愾心をよみがえらせた。 無理矢理、視線を彼から引き剥がす。 「……行くぞ」 号令を出し、抵抗せずにおとなしくしているキッドを抱えたまま駆けた。 「あ、五十メートルほど進んだら、右に折れてください」 「いや、もうすぐ博士が来るはずだ。 そっちに運ぶぜ」 せっかく確保不能の怪盗を捕まえたのだ。 逃すつもりは、さらさらない。 それに、訊きたいことも大量にある。 「治療するにも、そのほうがいいはずだぜ。 灰原は、免許こそねぇが腕は確かだ」 「……やれやれ、ずいぶんお人よしですね」 「安心しろ、オメーほどじゃない」 呆れの滲んだ皮肉に、間髪いれず切り返すと、否定できなかったのか、キッドが押し黙る。 ハートフルさ加減では、この怪盗に敵うものはいないに違いない。 と、そんな場合ではないのにこっそり思ってしまった新一である。 「新一、キッドをどうするつもりなんだ?」 探るようなカイトのまなざしは、返答次第によっては攻撃すると物語っていた。 そこに滲んだ敵意と警戒に、新一は唇を噛んだ。 未だ機械そのものの瞳に見つめられるのが居たたまれなく、ぎこちなく顔を逸らす。 「オレは、探偵だ。 犯罪者を見逃すつもりはないが……警察に突き出すかどうかは、話を聞いてから決める」 ウソはつけなかった。 どうすべきなのか、新一は未だに迷っている。 敵に撃ちこんだ麻酔の効果がどれほど続くかわからないので、できるだけ現場から遠ざかっておく。 新一は頃合を見計らって、路地の影に、キッドをおろした。 「……灰原? 今、どの辺にいる?」 電話をかけると、あと五分もしないうちに着くと言われ、簡単に場所を説明して切った。 「さて、話してもらおうか。 オメー、カイトとどういう関係だ?」 「見ての通り、としか言いようがないですね」 飄々と肩をすくめる怪盗に、新一が唇をへの字に曲げる。 「てめぇ、真面目に答えろよ」 「……」 「なあキッド、オレが話していいか?」 問い詰められるキッドへ助け舟を出すように、カイトが首をかしげた。 黙考していた怪盗は、諦めたように溜息をつく。 「しかたないですね……。 実は以前、彼がケガしているところを拾いまして、彼が失った腕や視界を、私が機械で補ったのですよ」 つらつらと、嘘八百を並べ立てる怪盗に、カイトが目を丸くする。 「彼、マジシャンを目指していまして……私もかねてから彼のことは知っていましたし、本人もマジシャンになる夢を諦めるつもりはないと言っていたので、僭越ながら、技術を提供したんです」 「ほほう……」 わざとらしい感心の仕方に、青い瞳が物騒な光をもらす。 「つまりオメーは、カイトが人間だと言いたいのか?」 「おや、それ以外のなんだと?」 至極不思議そうに問いを返されるが、新一は騙されなかった。 「そうじゃないなら、どうして、オメーの顔はこいつと同じなんだ。 オメーは今……素顔だろ。 それに、ただマジシャンを目指してる奴に、なぜこんな戦闘能力が必要になるんだ。 しかし、それに慣れてしまえば、いつしか認識が甘くなる。 彼がどんな、人間にはできないと思えることをしても、彼ならばできそうだと思ってしまうようになる。 「オレは、カイトのことを調べるために、学校へも行ってみた。 そしたら……ここ数ヶ月のカイトは、どこか反応がいつもより幼くて、みんな多少なりとも違和感があったそうだぜ」 ここ数日、『黒羽快斗』について調べていた新一は、途中から『黒羽快斗』がふたりいるのではないかと思っていた。 そしてキッドの素顔を知り、それは確信に変わった。 だけどそれでも新一は、今日、このときまで、カイトがキッドのそっくりさんか、血縁の誰か。 あるいはクローンではないかと疑っていた。 人ではなかったなんて、今の今まで考えもしなかった。 普通ではない能力の披露は、さらに普通ではない存在を隠すための偽装だったのだ。 「天才と謳われるオメーなら、できるんじゃねぇのか。 人にしか見えないロボットを作ることも、それに感情というものを持たせることも」 長い長い、沈黙が降りた。 動くものは風に嬲られたものだけで、新一はひたと、カベに身を預けて立っているキッドを、視線で射止めていた。 カイトも足を地に縫い付けられたように、みじろぎひとつしない。 彼らの間を取り巻く冷たい空気を破ったのは、怪盗だった。 「ククククク……さすがは名探偵」 告げると、耐え切れなかったように、さらに爆笑した。 哄笑が、酷くカンに障る。 「いい加減、馬鹿笑いはやめろ」 あまりに常と変わらぬものだから、相手がケガ人だということを忘れて蹴りを喰らわせようとすると、キッドは体重を感じさせぬ動きでふわりと攻撃をかわした。 ふうわりと、マントが広がる。 一足とびで距離を作り出した怪盗は、愉快そうに目を輝かせた。 彼をどうするつもりですか?」 「どうもしない」 「え?」 逃げられたことに舌打ちしながら、疑問の声を上げたカイトを振り向く。 「だから、どうもしねぇよ。 帰りたきゃ帰ればいいし、オレの家にいたけりゃ、いればいい」 「おやおや、探偵君は彼がお気に入りのようだ」 「るっせぇ! 茶化すな。 だいたい、こいつはなんの罪も犯してねぇだろ」 「……銃刀法違反は?」 「そりゃ、製造者の責任だ。 カイトが自分でつけたわけじゃねぇ」 「なるほど……。 まあ、彼が私の替え玉というのは間違いですが……いいでしょう」 彼は何かを深く納得すると、突如、恐るべき早口で、意味をなさないアルファベットを羅列し始めた。 「Code...... 「テメェッ、カイトに何しやがった!? 」 新一はキッドの口を封じようと近くに転がっていた石を蹴るが、よどみなく声は続く。 「A new master is registered to Shinichi Kudo」 「なにっ!? 」 キッドが下した命令に、新一はうろたえた。 聞き間違えでなければ、それは、カイトの主人を新一に書き換えるものだ。 「The change was completed...... A new master was set to Shinichi Kudo」 表情というものをどこかに忘れてきたようなカイトが、淡々とそれを受け付ける。 強制的に命を下した怪盗が煙幕を張った。 「この……待ちやがれ!! 」 「彼のことはあなたに任せますよ。 残された少年は、壊れたようにただただ涙をあふれさせていた。 あの瞬間、閃いてしまった考えは、そうとしか言いようがなかった。 はじまりは、ブルー・バースデー。 それは快斗が全てを捨てた日。 復讐を胸に誓ったその日は、皮肉なことに、大切な幼なじみが生まれた日でもあった。

次の

#1 ex machina

君 の 目 に 映る 世界 の 続き を 見 たい と 思っ たん だ 愛し てるよ

<注意書き> ・微量ではございますが新蘭的な要素があります。 そのため蘭ちゃんには申し訳ないことになっています。 ・カイトという黒羽快斗のコピーロボット的なオリジナルキャラがおります。 ・ルビを多用しております。 いずれも苦手な方はご注意ください。 なお、この作品はフィクションであり、書き手に工学関連の専門的な知識はありません。 もし間違っていたとしても「だいたいこんな感じのことを言いたいのだな」と脳内補完していただければ幸いです。 正確に表現すると『人間の』快斗は唯ひとり。 黒羽快斗がそれを作ったのは、怪盗キッドのためだった。 世間を騒がす『怪盗キッド』と『黒羽快斗』はイコールで結びつく。 彼は父・盗一の跡を受け継いで、その白い衣装を纏った。 それをほぼひとりでこなす彼は間違いなく天才、それも鬼才といえるほどの卓抜した頭脳を持っていた。 彼は、自らの代役として、もうひとりの自分を作り出した。 それが、レプリカの『快斗』だ。 彼は自らが作製したレプリカを、常に『快斗』と呼んだ。 そしてレプリカには己を『キッド』と呼ばせた。 あたかも、自分は『キッド』であり、すでに『快斗』ではないと断じるように。 『快斗』が以前、「自分の名前なのに呼びにくくないか」と訊ねたことがある。 そのとき彼は平然と、「慣れた」と言った。 自分だけの名前がないことに不満そうな『快斗』へ、彼は苦笑した。 「代役をする以上、なりきってもらわないと困るからな。 うっかりオレの名前に反応し損ねた、なんてことになったら、また白馬に疑われちまう」 そのいらえに、『快斗』は納得するしかなかった。 彼は『快斗』に自らの記憶を移植するときも、怪盗としてのそれだけは与えなかった。 これもまた同じ理由で、「キッドしか知らない事柄を、誰かにもらされては困るから」だった。 彼はどこまでも徹底していた。 理にかなっていたために反論できなかった『快斗』は、いつしかそう呼ばれるのにも慣れて、本当に自分が『快斗』になった気になっていた。 「どうしてオレが『快斗』なんだ? なぁ、役割を逆にしようぜ?」 『快斗』を作った理由が、別にあるとは、思いもせずに。 「オレならキッドがいれば、いくらでも直してもらえるし、さ」 レプリカは、身の程知らずにも。 「オレ、イヤだ。 キッドの身体が傷だらけになるなんて。 オレだけが無傷なんて、イヤだ」 彼と同一の存在になろうなんて、おこがましいことは願わないけれど。 人間になることも望まなかったけれど。 彼の隣で、彼の支えになることを……夢、見ていた。 黒い学生服を着た少年は、中学生と間違えそうなほど無邪気な笑顔で、子どもたちと鬼ごっこをしていた。 その制服が江古田高校のものだと知らなかったら、きっと高校生だと気づかないままだったろう。 新一は高校二年生の一時期、ひょんなことから身体が幼児化し、『江戸川コナン』という名で、二度目の小学校生活を体験していた。 そのときのことを思い出した新一は、あの頃の自分は、ああも子どもたちにまぎれて他愛無い遊びに興じることができなかったなぁ……と、妙に感慨深げに彼らを見物する。 なにせ中身が十七歳。 無駄に理性があったため、小学生らしい遊戯に夢中になれるはずもなく、また、彼らと同化することに対し、どこか抑制をかけていた。 だが、目の前の彼は、本気で彼らとの遊びに熱中している。 彼は手を抜きながらも真剣に子どもたちを追いかけ、その中のひとりを、両腕を回しこむように捕まえたと思うと、きゃーきゃー楽しげな悲鳴を上げた子どもを、ぐるぐると回し始めた。 歓声が、ひときわ大きくなる。 逃げていたはずの子どもたちが、振り回されている子どもを羨ましそうに見ながら、彼の周りへと集まってくる。 そして「次はボクにやってー」「ずるーい、次はあたしだよ~」と、口々にせがむ。 少年は楽しそうに子どもたちをなだめて、順番に構ってやっていた。 そんな、キラキラと光がはじけるような笑顔と笑い声にあふれる風景。 事件は、深夜になってようやく解決した。 とはいえ、それは新一がいたからこその成果だった。 新一がいなければ、解決まであと数日はかかったことだろう。 人の良い刑事は新一に「車で送っていこうか」と申し出てくれたが、彼は高校生でもある新一と違って、連日その事件を調査していた。 それを知っていた新一は、さすがに気が咎めたので、その有り難い言葉を断り、ひとり家路を辿る。 夜風に少し当たりたいからという言い訳を使ったが、秋の夜はコートを着ていても少々肌寒い。 ブルリと身を震わせて、冷たい空気が入らないよう襟をかきよせる。 新一があくびをかみ殺しながら、公園の近くを通りかかったとき、視界の端に、キイキイと錆びついた音を立てながら揺れる影が映った。 薄暗いブランコを照らす、オレンジがかった街灯に、長い影が行ったり来たり。 それは昼すぎにも見かけた、あの少年だった。 黒い、学生服。 俯き加減で、表情も昼間と違って途方に暮れた迷子のような感じだったが、間違いない。 新一の危惧を裏付けるかのように、彼は小さくくしゃみをした。 「おい。 こんな時間に何してるんだ?」 呼びかけに、ゆるやかに首をめぐらせた彼は、新一の姿を目に留めて、驚いたようにまばたきした。 「何って……。 特に、何も」 少年は長い間言葉を発していなかったせいか、一瞬だけ喉が絡んだように声を詰まらせた。 「じゃあ質問を変えよう。 なんでここにいるんだ? 家に帰らないと、そのうち補導されるんじゃないか」 新一は話しながら彼との距離を縮める。 少年はぷいと顔を背けて、どうだっていいだろ、と小さく呟いた。 「まあ、そうなんだけどさ。 昼間は楽しそうだったのに、どうして今はしょぼくれてんのかが気になってな」 「見てたのか。 でも、昼間も今も事情は変わんねーぜ? ただ単に、親とケンカして、家出してきただけ」 不貞腐れながら、渋々、口を開く。 「家出って……」 いまどき、しかも高校生にもなって、家出するやつなんているのだろうか。 なにせ新一は、一人暮らし暦が長かった。 「オメー、金は持っているのか? こんなところにいたら風邪ひいちまうぜ」 反応を待っても、沈黙しか返ってこない。 この寒さのせいか、少年の頬や鼻の頭、耳たぶが、うっすら赤くなっているのが見て取れた。 「もしも行くアテがないなら、うちに来いよ。 オレは一人暮らしだし、部屋も余ってるからさ」 気がつけば、初対面なのにそんなことを言い出していた。 不審に思われても仕方がないのだが、新一はどうしても、彼の笑顔をもっと間近で見たいと強く思った。 彼が隣で笑ってくれる。 きっとそれだけで、あたたかくて、幸せな気持ちになれると確信に近いものを抱いた。 「……」 それに対する返答は、沈黙。 家出人にしてみれば、おいしすぎる提案だった。 少年は訝しげに眉根を寄せながらも、迷っているのか、視線を彷徨わせる。 「なあ、そうしろよ。 対価が気になるなら、そうだな……家事をやってくれよ。 そしたら、すげえ助かるし」 逡巡しているのを察知して、畳み掛けるように提案した。 あと、もう一押し。 「掃除でも洗濯でも料理でも、やることはいっぱいある。 それを滞在費にすれば、お互い気を遣うこともないだろ。 ……なあ、気が向いたらいつでも帰っていいからさ、自宅へ帰る気になるまで、うちに来いよ」 自分でもどこかおかしいと思うほど熱心に勧誘する。 この気持ちがどこから来るのか、新一自身にもよくわかっていなかった。 だが、そんな新一の熱意が通じたのか、少年の黒い瞳が、おずおずと新一を見返す。 「じゃあ……お世話に、なろうかな」 「よっしゃ! オレは工藤新一。 オメーは?」 「……カイト」 ガッツポーズをとった新一に返されたのは、下の名前だけ。 苗字を言えば自宅に帰されるか、警察に届けられると警戒しているのだろうか。 だが、探偵にあるまじきことかもしれないが、新一は彼が傍にいてくれるなら、素性は知らないままでいいとさえ思った。 「カイト、か。 なんかオメーにピッタリの名前だな。 それを逃さぬように捕まえると、力強く握った。 カイトが掃除をすれば、ハウスクリーニングが入ったのかと思うほど、どこもかしこもキレイになっていた。 照明の埃を取り払ったおかげで、部屋も明るくなった。 洗濯をしたら、タオル類はふわふわ。 シャツはきちんとプレスされ、しみがついていた衣服も、まるで新品のような仕上がり。 しかもほつれた衣服も、元の縫い目と見紛うほどの腕前で直されていた。 料理はどこぞのシェフ並。 和・洋・中と完璧だ。 そうかと思うと、素朴な家庭料理も作れたりして、幅が広い。 カイトが来て、まだたったの二日目にして、新一は感嘆の嵐だった。 現在も、ダイニングテーブルには、栄養バランスまで計算された食事が並んでいる。 今夜は和食だった。 「カイト、すげーな。 もしかして、なんでもできんじゃねぇ?」 新一は肉じゃがに舌鼓を打ちながら、向かいに座るカイトへ尊敬のまなざしを向けた。 それに、カイトが苦笑する。 カイトが何でもできるのは、オリジナルがそうだからだ。 しかも彼は、機械であるはずのカイトが、模倣するのも難しいほどの、天賦の才の持ち主だ。 彼は鬼才であることは隠しても、天才であるということは隠さなかった。 だから、この程度のことは、探偵という存在の前でも、おおっぴらに披露できる。 カイトはあくまでも、『快斗』を『なぞる』だけの存在でしかない。 新一が買ってきてくれた食材の中に天敵がいて、絶叫した記憶も新しいカイトは、それとなく目を逸らした。 その話題からオゾマシイものの姿かたちを思い出してしまいそうだからだ。 カイトの嗜好は、オリジナルと変わらない。 以前、なにもこんなところまで一緒にしなくてもいいのではと抗議したことがあるが、その辺りはオリジナルの記憶をそのままインプットした結果なので、製作者自身にも、どうにもできなかったらしい。 よって、カイトもその名前を聞いただけで体が竦んでしまう。 「オレは確かになんでもできるけど、結構『器用貧乏』なんだ。 それなりにできるってだけ。 もっとも、その基準が高いせいか、いつも友達に『うっそだ~』とか言われちまうんだよな」 「ああ、それはオレもだから、なんとなくわかる。 アマチュアでは高レベルまで行けるけど、その先……プロへ行くには何かが足りない、ってやつだろ。 オメーの場合はプロになれるが、超一流まではいかないといったところか」 「そうそう! 新一、話がわかる!」 理解を得られて手を叩いて喜ぶカイトに、新一は目元を和らげる。 「オレも、って言っただろ。 もっともオレの場合は家事じゃなくて勉強でだけどよ。 どの教科もそれなりにいい成績なんだが、実は知識そのものは広くて浅いんだよ」 「なるほどね。 たとえテストで満点が取れても、それだけじゃ足りないと思っているわけだ。 高校で習っているのは、ぶっちゃけ基礎の基礎だし?」 「そう。 オレが知りたいのはもっと踏み込んだことなんだけど、高校じゃやらねーし、独学だとどうしても偏っていくんだよ」 夕飯を口へ運びながら、新一も目を輝かせた。 同じような価値基準を持っている相手との会話が、楽しいのだろう。 カイトの口から出る言葉は、すべてオリジナルの記憶の分析結果にすぎないのだが。 「オレは探偵だから、ムラなく学んでいこうとは思っているんだ。 でも、まだ足りない。 オールマイティなんて無茶なことは言わないし、専門的なものは専門家に任せりゃいい。 だけど、基礎がしっかりしてないと、それがどの専門なのかとか、わかんねーだろ。 常にいろんな分野にアンテナを立てて、情報収集しないとな」 貪欲なまでに、高みを目指す。 そんな新一の姿に、カイトは目を細めるように笑った。 これが、『キッド』が唯一認めた『名探偵』なのかと思った。 キッドに関わる記憶がないために、ふたりの間に何があったのかは知らないけれど、キッドが新聞やテレビを見ながら、彼について話してくれたことがあった。 白馬などは遠慮呵責なく『ヘボ』と称する彼が、工藤新一を『名探偵』と呼んだ。 いろいろと『普通』の基準から外れるものの、キッドを知るカイトにとっては、それでも『普通』の範疇に入りそうな探偵。 この相手のどこが、彼をして『名』探偵とまで言わしめるのか、知りたくなった。 「それにしても、このゆでたカボチャにピリ辛のそぼろの組み合わせがなかなかイケルな。 オレ、カボチャなんていつも一切れしか食えねぇのに」 「だろ~! カボチャだけで食べると甘くてすぐ飽きちまうんだけど、これと一緒だと二個三個って食べれちまうんだよな」 他愛ない会話を続けながらもカイトは瞳の奥に油断ない光を秘め、新一の一挙手一投足を観察する。 どういう気まぐれなのか、カイトをテリトリーに入れた探偵。 カイトはキッドの不利になるようなことはしたくないが、興味がわいた。 本物の『黒羽快斗』なら、その申し出を断らないと判断して、彼の手を取った。 だからこそ今の状況は、その一点においては、裏切りだったかもしれない。 でも『快斗』を模倣するからこそ、拒みきれない。 彼は、カイトに「人間になる必要はない。 『黒羽快斗』になりすませるようになれ」と告げた。 無理して人間になろうとすれば、プログラムが破綻し、ジレンマという無限ループに陥るからだろうか。 或いは、彼は自分自身を人間だと思っていなかったのだろうか。 「なりすませるようになれ」という言葉には、「『黒羽快斗』にもなるな」という意味も含まれる。 だけどカイトは、少しでもオリジナルに近づきたい。 それならば、しばらくはここで『自分』を作るのも悪くない、と。 オリジナルのように、密かに唇の端を吊り上げた。 あまつさえ、彼を屋敷に住まわせているのだという。 あの、縄張り意識が強くて、自分の邪魔をされるのが大嫌いな『オレサマ』が、である。 興味を抱くなというのは無理だろう。 その男の子は、初対面の際、工藤新一がふたりいるのかと思ったくらい隣人にそっくりで、でも、朗らかに微笑んだ表情はまったくの別人だった。 まぶしさを感じるほど、一転の曇りもない笑顔。 それでいて、どこか包み込むように暖かい。 その笑顔が、そのまなざしが、その人物の内面を如実にあらわしていた。 見ているだけで、心の中にじわりと安堵に似たものが広がる。 そして、納得した。 何故、彼が、彼を求めたのか。 こんな人が近くにいたら、一緒にいるだけで幸せになれそうだと思った。 カイトが工藤新一宅に居候し始めて三日目。 インターフォンに呼び出され、玄関の扉を開けた灰原哀は、その優秀な思考回路の停止を余儀なくされた。 「やっほー、哀ちゃん。 パンプキンパイを作ったからおすそ分けに来たよ」 『明るい』を通り越して能天気なその声は、隣家に身を寄せるカイト少年のもの。 だがその姿は、どこから見ても『少女』だった。 カイトは胸元まで届くセミロングのウィッグをつけて、おそらく新一の母親のお古だと思われる白いドレスシャツに、淡い水色のフレアのロングスカートを着ていた。 ほぼノーメイクに見えるが、唇に艶やかな光沢があったので、リップクリームかグロスを塗っているようだ。 片手で戸を開けた姿勢で固まっている哀に、カイトは小首をかしげた。 その拍子に黒髪がさらりと肩から背へ流れ落ちた。 「……変、だった? このカッコ」 「あなた、女の子だったの?」 常日頃は冷静沈着な科学者だが、声が震えないようにするのが精一杯だった。 「いえいえ、ちゃんと男ですよー。 ただ、知り合いに見つかったら、いろいろ質問されたりして面倒そうだから。 オレ、家出人だし」 「ああ、そうなの……。 大丈夫、似合ってるわ」 いっそ似合いすぎて恐怖を抱くほどに。 哀はカイトを家に招き入れると、自らの想像を振り切るように軽く頭を振った。 カイトが『相当変わっている』ことを新一から聞いていたが、実際に目の当たりにしてみると、『常軌を逸しているくらい変』だった。 親とケンカして家出してきたというカイトは、初日、工藤邸へ到着するなり電話を借りて、「しばらく家に帰らないから」と母親に連絡したらしい。 しかも彼は工藤邸の電話番号を新一に訊ね、それも伝えたというのだ。 ケンカしたのは母親とじゃないからいい、というのがカイトの言い分らしいが、新一は後日、 「家出しておきながら家に連絡するヤツがいるなんて思わなかった……」 と、しみじみ述懐していた。 新一の定期健診をしながら、カイトについてあれこれ訊いていた哀は、 「一般的にはしないでしょうけど、今回はケンカしたと思われる父親に、行き先が伝わらなければいいってことでしょう? きっと、母親に心配かけたくなかったのね。 ……どこかの誰かさんと違って、親思いのいい子じゃない」 などと、あてこすりつきでコメントしておいた。 その後も新一は、カイトがどれだけ家事が完璧で、だけど大の魚恐怖症であり、目を潤ませて今にも泣きそうなところが可愛い、大の甘党でケーキをひとりでワンホール平らげたらご機嫌になったなどなど、のろけのようなものを延々と話していたので、三日目にして予備知識だけは豊富な哀だった。 「はい、どうぞ」 「おお、サンキュ! 哀ちゃんはどれくらい食べる? 半分? あ、まだちっちゃいから四分の一くらいがいいかな」 哀からナイフも手渡されたカイトは、嬉しそうにナイフをパイにあててスタンバイしている。 「普通はそんなに食べないわよ。 いつもなら十二分の一くらいだけど、今日は八分の一ほどいただこうかしら」 「哀ちゃん、少食だな。 オレの幼なじみはオレと同じくらい食べるんだけどな」 「……つかぬことを訊くけど、その幼なじみって男の子?」 「いや、女だけど?」 「そう……。 類は友を呼ぶっていうしね……」 最後はぼそっと呟いた哀の視線は右下斜め四十五度ほどに落ちていた。 変人の近くには変人が集まるようだ。 その変人の中に、哀自身はカウントされてないが、隣家の名探偵が彼女の感想を知ったらまず間違いなく、哀もその仲間に入れてくれることだろう。 「ああ、その言葉、よく言われるよ。 オレにはよくわかんないけど」 声は小さかったはずだが、しっかり聞こえていたらしい。 のんびりほえほえとカイトが笑う。 その間に、しっかりと哀の分を皿にとりわけ、彼自身はホールの半分をフォークでつついていた。 「なんつーか、誰ひとりとして同じ人間がいないんだから、全員個性的って思うのは当たり前だろ」 「確かにそうかもしれないわ……」 「そうそう。 ただまあ、一般的な『普通』って言葉に当てはめようとしたら、周りの奴らはほとんど当てはまらないかも」 『普通』というのは、非常に曖昧な統計。 人によってかなり基準が異なるものだ。 それでも、どんなものが一般的に『普通』と呼ばれるのか、カイトは客観性があるらしい。 「……そう。 じゃあ、あなたの目に私はどう映っているのかしら?」 哀は初対面の際に驚きで自失してしまい、子どもらしさを取り繕うことができなかったので、カイトの前で、猫をかぶるのをやめてしまった。 子どもらしくない子ども。 同年代の子たちと比べたら、自分は奇妙なほど冷静で大人びていると感じられることだろう。 だが、カイトの答えは哀の予想に反した。 「うーん、ちょっとオレの小さいときと似てる、かなあ。 いやいや、それだと哀ちゃんに悪い気も……」 しりすぼみになっていく声に、耳を疑った。 「いや、オレなんかを哀ちゃんと重ねたら哀ちゃんに失礼だよ。 実は無駄に頭がよかったせいで、いろいろ……ね。 ハスに構えていたというか周りをバカにしていたというか、ぶっちゃけ両親以外はほとんど内心見下してたな」 哀はあまり表情こそ変わらないものの、いぶかしげにカイトを見やる。 語られた内容が今のカイトと結びつかない。 昔のオレは『人』を知らないおバカさんだったってだけ。 勉強できるヤツが、勉強ができないからってだけで人をバカにしちまうような、そんな感じ」 「想像つかないわね」 哀は軽くかぶりを振って、吐息にのせるように言った。 「うん、そのほうがいいな、オレとしても。 今は違うんだしさ。 ……哀ちゃんはすごくやさしくて、面倒見がいいよな。 お姉さんがいたらこんな感じなのかな~」 紅茶で喉を潤していた哀が思わず手を止めた。 「……お姉さん?」 「そう、お姉さん。 「あらあら、それじゃあずいぶん大きな弟ができちゃうのね」 温かい紅茶を口にしているはずなのに、胃の腑の辺りに冷たいものを感じながら、哀はことさら明るさを装った。 「あはは。 これからもよろしく、哀お姉ちゃん」 カイトなる人物はとにかく『普通』の枠に当てはまらない。 たとえ何があっても『それがカイトならば在り得るかも』と思ってしまう。 そんな意識を、着々と刷り込まれていった。 ほんの些細な誤差に、右手から左手へよどみなく流れ落ちていたカードが、統制を失ってばらばらと床に落ちる。 無残な結果を見下ろして、ふ、と漏れる溜息。 与えられた客室で、月によって憂いに満ちた横顔が照らされた。 カーテンも引かず明かりもつけずに、月と闇を供にしての鍛錬。 こんな技量では到底、『彼』に追いつけない。 かの人は、自身との差異を極力なくすため、機械であるにも関わらず、触覚や味覚、痛覚などのもろもろの感覚をカイトに与えた。 さらに食事や排泄などの、人の生命維持活動に必要な機能に加え、涙や表面上の体温の変化なども、こまごまと付け加えたのだ。 カイトの動力源は電気エネルギーだが、日常を送る程度なら摂取した食料を燃料に変換するだけで充分だ。 それで体温も一定に保てる。 水分は冷却装置のために、定期的に入れ替えねばならないが、なにも涙や排泄という形で排出しなくてもよかった。 ……とはいえ、性的な機能は製作者本人が居たたまれなかったようで、皆無である。 それを除けば、オリジナルは自分の分身を、人間に見えるよう、精巧に作り上げたといっていい。 それなのに、何故か、マジックだけは上手くいかなかった。 いくら忠実に再現されていても、奇術だけはうまくできない。 記憶の中にある動きを、実際に表現しきれない。 論理だけで言えば、素早さもミリ単位のブレもない動きも、機械であるカイトのほうができるはずだ。 実際、可能だ。 なのに、マジックでだけは、それができない。 「これじゃ……ダメなのに」 奇術ができないと、『キッド』になれないのに。 落としたカードをぼんやりと見つめながらひとりごち、すとん、と落下するように床へ座り込む。 「このままじゃ……」 煌々と浮かび上がるましろな月。 真っ直ぐに降りてくる光を追うように、天を見上げる。 今日、テレビの生中継を見て、初めて予告状が出されていたことを知った。 予告が出されたのは三日前だったらしい。 それは、カイトが家出した日だった。 夕飯時、いきなり食事することを放り出して、テレビにかじりついたカイトに新一は驚いていた。 いろいろ訊かれたけれども余裕がなかったので、『快斗』のように「キッドのファン」だと言って、ほとんど新一のことを無視してしまった。 ……だけど、ただのファンにしては『心配』が前面に出ていやしなかっただろうか? もしかしたら、カイトとキッドとの間にある繋がりを、気取られてしまったかもしれない。 しかし、カイトには新一がどう思ったのかがわからない。 あのときは完全に、新一のことが頭の中からすっぽ抜けていた。 相手は、キッドが唯一認める『名探偵』だというのに、その目の前で、カイトはただひたすら、画面にキッドを探していたのだ。 カイトが何か知っているのだと、新一が動いてしまったら、どうしよう……? そんな不安に、今更ながら苛まれた。 「ごめん……」 カイトは今ここにいない彼を重ねて、月に謝罪する。 そのことが、彼の不利に働かなければいいと、切に願う。 しばし、眩しい月の光を見つめていたカイトは、迷うようにハンガーにつるした学生服へと視線を移した。 逡巡は、わずか二秒。 立ち上がった彼はポケットに入れていた携帯電話を取り出す。 充電器がなかったので、電池が切れていてもおかしくなかったが、まだ残っていたらしい。 ほっと息をついて、一度しか使えない番号をプッシュする。 コール音が二回ほど響いて、ほどなく、落ち着いた声が受話器の向こうから聞こえた。 「お久しぶりです。 お元気でしたか」 カイトを案じる、老紳士の声。 どこにいるのか知らないが、雑音が聞こえないところを見ると、どこか建物の中なのだろう。 「オレだけど……。 「ええ、ご安心ください。 本日はつつがなく終了しました」 「よかった……」 その言葉を聞いて、全身から力が抜けた。 「事情はうかがっております。 何かあればサポートいたしますので、そのときは『いつもの番号』へご連絡ください」 「サンキュ。 助かるよ。 あの方の無茶に比べれば、まだまだですよ。 それに、ぼっちゃまのお怒りはごもっとも。 寺井もぼっちゃまの意見に賛成です。 ですから、思う存分、あの方を困らせてあげてください」 茶目っ気のこもった声色に、カイトは破顔した。 「そっか! 困ってたんだ。 よかった……」 くつくつと肩を震わせて笑いながら、泣きそうに顔を歪ませる。 家出してよかった、と。 自分は間違っていないのだと、自信を持てた。 「気が済むまで、そちらに滞在されて結構です。 状態はこちらでモニタリングされていますし……何かあればすぐに駆けつけます」 「やっぱり知ってたんだな」 「ええ……すみません」 「いいって。 それが当然なんだし。 あ、そろそろ電池がヤバイみたいだ。 じゃあ……おやすみ。 ありがと」 「はい、おやすみなさいませ。 ……よい夢を」 本当の祖父のように感じられる言葉に、体のどこかが温まるような、そんな気がした。 手早く履歴を消すと、携帯電話の電源を落とした。 そして、ベッドへ飛び込むように突進した。 あたたかくてやわらかい、さらりとした感触が頬や手に伝わる。 製作者の彼はどこまでも天才で、こんなところまで再現してくれるから、自身との『違い』が、認めがたく、たまらなく辛い。 目を閉ざすと浮かぶのは、白い衣装。 それはどれも、メディアを通して垣間見たもの。 与えられなかったデータのせいで、近年の記憶は虫食い状態だった。 彼がキッドとして行動、発言していたと思われる箇所には、ぽっかりと穴があいている。 椅子の背もたれに体重を預けると、おとがいに手を当てて、思考にふける。 この違法行為が信頼を裏切るものとわかっていたが、どうしても気になってカイトの部屋に盗聴器を仕掛けた。 もとより、倫理観は大雑把だった。 罪悪感はあっても必要とあらばそれを実行できる。 否、謎を追い求めている間は、罪悪感すら抱かないのが探偵・工藤新一の常だ。 そして今、棚上げしていた罪の意識が押し寄せてきて、正直なところ新一は迷っていた。 聞こえたのは、カードを切るような音と、それを取り落とす音。 最初は本のページでもぱらぱらめくっているのかと思ったが、落としたときの音が軽かったのでカードのようなものだろうと見当をつけた。 そして、彼の嘆き……。 しばらくして、誰かと電話していたというのも、なんとなくわかったが、電話に盗聴器をつけたわけではないので、誰と話していたのかは不明である。 電話番号も、打ったときに電子音がしなかったので、探ることができない。 新一は、自覚こそないが絶対音感を持っているので、音さえすれば何番にかけたのかわかったのに。 快斗の言葉から、親しい誰かにケンカ相手の動向を訊ねているというのはわかった。 しかし、新一が一番気がかりで、問題としているのは、そのケンカ相手だ。 通常であれば、彼の「親とケンカした」という家出の理由をそのまま信じることができた。 だが、いかんせん、タイミングが悪かった。 何気なくつけたテレビの特番で、白い怪盗の犯行が生中継されていた。 カイトはそれを目にした途端、小さく息を飲んで、その藍色の瞳がこぼれおちんばかりに見開いた。 次いで彼は、持っていた食器をいささか乱暴な手つきで置くと、テレビの前へ飛んでいった。 食い入るような目つきで画面の前を陣取る。 ただならぬ、その表情。 いつも穏やかで、正の感情しか見せない少年の豹変に、新一は心の底から驚いた。 「……カイト、どうした?」 カイトは、新一の声が聞こえていないようだった。 画面の中では、怪盗の予告状の解説をしている。 怪盗の予告がマスコミにもれているのは、受取人である美術館の館長が公表したからのようだ。 暗号はすでに警視庁で解かれており、予告まであと数分らしい。 「おい、カイト……」 「ごめん、あとにして!」 再度声をかけたら、振り向きもされずに怒鳴られてしまった。 予告時間までの、カウントダウンが始まる。 犯罪者のくせに人気のある怪盗はファンが多く、プラカードを持った野次馬たちが美術館の前でキッドの名をコールしている。 月下の魔術師、平成のルパン、数多くの呼び名を持つ白き衣の大怪盗、その予告時間まで、あと十、九、八、七…… 新一の視界の片隅で、カイトが拳をさらにきつくにぎりしめた。 だが、何も起きることなく予告からさらに数秒が経過する。 二、三、四、五、六、七…… 実況中継をするはずのリポーターは、しかし、一言も声を発することなく、カメラも静けさに覆われた美術館の周辺を映し出す。 カイトも息を殺して、真剣なまなざしを画面からはずさない。 そんな彼の緊張につられたのか、新一もまたかたずをのんで画面に魅入る。 独特の清涼な空気と共に、鮮やかに、美術館の屋上へと広がった。 遠すぎて聞こえるはずのない、白いマントの翻る音が、聞こえた気がした。 瞬間、観客たちの声でビリビリとスピーカーが揺れた。 驚きに彼の横顔を見ると、ほっと表情を緩ませている。 「Ladies and Gentlemen!! 今宵は私のショウへご足労いただき、誠にありがとうございます」 声援に負けない、よく通る声で、大胆不敵な怪盗はマントをさばいて優雅に腰を折る。 だが新一は、目をキラキラさせて怪盗を見ているカイトから、目が離せなかった。 月を背に負った、白くて綺麗な怪盗を飾るに相応しい、蒼く美しい宝石だった。 野次馬たちはその光景に、ほぅ、と感嘆の息をつく。 その夢想を壊すように、怒号が響いた。 「待てえええええっっっ、キッドッ!! 」 この声は中森警部だな、と、新一は苦笑する。 姿は見えないが、彼は屋上の、キッドの背後にいるのだろう。 肩越しに後ろを少し振り向いた怪盗は、しかし余裕綽綽な態度で再び観客に向き合う。 「応援してくださった皆様に、この怪盗からささやかなお礼を」 光り輝く石はいつの間にか消えて、彼の周辺を花びらのようなものが舞っている。 どこからともなく現れ、風も無視した動きをするそれは、見る見るうちに増えていく。 「総員、キッドを確保だ!! 花となって消えた怪盗に、夢のような世界に浸っている観客たち。 しかしカイトは、キッドが消えたあたりを、どこか不安そうに見つめていた。 「なあ、カイト」 新一の声に、カイトは体を震わせた。 「……っ、ビックリした。 何?」 胸を押さえながら、きょとんと見上げてくる無邪気な瞳に、新一は口ごもる。 「あの、さ……食事……」 「あ! ごめんごめん、今から食べる。 オレ、キッドのファンだからさ~。 今日、予告日だって知らなくて、焦っちまったぜ」 装ったような明るさで、カイトは新一から目を逸らしてテーブルに戻った。 ……だが、そのときから新一の疑念は晴れない。 あれは、ファンの反応ではなかった。 カイトの様子は、そのはしばしから、キッドを心配するものに感じられた。 コナンの姿であったときに、怪盗が何者かに狙撃されているのを、目撃していた。 ただのファンはそんなことは知らないし、怪盗によって夢だけを見せられている。 怪盗を心配するカイトは、そんな怪盗の裏事情を知るほど親しいのだろうか。 それともコナンのように、たまたまその現場に遭遇したことでもあるのだろうか。 どちらにせよ、ただのファンではありえない、なんらかの繋がりがありそうだと、新一は結論付けた。 ふわああああ、と。 目に涙をにじませながら、大あくびをした新一は口を手のひらでおおった。 昨日は結局、あまり眠れなかった。 イヤホンを引っこ抜いて、すぐにベッドへ横になったのだが、つらつらと推理を並べ立てる脳は活動を続けてしまい、眠りを遠ざけた。 ようやく眠りの波が訪れたのは朝方で、しかし出席日数が常にピンチな探偵は学校を遅刻することも休むこともできなかった。 それでも、二時間目の途中で目暮警部から電話がかかってきて、事件現場に呼び出されてしまったのだが。 今は、警視庁での事情聴取を終え、それに立ちあった新一も帰路につくところである。 事件の最中は忘れていたが、新一の頭の中は再びカイトに占められていた。 脳裏に浮かぶ、テレビに釘付けのカイトの姿に、もやもやとした不快感が胸を支配する。 これは、一晩考え、否定し続けたものの、嫉妬でしかなかった。 怪盗に嫉妬なんて、懐かしい。 コナンであった頃は、本来自分が持っているはずのものをたくさん持っている怪盗に幾度となく抱いたものだ。 悠々と、気ままに生きているような姿にも、どんな危機も自らの能力で乗り越えていくところにも。 元の姿を取り戻してからも、怪盗にヤキモチを焼くなんて、思いもしなかった。 カイトと怪盗の繋がりを知りたい。 だが、カイトに直接質問はできないし、苗字も聞かなかったから素性を調べることもできない。 ……いや、やろうと思えばいくらでもできる。 顔を知っている。 学校だってわかる。 苗字はわからないが、名前だって知っているのだ。 カイトの学校へ行けば、すぐに判明してしまうだろう。 だけどあえてそれはしない自分に、新一は戸惑った。 失うことを、恐れているからだろうか……。 最初に、カイトを家へ誘ったときにも、素性はわからなくていいとさえ思った。 そんなことをぼんやりと考えながら、勝手知ったる警視庁の内部を歩いていると、意外な人から声をかけられた。 「工藤君!」 振り向き、新一は微かに瞠目した。 口元にひげを生やした男性は、探偵を毛嫌いしているはずの、二課の刑事。 「……中森警部?」 「工藤君、……まぁ、その……なんだ……」 声をかけた中森は渋面を作りながら、目を逸らしがちにしている。 普段、子どもが捜査に加わるのはけしからん、と鼻息を荒くしているだけに、どういう態度をとっていいのか、わからないのかもしれない。 気を取り直すためか、中森が咳払いをした。 「あー……快斗君が君のところで世話になっとるそうだな。 どうだ、元気にしとるかね」 その言葉に、新一は面食らった。 そして、新一が今まで目にしたことのないような、やわらかな顔で笑った。 「ああ、快斗君から聞いてなかったか? 彼はうちの近所に住んどるんだよ。 「そうなんですか……」 思わぬところからカイトの名前が出て、新一はまだ呆然としていた。 情報がうまく脳に伝達されない。 まばたきを数度繰り返す間に、なんとか平静を取り戻す。 中森は、カイトの母親が彼の所在を教えるほど、親しいらしい。 新一は思い切って、気になっていることのひとつを中森に訊ねた。 「……そういえば、カイトは父親とケンカしたと言ってましたが、警部はケンカの原因をご存知ですか?」 「は? 何を言っているんだ、快斗君の父親は九年前に亡くなっとるだろう?」 カイトは『親』とは言ったが『父親』とは口にしてない。 「知らなかったのかね? 快斗君の父親は、黒羽盗一という、世界的にも有名なマジシャンだったんだが……」 「くろば……って、もしかして、『東洋の魔術師』……?」 オウムのように言い返した。 常ではありえないほど、頭の動きが鈍かった。 それでも、有名なマジシャンの異名が、自動的に口からとび出てきた。 「そうだ。 よく知っとるな。 快斗君も盗一君のようなマジシャンを目指してるが……ワシは快斗君の母親から、家出の原因はスランプと聞いていたんだが、違うのかね?」 怪訝そうな中森に、返事もできず。 東の名探偵、日本警察の救世主、平成のホームズと謳われる工藤新一は、らしくもなく、その思考を完全に停止させてしまった。 シルクハットで顔を覆っていたが、彼は心配性の老人がどんな表情をしているのかわかった。 キッドが作製し、丹精込めて育ててきた『快斗』が、米花町の幽霊屋敷、もとい、工藤邸の居候になっている。 キッドが唯一、『名』をつけて呼ぶ探偵。 彼の倫理観は独特で、魔女をして悪魔のように狡猾と言わしめたほど腹黒い。 そんな探偵を相手にして、『快斗』がキッドとの繋がりを隠し通せるとは思えない。 彼がロボットだと悟られてしまったら、一巻の終わりだ。 あの探偵を騙しきるような技術力を持った人間は限られている。 キッドとて、幾度も変装を見破られているのだ。 ブルーワンダーのときも、使い捨てとはいえ自動人形使っちまったしなぁ……。 あれは『快斗』と違って感情プログラムも、『快斗』の記憶も持っていない、足を動かすだけの人形だったが、キッドがそういうものを作れるのだと、連想するには充分な材料だった。 そもそも、あちらの『快斗』がロボットだと露見したあとで、『黒羽快斗』が実在していることが知れれば、疑う要素満載である。 不審極まりない。 いつもキッドに対して素直で、ひたむきにキッドの役に立とうと頑張る『快斗』は可愛かった。 ある意味で自分の分身なのだが、そうとは思えないほど純真で、キッドの癒しとなっていた。 キッドは弟がいたらこんな感じなのかな、と、江戸川コナンを相手にしても抱かなかった感想を持ったほどだ。 ちなみに、小学一年生のナリをしていたときの工藤新一は、キッドにとってひたすら凶悪だったので、可愛いとは思えなかった。 むしろぶりっこされたら怖かった覚えがある。 そんな手中の珠を、天敵の探偵に掻っ攫われてしまった。 初めてやらかしてしまった大喧嘩だけでもヘコんでいるのに、これは追い討ちだった。 謝ろうにも迎えに行こうにも、すねに傷を持つ身なので、キッドはうかつに動けない。 探偵に背後を探られては大いに困るのである。 だいたい、そのようなことになってしまったら、なんのために『快斗』を作ったのかわからない。 『黒羽快斗』がふたりいると知られてしまうことも、また同じ。 キッドの無反応さに、説得を諦めたらしい初老の紳士は、狸寝入りを続ける主にコーヒーを淹れてくれたらしい。 腹筋だけで半身を起こしたキッドは、差し出されたカップを、小さな礼と共に受け取る。 薄めにいれられた、茶色がかった黒い液体に、ゆらゆらと無表情な己の顔が映っていた。 こんな、観客がいないときでもポーカーフェイスができている自分に心の中で苦笑した。 湯気をたてる液体を吹き冷ましながら一口すすれば、ほのかな甘みと、次いで苦味が広がる。 あたたかなものに、体の中がほぐれていく気がした。 何も知らなかったころの、無邪気な子ども。 そして、好敵手となりうるほどの思考能力を持ち、光の中を歩み続ける同年代の人間。 どちらも、キッドが既になくしたものを持っている者たちだった。 ただただ、その幸を祈るように、瞑目する。 計らずも、手を離すときが来たようだ。 しかも本人はこちらの心境などつゆ知らず、無傷のまま飄々と手を振ってくださった。 いちいち驚くのもバカらしくなった哀は溜息をついた。 「……あなた、サルみたいね」 慣れたくなんてなかったが順応させられてしまったことに、皮肉げに歪む口元。 「うわ、ヒドッ! これくらい新一もできるだろ。 二階から地上までの差なんて、オレの身長にプラス一メートルくらい。 ここん家はデカイからそれよりありそうだけど、そんなもんだぜ」 カイトは気にした風もなく、あっけらかんと言ってのける。 「確かに、運動神経のいい人はケガすらしないでしょうけど、普通はしないわよ。 見ていてハラハラするわ」 「あー……そっか、ごめんな? 心配をかけるつもりはなかったんだけど、普段オレが三階から飛び降りても、誰も気にしないから、すっかり忘れてたぜ」 いつものごとく、さらりと爆弾を投下したオコサマは、申し訳なさそうに肩を竦めた。 少年はそのまま助走もつけずにひらりと門を飛び越え、阿笠邸の敷地へ降り立った。 彼のお陰で哀の中にある『常識』の二文字の存在は、風前の灯だった。 哀が研究の合間に、気分転換として焼いたクッキーを、カイトは満面の笑みを浮かべながら、非常においしそうに平らげていく。 その天真爛漫な表情は三日前となんら変わりないのに、それを見つめる少女の眼差しが憂いに翳る。 昨夜、警視庁から戻ってきた新一が自宅へ直行せずに、哀の下へやってきた。 「……カイトの素性がわかった」 お茶を出そうとする哀の背に、単刀直入に切り出した辺りは、彼らしかった。 哀はキッチンでお茶をいれただけでなく、おそらく夕食も満足に取ってないであろう新一のために、鍋焼きうどんも作ってきた。 戻ってきたとき、彼はむっつり唇を引き結び、気難しい顔をして考え込んでいた。 新一が何か口を開く前に、哀は彼に食事をすすめた。 哀に頭の上がらない新一は、大人しくうどんをすする。 阿笠博士はもう遅い時間帯なので、一足先に就寝しているせいか、家の中はどこかひんやりとした空気が漂っていた。 博士の穏やかさに、普段どれほど救われているのか、こういうときにくっきりと浮かび上がってくる。 「それで、何があったのかしら? 素性がわかっただけではないんでしょう」 食べ終えた頃合を見計らって、口火を切る。 哀に促され、新一は警視庁で中森警部に会ったこと、カイトが彼の隣人であることを、ぽつりぽつりと話し出した。 父親は九年前に他界しているらしい。 警部はカイトの家出の理由を、『マジックのスランプ中で、そこから脱するまで誰にもマジックを見せたくないから』だと聞いているようだ」 ただならぬ深刻さは消えないが、哀はその理由がわかって、少しだけ安堵した。 「それであなたは、彼がウソをついたと思ったわけね」 こくりと、江戸川コナンの名残か、幼い動作で頷く新一。 哀は、食事を作るついでに自分のために淹れたコーヒーで喉を潤す。 「彼は確かに『親とケンカした』と言ったけれども、『父親』とは言ってないわ。 私たちが勝手にそう解釈しただけ。 たとえば、名付け親や、親のように慕っている『誰か』がいるかもしれないわ」 弾かれたように新一が顔を上げた。 底の知れない青い瞳に射竦められ、舌先が凍りつく。 「キッド……かもしれねぇと……オレは考えてる」 憶測を滅多に口にしない新一が、哀にそう告げるということは、かなりの高い確率で確信があるのだろう。 きつく、眉根が寄せられた。 そのまま彼は俯いて黙り込む。 らしくもなく取り乱していたのは、それだけカイトと一緒にいたいからだろう。 「工藤君が……」 新一の視線が逸れ、呪縛から解き放たれた哀は溜息をついた。 「それと……カイトを疑う自分が嫌だ」 搾り出すような声色が、苦悩の深さを物語る。 重苦しい空気は相変わらず拭えないものの、哀に話すことで落ち着いて分析ができたのか、新一の雰囲気から硬質さが取れた。 「それで、工藤君はどうしたいの?」 問いかけに対して、ためらいがちに唇が開かれた。 「そういえば工藤君、今日も警視庁へ行っているのね」 「ああ、そうみたいだ。 警察は新一を頼りすぎだぜ。 昨日も遅く帰ってきてさぁ……夕飯は食べてきたみたいだからまだよかったけど、どうにかならないものかね。 あれじゃ、身体壊しちまいそうだぜ」 思い出すように哀が告げれば、クッキーに夢中だったカイトも呆れを隠さずに愚痴めいた心配を零した。 「あら、まだ聞いてなかったの? 工藤君、昨日は帰り際に中森警部に捕まって、あなたのことをよろしく頼まれたみたいよ」 何の気もないように装って、それでも意識はつぶさにカイトを見つめる。 だが、カイトはまったくもって通常通りだった。 「なんだ、遅かったのは哀ちゃんのところにも寄ってたせいか……。 そういや、警部も警視庁だもんなー。 警部、なんだって?」 カイトは新一が、昨日は帰りが遅かったから話さなかったのだろうと、納得しているようだ。 「さあ? 詳しくは私も知らないけど……工藤君、警部からあなたの家出の理由が『マジックのスランプ』だと聞かされて驚いたって言っていたわ」 「ふ~ん、おふくろ、そういうことにしたんだ」 クッキーをくわえたカイトは、ぱきんと半分に折る。 「じゃあ、本当は違うのかしら?」 「半分はそうだけどね。 本当の理由はオレが新一に言ったので正解」 すがすがしいほどあっけらかんとしていて、やましいことなど、何もなさそうだ。 情報を小出しにして反応を見ていた哀は、あまりの手ごたえのなさに内心、首をかしげた。 「ではお父様と、何が原因でケンカしたの?」 あえて父親の不在を知らぬふりをしたまま訊ねる。 「ん? あ、違う違う! 親父じゃねぇんだ。 血の繋がりはないけどさ、ただ、オレにとっては『親』としか言いようがないんだよなぁ……」 クッキーに伸ばしていた手を引っ込めて、どこか懐かしむように、頬杖をついた。 彼は、訊けば答えてくれる。 カイトに気づかれないよう溜息をついた。 哀も、カイトと話すのはキライではない。 自分を偽らなくていいし、斬新でおもしろいとさえ思える。 それに彼といるその空間は心地よいと、出会ってからたった数日しかたっていないのに、心を許している己に驚く。 「ちなみに、ケンカの原因は意見の不一致! オレが『絶対イヤ!』って思ってることをしようとしたからなんだ。 あ、何かはナイショな、口にするのもイヤだから」 悪戯っぽくウインクするカイトに、哀は思わず笑みを零した。 「それに、二日前に知り合いに電話したら、オレが家出して困ってるっておしえてくれたんだ! 向こうが反省して『アレ』をやめてくれたら連絡もくるだろうし……そのときは哀ちゃんたちにも紹介したいな」 ワクワクとこれからのことに思いを馳せる。 前向きな人と一緒にいると、それが自分にも伝播するような気がして、楽しくなる。 「早くその日が来るといいわね」 「うん!」 まるきり子どもそのものな返事に、哀はくすくすと声を立てて笑った。 新一から、夕飯はいらないと連絡が入って、カイトはそのまま阿笠邸で食卓を囲むことになった。 料理上手なカイトと哀が協力しながら調理するのを、博士が孫を見守るようにニコニコしている。 と、こっそり哀にだけ告げられた言葉に、少女が破顔する。 「いつもみたいにあなたが女装すれば、姉妹になれるわよ」 ここ数日は、隣に来るだけなので女装することがなくなっているが、カイトは買い物などの外出の際は未だに女装している。 「なら、オレとおそろいの服でお出かけなんてどう? オレってひとりっ子だから、ちょっとやってみたいんだよね」 「おお! それはいいのう! ワシもぜひ見てみたいわい」 「あら、私としたことが墓穴を掘ってしまったわ」 思わぬところから熱のこもった反応が返ってきてしまって、哀とカイトは顔を見合わせ、声を立てて笑った。 いつもは二人で囲む食卓も、三人になると、とてもにぎやかなものとなる。 少年探偵団といるときのように、哀も自然な笑顔だった。 BGM代わりにしていたテレビから、そのニュースが流れても、彼は常と変わらなかった。 「あ、これ、この間の映像だ。 予告状が出されたのは、オレが丁度家出した頃だったからチェックしてなくてさ。 犯行当日にテレビ見たとき、焦ったのなんのって」 テレビの中では二日前の怪盗キッドの犯行を取り上げており、その再現VTRが流れていた。 幻想的な風景は、いつ見ても意識をそこへとらわれてしまう。 束の間、食事の手を止めていた三人は、ほぼ同時に感嘆の息を吐いた。 「そういえば、また予告状が出されているみたいよ。 今日、工藤君が警視庁に行ったのも、そのことで中森警部に相談されたからだって、さっき電話で言ってたわ」 「へ~! それ、まだテレビでやってないよね?」 「そうみたいね」 カイトが再びテレビへ意識を向けるが、すでに画面は別の話題に移っていた。 新たな予告状が公表されていれば、あっさり話題が切り替わるはずがない。 「うーん、新一に訊いたらダメかなあ」 探偵には、守秘義務がある。 きっと難しいだろう。 うんうん唸るカイトに、博士が助け舟を出した。 「ためしに訊いてみてはどうかのう。 もしも予告状が公開される予定なら、一足先に教えてくれるじゃろうし、ダメでも怒りはしないじゃろ」 「あ、そうだね! そうしよ~っと」 うきうきと、いかにも幸せそうなカイトを見つめながら、和やかに夕食タイムは終了した。 哀がカイトの反応に違和感を覚えたのは、後片付けのときだった。 「洗い物なら、オレに任せてくれちゃっていいからさ。 哀ちゃんは先、お風呂入っといでよ。 明日も学校があるんだし、早く準備して寝ないとね」 学校のことを言われて、哀はふと思い出した。 哀に話しかけたときの表情もそのままに、カイトの動きが、完全に停止している。 我知らず、背を、冷たいものが駆け抜けた。 普段とのギャップがありすぎて、恐ろしい。 「あ……」 小さな声を漏らしたカイトが、ゆっくりとまばたいて、動きを取り戻す。 硝子玉のような瞳に、感情の彩が映し出された。 こんなのは、予想と違う。 不意打ちもいいところなそれは、カイトの反応を知りたいと、哀にあれこれ指示を出した新一も、想定外だろう。 「そう……だね。 気が向いたら、行こうかな」 いつもより少し沈んだ声に、どこかぎこちなさは取れなかった。 ……種は、蒔いた。 あとはどんなものが芽吹くのか待つのみ。 走る悪寒に、我が身を抱くように腕をさすった。 嫌な予感が、する。 何かがおかしいと、カイトの頭脳が、心臓が、警鐘を鳴らしていた。 カイトに勘なんてものはない。 もうひとりの自分、『黒羽快斗』としての考え方、価値観、行動パターンなどといったデータを元に統計をとり、分析した結果だった。 それはとても根拠ある、予感。 なんとか平静を装ったまま阿笠邸を辞して、誰もいない隣家へ戻ったカイトは、玄関の扉にもたれかかるようにずるずると座り込んだ。 カイトは、『黒羽快斗』がふたりいるというのを知られるのはまずいので、外出する際は必ず女装した。 最近は、阿笠邸だけなら素のままで行き来しているが、誰にも目撃されないよう、細心の注意を払っている。 でもキッドは用心して、学校に通わなかった。 哀から伝えられた中森の言葉を額面どおりに受け取れば、それだけのはず。 機関のどこかが囁きかける。 しきりに訴えてくる恐ろしい予感に、我知らず身体が震えた。 カイトにインプットされている最優先事項は、『黒羽快斗になりすますこと』。 その命令によって、カイトは何があっても、『黒羽快斗』の価値観に従って行動する。 だから彼にジレンマというものは存在しない。 普通の機械なら、矛盾する命令があれば、不具合が起きて機能が停止してしまう。 良くも悪くも、機械は命令されたことしかできない。 でもカイトは『快斗』としての記憶がある。 多くの行動例がある。 一見、矛盾しているような心理も行動も、『快斗』が過去に行ったそれらと照らし合わせ、分析して、最適と思われる行動をとれる。 命令された、その最優先事項に従っているだけでいい。 これまで、どんなことがあっても、カイトは命令を守っていた。 なのに、それを取り落とした。 哀の言葉に、それほどの衝撃が襲った。 最優先事項を忘れかけたのだ。 よくも、その時点でクラッシュしなかったと思う。 さほど間を空けずに切り替わったものの、それでもタイムラグができた。 それを哀に不審がられなかっただろうかと、気を回す余裕すらなかった。 失うことが、とても怖い。 それは『黒羽快斗』が父親を失ったときの心の動きに似ていた。 心が冷え切って、身動きがとれない。 忠実すぎるほど、カイトは彼を模倣してしまう。 冷え切った玄関で膝を抱えたカイトは、静寂を引き裂く電話の音に、ビクンと身体を硬直させた。 呆然と顔を上げると、人を急かすような音はしつこく鳴り響いている。 のろのろとだるそうな動きで発信源の前にたたずんだカイトは、迷いながら受話器を手にした。 」 その声を耳にして、カイトは一筋の光明を見た。 「……ぼっちゃまですか?」 寺井の口上を遮るほど勢い込んだカイトの様子に、機械の向こうで戸惑う気配がした。 彼はきっと、カイトの状態に異変が起きたことを知って、連絡したのだろう。 「うん。 あのね、オレ、寺井ちゃんに聞きたいことがあるんだけど……」 カイトはこれ幸いとばかりに、予告状のことを聞こうとしたが、盗聴を恐れて、躊躇った。 使っているのは工藤邸の電話だ。 盗聴器を、新一本人ではなくとも、新一を目障りに思っている者が仕掛けているかもしれない。 何しろ彼は有名な探偵であり、多くの事件に関わってきている。 誰かに怨まれていても不思議はないし、誰かに利用されそうになることも珍しくはない。 カイトは今、その能力の大半を封じられている。 よって、盗聴器の探知なんて芸当はできないのだ。 しかもそれを探知できるようにするための封印の解除は、キッドしかできない。 「よろしければ、明日、店に来ていただけますか?」 「うん、そうする。 ……大丈夫、一日くらい遅れても、まだ間に合う、よな……?」 それに対する返答はなかった。 「いつでもよろしいので、いらしてください。 ……何か用意しておくものはありますか?」 「あ、服がほしいかな。 しかし振り向くことはせずに、電話に集中しているふりを続けた。 「どのような服にしましょうか」 「寺井ちゃんの見立てに任すから、オレの部屋からテキトーに持ってきて」 「はい、ではそのように」 「あ、新一? おかえり~!」 カイトはたった今、接近する新一に気づいたそぶりでちょっとだけ顔を上げた。 「ただいま」 新一は電話の向こうに気遣って、小さな声でいらえた。 「おや、ではそろそろお暇しましょうか」 「うん、おやすみ、寺井ちゃん」 「おやすみなさいませ」 受話器を置くと、新一がリビングに向かいながら苦笑した。 「……別に、急いで切ることなかったのに」 「んー、でも、ちょうど話も終わったところだったし」 「今の……カイトのおじいさん?」 「血の繋がりはないけどな。 寺に井戸の井って書いて、ジイって読むんだ。 『おじいちゃん』っていうには、ちょーっと若いんだけどな」 ソファに腰を下ろした新一のために、コーヒーを淹れてやりながら答える。 「いろいろ近況とかおしえてもらってるんだ。 あ、明日、オレ出かけてくるな。 着替えも家から持ってきてもらうんだ」 「そっか」 どっかりソファに陣取っている新一は、ネクタイをはずしてブレザーを脱ぐと、ごろんと横になった。 彼の端正なかんばせには、疲労の色が濃い。 「新一、なんか疲れてない? 中森警部の相談って、そんなに大変だった?」 「ああ……。 警部のお陰で耳が痛いのなんのって」 ぼやく新一に、カイトは実感をこめて頷いた。 テレビで中継を見ていても、中森警部の声は、遠くからでもかなり響く。 「中森警部も有能なんだけど、あの人、いっつも自分が先陣をきるからな。 たぶん、いつもキッドに逃げられるのって、そのせいだぜ。 距離を置いて全体を把握しながら指示を出せば、惑わされることも減るはずだ」 「ああ、中森警部、キッド逮捕が生きがいだからね。 もう何年も追ってるって言ってたし」 生き生きとキッドを追う警部の姿は見ていても気持ちがいい。 あまりにもキッド一途で、清々しいというか、微笑ましくなるほどだ。 「ほかにもいろいろ、キッドの資料を一式見せてもらって、対策したせいかな。 最後はもう、声がかれるまで怒鳴ってたぞ、あの人。 かなり意見を戦わせたせいか、オレも喉が痛てぇや。 ……でも、これで……次こそは捕まえるさ」 仄暗い炎を燃やす瞳は、天井ではなく、虚空を見ていた。 否、彼の瞳に映っていたのは、キッドかもしれない。 「へー……そういえば哀ちゃんからも聞いたよ。 予告状の暗号は解けた?」 「いや、今回は暗号じゃないぜ」 「え? 暗号じゃないのに参加してるんだ?」 できあがったコーヒーを新一の前に置いたカイトは、向かいのソファに座って首をかしげた。 「ああ。 別にオレは、暗号だけが目的じゃねーからな」 「そうなんだ……。 なあ、予告がいつかおしえてもらっていいか?」 「いいぜ。 予告を出されたデパート側がもうマスコミに公開しちまったらしいからな。 どうせ明日には正式発表されるだろうし……。 予告は三日後の二十時四十五分、ターゲットは東越デパートに展示されている、『永久の炎』というルビーだ」 「うっしゃ、見物に行こ~っ! サンキュ、新一!」 カイトは学校で『快斗』がするように、ガッツポーズをする。 子どもみたいなはしゃぎ方をするカイトを、新一は微笑ましそうに見守っている。 カイトは彼の瞳の奥に、油断ならない光が宿っていることに気づかなかった。 翌日、カイトは寺井が経営する、ブルーパロットへ足を向けた。 本日休業と張り紙をしてある扉をくぐると、寺井は待ちかねていたようにカウンターから出てきた。 「お待ちしておりました、ぼっちゃま」 新一の母親の服を借り、念入りに女装しているカイトを見ても、寺井は動じなかった。 慌てず騒がず奥の住居スペースへ案内してくれる。 それ以降は互いに無言で、カイトは寺井が機械を使って盗聴器のたぐいが仕掛けられていないかチェックし終えるのを待つ。 キッド特製の機械は、何の反応も示さなかった。 「……問題ないようです。 早速ですが、相談というのは今朝発表された、予告のことですね」 「違う……いや、違わない、か?」 「ええ、違わないでしょう。 瞳は驚愕に見開かれ、唇が震えた。 「やっぱり……キッドは……ッ!」 続きは、言葉にならなかった。 あのときの、数日前の彼の言葉が、耳の中で木霊して離れない。 こんな偽りの存在が、あなたに成り代わり、あなたの居場所を奪うなんて、許されない。 自分自身が、許さない。 「オレ……、オレ、なんか間違った!? なあ、どうしてだよ!? 」 必死の表情ですがりつくカイトを振り払えもせずに、寺井は痛ましげに顔をそらした。 彼を模倣した細くしなやかな指が、小刻みに震えている。 強張るほどに、血の気を失うほどに力を込められ、白く白くなっていく。 「オレはキッドを手伝いたい。 けど、こんなのは嫌だッ! どうしたらいい!? 」 ぼろぼろと頬を濡らす雫が、体内で熱を持ちすぎた機関を冷やすためにあふれているのだと理解していても、寺井は直視できない。 腕に食い込む手を、振り払えもしない。 カイトが家を出たのは、最初は最良の選択だったろう。 キッドに都合が良すぎるほど、カイトを預けられる環境が整っていた。 優秀な発明家は、ロボットであるカイトを修理できる。 偶然とはいえ人を若返らせる神秘的な薬を生み出した薬学者はその他の医学にも精通しており、カイトを精神的にもケアできるだろう。 そして、キッドと酷似した容姿で、さらに気質までよく似ている探偵。 カイトはあっさりと探偵の存在に馴染んだ。 カイトが積極的に世話をやいたのは、彼がキッドに似ていたせいもあるだろう。 確固とした価値観を持つ彼は、これからカイトがさらに成長していくための、人間のお手本としても悪くなかった。 だが、寺井はそれを口に出来ない。 それはカイトをさらに追い詰めることにしかならない。 「なあ、助けてくれよ! たすけて……おしえて……? オレは、どうすれば……いい……?」 消えていく悲痛な訴えに、ただただうなだれる。 すすり泣きは、冷たいコンクリのカベに吸い込まれることなく、反響した。 カイトは小一時間ほどかけて、ようやく落ち着いた。 そうそう、泣いてばかりもいられなかったのだ。 寺井が用意してくれた砂糖とはちみつ入りのホットミルクを飲みながら、状況説明に耳を傾ける。 寺井は昨日、カイトのパラメータに機能停止と見られる変化があったことをキッドに知らせようとしたのだが、連絡がつかなかったこと。 そして連絡の取れない状態が今も続いていることを話した。 キッドは独自に動いて連絡を絶つこともしばしばだった。 常ならば、心配こそすれ、ここまで慌てない。 しかし、彼がカイトを作った本当の理由がわかっている今は、とうてい安心できなかった。 「あのさ、今回のターゲットのこと、何か知ってるか?」 「一通りは調べました。 ただ、あの方は、この石の名前は気になるものの、探し物である可能性が低いとおっしゃっていたのですよ。 展示の期間も長いですから、スケジュールに余裕があったら盗む、とも」 「そうか……それならあんまり危険はなさそうだ」 「それは、一概に言いきれません。 組織側でも名前を気にして目をつけている可能性があります」 キッドの言葉がどこまで本当なのかわからなかった。 彼は本心を覆い隠すことがうまい。 「可能性が低い」という発言は、この状況を見越してのフェイクである可能性が高かった。 「うん……でも、どうしても話がしたい。 連絡が取れないなら、オレが出向かなきゃな」 警察や探偵は気づいていないが、中継点ならば予告状に書いてある。 それは、暗号でないときの予告状特有のものだ。 解き方を知っていれば、それが暗に含まれているとわかっていれば、発見できる。 そのことを、『快斗』の価値観を知るカイトは、誰に教えられるまでもなく、予告状を見ただけで読み解けた。 「……わかりました。 では、寺井がサポートいたしましょう」 カイトは完全に決めてしまっている。 こうなっては、決して退かないと、『快斗』をよく知る寺井はわかっていた。 潔く諦めて補佐に回ってくれるという寺井に、カイトはずっとこわばっていた頬を緩めた。 「サンキュ。 頼りにしてるぜ」 寺井と作戦を練ったカイトは、カイト自身が新一に疑われているであろうことを、寺井に教えられた。 カイトが予告状の内容を一足先に教えてもらえたのも、哀にいろいろと話を振られたのも、そのためだと言った。 だけどカイトは帰宅してからも、新一の探るような目を気にしないことにした。 家の中はぎこちない空気が漂ってしまったが、それも受け流した。 現在、最優先すべきことはキッドと話をすることだった。 そうして迎えた予告当日。 新一は朝からキッド捜査に加わることになって、カイトどころではなくなった。 カイトはキッド見物に行くと宣言してあったので「もしかしたら、帰りは一緒になるかもしれないな」なんて、冗談を交えて新一を見送った。 あとは普段通りに家事をして、時間をつぶす。 夜が来ると、早めに夕飯を食べた。 そして食器を片付けると、恒例の女装をして家を出た。 新一が本当にカイトを疑っているなら、哀と阿笠博士に頼んであとをつけさせているかもしれない。 だが、それを確かめ、無理にまく必要はない。 デパート周辺はキッド見物に来た人たちであふれているから、彼らは人ごみで自然とカイトを見失ってしまうだろう。 盗聴器や発信機の対策として、女装して家を出たカイトは途中で動きやすい服に着替えた。 借り物の服はロッカーに預ける。 あとから何か言われても、キッドの追っかけにスカートは不向きだというのは、言い訳として妥当だ。 人波を縫うように黙々と歩いて、誰にもつけられていないことをそれとなく確認したカイトは、ようやく寺井と合流した。 そして、割り出したキッドの中継点の近くへ、車で送ってもらう。 今宵のキッドのターゲットは、『永久の炎』。 その別名を、『不滅の業火』という。 予告状には『罪深き炎の石を頂きに参上する』とあった。 キッドは別名の方を表現したのだろう。 カイトも前日、展示場へ足を運んだが、その深すぎる紅さは暗い炎を連想させ、あまり好きになれなかった。 キッドは間違いなく、その石を手にするだろう。 予告時間が過ぎてからしばらくして、遠くでダミーのキッドが風に流されていくのを、それをヘリコプターが追跡するのを眺めた。 それに遅れてもう一体、今度はキッドが動かしているであろうダミーが、また違った方向へ飛び去るのを見た。 もうすぐ会えるのだと思うと、緊張した。 実は、白い怪盗の扮装をしたキッドと直接対面するのは、これが初めてだった。 カイトは工事中で人気のないビルの屋上で、手を握ったり開いたり、そわそわしながら時が過ぎるのを待つ。 闇を切り裂く白に、目を、瞠る。 翼を畳むと同時に、ばさりと広がったマント。 左目にはモノクル。 白いスーツに、青いシャツを身につけ、紅いネクタイがアクセントとして映えている。 冷涼な気配が辺りを支配し、カイトの舌が凍りついた。 「これはこれは、珍しいお客様だ」 夜気をはらんだ、涼やかなテノール。 これこそが、怪盗としての、キッドなのか、と。 カイトの知るキッドとはまるで別人の存在に、ひたすら圧倒される。 カツカツと真っ直ぐ歩いてくるキッドは、しかし適度な距離を保って、停止した。 「いったい、どのようなご用件で?」 優雅に首を傾げられ、カイトは息を吐き出す。 そこでようやく、自分が呼吸を忘れていたことに気づいた。 キッドは静かに、カイトの言葉を待っている。 だが、そう長くはここにいられない。 キッドがキッドである時間が長引けば長引くほど、彼の危険が増す。 カイトは意を決して、口を開いた。 「オレが……オレがキッドをするから、キッドは『快斗』に戻れよ!」 用意していた言葉は吹き飛んで、直截な表現をしたカイトに、キッドは不敵な表情を崩さずに哂う。 「おやおや、これは面妖な。 ……キッドは私でしかありえない。 私にしかできない」 カイトには無理だと、そう告げる。 それは今、怪盗たるキッドを目にしたカイトにも、痛いくらいわかった。 この空気は、場を支配するほどの力は、作り物である自分には生み出せない。 「じゃあ、『快斗』を捨てるのだけはやめてほしい! オレは『快斗』じゃない! 代わりなんてしたくない!! 」 言いながら、ほぞを噛んだ。 これでは、あのときと、ケンカして飛び出したときと同じだ。 一度失敗したのと同じ言葉で彼を説得できるはずがない。 「キッドを助けたいけど、こんなのヤだッ!!! 」 ぎゅっと目を閉じて駄々っ子のように叫びながら、情けなさのあまり胸がつぶされそうな感覚が襲った。 感情というものがどこから来るのか、カイトにはよくわからない。 けれど、キッドが左胸の心臓辺りに埋め込んだ擬似感情発生装置が、暴走している気がした。 「……バカ。 その顔で泣くなよ」 不意に、怪盗の纏う空気がやわらいだ。 おずおずと目を開ければ、見守るようにあたたかなまなざしが注がれていた。 カイトは涙など流していなかった。 瞳の表面に溜まっていた水が、ひとしずく、こぼれた。 「おふくろが『親が何かを押し付けたりしても、子どもは反発するだけよ』って言ってたけど、本当だな。 しかもオメーは、オレだし。 ……当然かも」 謳うような声は苦笑が滲んでいたけど、どこか楽しげだった。 「この前、一度だけ家に寄ったら『子どもにそんな重いものを、たったひとりで背負わせてはだめよ』ってお説教されちまった。 共に歩め、ってことなんだろうな。 きっと」 カイトにとっては、キッドは生みの親であり、育ての親だ。 そしてキッドの母親は以前、三人で食事をしたときに「息子と同じ大きさの孫ができちゃったわ」なんて話していた。 カイトは、彼の母親が自分の味方をしてくれたのだと知って、その場にへたり込みそうになった。 身体にじわじわと広がるのは、安堵だ。 だが、安心するにはまだ早かった。 ただ、冬の冴え渡る夜空のような双眸の美しさに、やはり自分は彼になれないと、確信していた。 一個目はあからさまなダミーだった。 グライダーが風に流されている時点で不自然だったのに、警察車両は気づかずにそれを追ってしまった。 一斉に警察がダミーを追った後、デパートの屋上から飛び立ったものは、軽い向かい風が吹いている方向へと飛び去った。 新一は、それを追いかけてしまった。 精巧で、また自在に動いていることからも、ダミーに見えなかった。 けれど、野次馬をかきわけ阿笠博士にチューンナップしてもらったバイクに跨ったとき、頭上のグライダーに違和感を覚えた。 滑らかに空を飛ぶその動きが、あの怪盗にしては固い気がしたのだ。 新一以外のものが見ても気づけないような、微小な差。 「クソッ! 三段構えかよっ!」 盛大な舌打ちと共に、新たに飛び立った白い鳥を追うべく、方向転換した。 早めに気づいてよかった。 どのみち足となるものが必要なので、タイミングも悪くなかった。 しかし、道路に沿って走らねばならないものと、そんなものはお構いなしに一直線に飛ぶものとの差は大きい。 なんとか離されすぎないうちに、怪盗が降り立ったビルへ駆け込んだ。 エレベーターという文明の利器は故障中の張り紙がしてあったので、仕方なく一気に階段を上った。 屋上の扉の前で一旦立ち止まった彼は、呼吸を整えながら少しだけ扉を開けて、怪盗の存在を確かめる。 だが、真っ先に彼の目に飛び込んできたのは、ここにいてはならない人の姿だった。 「カイト!? 」 思わず扉を蹴飛ばすと、怪盗キッドのまなざしが、新一に注がれた。 だが、新一に背を向けるカイトは、振り向きもしなかった。 疑惑が確信に変わる。 嫉妬を孕んだ黒い感情が急速に広がっていく。 「なんでオメーが! ここで!! こいつと会ってんだよッ!? 目の前の怪盗をそっちのけでカイトに詰め寄る新一は、明らかに冷静さを欠いてしまっていた。 「おやおや……この方は、きちんと予告状の暗号を読み解いてここへ来たというのに、とんだ言いがかりですね」 聞こえよがしの嘆息に、新一は怒気をはらんだ双眸でにらみつけた。 「暗号、だと?」 「ええ、そうですよ。 文面をそのままの意味で受け取ったあなたたちは、暗号だと気づかなかったようですが」 ククク、と愉快そうに喉の奥で哂う。 「……なるほどな。 それはオレの不覚だが……てめぇ、こいつに何をした!? 」 「さて? 特に何も、と言ったところで探偵君は認めやしねぇだろ」 純然たる怒りの発露に対し、怪盗の口調がガラリと変わった。 江戸川コナンと対峙していたときと同じ、どこか乱暴なそれになる。 「ほい、それは必要ないものだったから、返しといてくれ。 じゃあな!」 無造作に時価数億円もするビッグジュエルを投げられ、新一は慌ててキャッチする。 その間に地上へ飛び降りたキッドが、落下途中でグライダーを広げた。 「チクショウ! 待ちやがれ!! 」 屋上のギリギリのところまで来て叫ぶが、悠々と鳥は去っていく。 宝石を守る側としては、それが隙になってしまうことはどうしようもないのだが、悔しさが拭えない。 「待って! キッド!! 」 「って、オメーも待て!」 カイトが急に我を取り戻し、キッドを追うようにビルから飛び降りようとするのを見て、新一は大いに狼狽した。 抱き込むようにしてなんとか押しとどめるが、カイトは暴れることをやめない。 」 「無茶だ! 追いたいなら階段を使え!! 」 がむしゃらな暴れ方は、人体を封じ込めるための要所をおさえた新一の拘束を解くには至らなかった。 「~~~~っ、わかった。 そうするから離せ!」 焦燥にかられるカイトが方向転換しようとするのを見て、ようやく力を抜いた。 そして怪盗が逃げた方向を確かめると、みるみる遠ざかる白い翼が、突如、制動を乱すのを目撃した。 」 「ウソだろ!? 」 ふたりが見守る中、怪盗が操るグライダーが、どんどん高度を落としていく。 新一もカイトを追いかけるが、九十九折りになっている階段を一息に飛び越え、そこから横に一歩飛んで方向転換すると、またジャンプ一つで段を飛び越えてしまうカイトには追いつけない。 新一にできるのは、せいぜい四~五段飛ばしだ。 地上に出るとバイクで走るが、自分の足で駆けているカイトの背があっという間に遠ざかっていく。 「……おいおい」 バイクでも追いつけないなんて、そんなのアリかよ。 少しげんなりしながら、キッドが墜落したと思われるポイントを目指す。 たどり着いた先は埠頭近くの、コンテナが並んでいる場所だった。 遮蔽物が多いため隠れるにはうってつけだろうが、探す側は大変だ。 新一は油断なく辺りを探りながら、携帯電話で、博士とキッドの現場近くにいるはずの哀に連絡を入れる。 「工藤君、ごめんなさい! 見失ったわ!」 開口一番、名乗る余裕もなく言われてしまった。 「発信機は?」 新一が電話した第一の理由はそれだ。 それさえあれば、キッドがいるであろう詳しい場所が判明する。 「ダメ、発信機はロッカーの中よ。 途中で着替えたみたい」 そういえばカイトは、外出する際のお決まりである女装ではなく、どこにでもいそうな少年の姿だった。 「そうか。 悪いが、オレがいるところまで車を回してくれ」 言いながら、新一は持たされていた発信機のスイッチをオンにした。 「わかったわ」 無駄口は一切なく、携帯電話を仕舞いこんだ新一は、身を隠しながら慎重に移動していく。 キッドを狙撃した敵も彼を追っている可能性が高い。 キッドがすぐ落下しなかったことから、狙撃手はしとめ損ねたことをわかっているはずだ。 人が立てる物音は、どこからも響かない。 気配も感じられないが、新一は自分ならどこに身を隠すだろうかと考え、扉が少しだけ開いている倉庫を見つけた。 広がるのは紅が映える白い布。 「カイ……ト……」 吐息のような声が聞こえたのか、キッドの上半身を支えるように抱きしめていたカイトが振り向いた。 「新一……やっぱり来たんだな。 危ねぇから、ちゃんと閉めてくれ」 どうやら扉は、新一のために開けられていたらしい。 するりと中へ身を滑り込ませると、音を立てないように扉を完全に閉ざした。 「……ケガ、してるのか」 「ふ……大したことはありませんよ」 どこまでも余裕を含ませた声色は、新一の神経を逆なでする。 怪盗はシルクハットを目深にかぶっていて、弧を描くようにつりあがった口元でしか表情を読み取らせない。 キッドはカイトに身を預けるようにしながらも、自力で立っていた。 左肩を負傷しているのか、そこから血が滲んでいるものの、床に血痕はなかった。 「ざまぁねぇな」 新一は嘲笑うが、怪盗はさらりと受け流した。 「そうですね。 とりあえず個人的に動かれては都合が悪いので、お待ちしていました」 「ああッ!? 」 「私は血を好まない。 誰にも邪魔はしないでいただきたいのでね。 ……奥に、マンホールがあります。 そこを通って、ここから立ち去ってください」 新一は憤りを覚えるが、この場を去ることに異存はない。 「てめぇはどうするんだよ。 そのケガで、やりあうつもりか?」 「……入り口を塞ぐ者が必要なのですよ。 もしかしたら、そちら側も負傷しているのだろうか。 「不本意ながら、オレもカイトに賛成だ。 そんな後味の悪いマネ、できっかよ」 「時間がないのです。 急いでください!」 かたくなに拒絶するキッドは有無を言わせずカイトの手を引いて、奥へと追いやる。 珍しく、余裕の仮面がはがれかけている。 「探偵君、そこの箱をどかせ……隠れてっ!」 片腕が使えないためか、新一に頼みかけたキッドが鋭く注意を放った。 新一も急いでふたりのあとを追い、物陰に身を潜めた。 ほどなく、気配を押し殺した何者かが倉庫の扉を開けた。 ゆっくりとした物音を立てないその動きは、しかし、俊敏だった。 数名が扉から身を滑り込ませ、すかさず銃を構えた。 静かに倉庫内を取り囲んだ敵の数は、三。 退路の確保にダンボール箱をよけようにも、その動きは彼らの目に入ってしまう。 彼は新一の視線に気づいて、首を振る。 大人しく好機を待つことしか、策はないらしい。 新一は勝機を見出すべく、めまぐるしく頭脳を回転させた。 だが、そうするうちに捜索者のひとりがこちらへ近づいてくる。 危険に場慣れしてるため、新一は表情こそ平静だったが、それでも痛いくらい鼓動が早かった。 くい、と。 それまで身じろぎ一つしなかったカイトが、キッドのマントを小さく引いたのが、視界の端に映る。 「……コードの、解除を。 オレなら、なんとかできる」 彼は唇の動きだけで、キッドに話しかけた。 読唇術を心得ている新一もそれが読み取れたが、なんのことかわからない。 キッドがかぶりを振るが、カイトは退かない。 「……じゃあ、勝手にやるよ?」 「……」 キッドの逡巡が、新一にも伝わってくるようだった。 彼らが何を話題にし、キッドが躊躇しているのかは、わからない。 だけどそれはふたりが親しさに他ならない。 明確な繋がりを目にした新一は、そんな場合ではないのに暗然とする。 ただし、殺すなよ」 一度瞑目した怪盗が、再び藍の強い黒瞳を開いたとき、そこからは一切の迷いが消えてきた。 「探偵君はこいつを動かして、マンホールを開けてくれ」 闘志に煌く瞳に射抜かれた新一が気を呑まれたまま頷くと、即座に煙幕弾がキッドの袖口から転がり落ちた。 Voice-print collation completion...... Combat form shift! 」 凛と響く声に続いて、カイトから事務的な音声が発せられた。 白い煙に視界を遮られながらも、至近距離にいた新一は、それを目の当たりにしてしまった。 さらに腕が肘の辺りでありえない方向に折れ、そこから弾丸が発射された。 「うわっ、なんだ!? 」 急に視界を奪われた男たちが、闇雲に銃を放つ。 すべて一瞬の出来事だったはずなのに、新一の目にはスローモーションのように、コマ送りで映った。 新一は思わず、この現実を疑った。 その間に体勢を低くしたキッドが、ぼんやりしている新一の元へ移動し、彼の腕を取った。 「急げ、探偵君」 せかされて、飛びそうになっていた意識を取り戻した新一は背筋を這う冷たいものを無理に頭の片隅に追いやった。 少々乱雑だが迅速にダンボール箱をどかせて、重いマンホールを少し持ち上げると、あとは足でそれを横にずらす。 キッドは敵の視界が晴れないうちに、さらにもうひとつ煙幕を落とす。 カイトには敵の位置が見えているのか、あっという間に物音がしなくなった。 「掃除完了。 みんな眠らせたぜ」 「よし、裏口から出るぞ」 マンホールはフェイクにするらしい。 新一は忌々しい思いを抱えながらも、怪盗の後に続く。 訊きたいことが、たくさんあった。 怪盗はこの辺りの地理をよく知っているのか、迷いのない足取りで駆ける。 とてもケガをしているようには見えない。 左の肩を汚す紅さがなければ、新一も忘れてしまいそうになる。 あと少しでコンテナの群れから出るという、まさにそのとき。 ぱしゅん、と空気を押しつぶしたような音がして、キッドが身体をよじった。 まだ、敵がいた。 カイトはすぐさま、腕に仕込まれていた弾丸を撃った。 だが、同時に狙撃手も発砲しており、それが無理に初撃をかわしたために、体勢を立て直せないでいたキッドの足を打ち抜く。 どさりとスナイパーが倒れる音もした。 うめき声ひとつ立てなかった怪盗は、ほかに敵がいないことを確認すると、淡々と応急処置を開始する。 腕の動きはぎこちないが、キッドはこんなときでもマジックで応急キットを取り出し、足をきつく縛ると、あふれる血を拭ってから止血テープを貼る。 地面に流れた血は、キッドが何かの薬品をまくと、蒸発するように消えた。 「だ、大丈夫!? 」 「気にするな。 早くここを離れるぞ」 血が残っていないかぐるりと確認し、立ち上がる。 「バカ、無理するな。 カイト、そっち側を持て」 さすがにこの無茶は見逃せなくて、新一が左側からキッドを支える。 カイトも新一に倣って、キッドのケガに障らないよう、慎重にキッドの腕をとり、自分の肩に回させた。 そして片方の手をキッドの腰に回し、もう片方で彼の膝裏をすくいあげた。 ふたりが左右から抱えるという、妙な体勢となってしまったが、走るのには支障はない。 計らずも、至近距離で怪盗の顔を見ることになってしまった新一は、束の間、息をのんだ。 まじまじと、その顔を見つめてしまう。 これまで距離を置かれていたため、どこか不明瞭だった造作が、この暗がりの中でもはっきりと見て取れた。 新一がここ数日を費やして調査し、立てた推論の通りに、キッドの顔はカイトと同じだった。 覚悟していたはずなのに、動揺してしまう。 だが、しばし硬直していた新一は、怪盗が微かに笑ったことで、敵愾心をよみがえらせた。 無理矢理、視線を彼から引き剥がす。 「……行くぞ」 号令を出し、抵抗せずにおとなしくしているキッドを抱えたまま駆けた。 「あ、五十メートルほど進んだら、右に折れてください」 「いや、もうすぐ博士が来るはずだ。 そっちに運ぶぜ」 せっかく確保不能の怪盗を捕まえたのだ。 逃すつもりは、さらさらない。 それに、訊きたいことも大量にある。 「治療するにも、そのほうがいいはずだぜ。 灰原は、免許こそねぇが腕は確かだ」 「……やれやれ、ずいぶんお人よしですね」 「安心しろ、オメーほどじゃない」 呆れの滲んだ皮肉に、間髪いれず切り返すと、否定できなかったのか、キッドが押し黙る。 ハートフルさ加減では、この怪盗に敵うものはいないに違いない。 と、そんな場合ではないのにこっそり思ってしまった新一である。 「新一、キッドをどうするつもりなんだ?」 探るようなカイトのまなざしは、返答次第によっては攻撃すると物語っていた。 そこに滲んだ敵意と警戒に、新一は唇を噛んだ。 未だ機械そのものの瞳に見つめられるのが居たたまれなく、ぎこちなく顔を逸らす。 「オレは、探偵だ。 犯罪者を見逃すつもりはないが……警察に突き出すかどうかは、話を聞いてから決める」 ウソはつけなかった。 どうすべきなのか、新一は未だに迷っている。 敵に撃ちこんだ麻酔の効果がどれほど続くかわからないので、できるだけ現場から遠ざかっておく。 新一は頃合を見計らって、路地の影に、キッドをおろした。 「……灰原? 今、どの辺にいる?」 電話をかけると、あと五分もしないうちに着くと言われ、簡単に場所を説明して切った。 「さて、話してもらおうか。 オメー、カイトとどういう関係だ?」 「見ての通り、としか言いようがないですね」 飄々と肩をすくめる怪盗に、新一が唇をへの字に曲げる。 「てめぇ、真面目に答えろよ」 「……」 「なあキッド、オレが話していいか?」 問い詰められるキッドへ助け舟を出すように、カイトが首をかしげた。 黙考していた怪盗は、諦めたように溜息をつく。 「しかたないですね……。 実は以前、彼がケガしているところを拾いまして、彼が失った腕や視界を、私が機械で補ったのですよ」 つらつらと、嘘八百を並べ立てる怪盗に、カイトが目を丸くする。 「彼、マジシャンを目指していまして……私もかねてから彼のことは知っていましたし、本人もマジシャンになる夢を諦めるつもりはないと言っていたので、僭越ながら、技術を提供したんです」 「ほほう……」 わざとらしい感心の仕方に、青い瞳が物騒な光をもらす。 「つまりオメーは、カイトが人間だと言いたいのか?」 「おや、それ以外のなんだと?」 至極不思議そうに問いを返されるが、新一は騙されなかった。 「そうじゃないなら、どうして、オメーの顔はこいつと同じなんだ。 オメーは今……素顔だろ。 それに、ただマジシャンを目指してる奴に、なぜこんな戦闘能力が必要になるんだ。 しかし、それに慣れてしまえば、いつしか認識が甘くなる。 彼がどんな、人間にはできないと思えることをしても、彼ならばできそうだと思ってしまうようになる。 「オレは、カイトのことを調べるために、学校へも行ってみた。 そしたら……ここ数ヶ月のカイトは、どこか反応がいつもより幼くて、みんな多少なりとも違和感があったそうだぜ」 ここ数日、『黒羽快斗』について調べていた新一は、途中から『黒羽快斗』がふたりいるのではないかと思っていた。 そしてキッドの素顔を知り、それは確信に変わった。 だけどそれでも新一は、今日、このときまで、カイトがキッドのそっくりさんか、血縁の誰か。 あるいはクローンではないかと疑っていた。 人ではなかったなんて、今の今まで考えもしなかった。 普通ではない能力の披露は、さらに普通ではない存在を隠すための偽装だったのだ。 「天才と謳われるオメーなら、できるんじゃねぇのか。 人にしか見えないロボットを作ることも、それに感情というものを持たせることも」 長い長い、沈黙が降りた。 動くものは風に嬲られたものだけで、新一はひたと、カベに身を預けて立っているキッドを、視線で射止めていた。 カイトも足を地に縫い付けられたように、みじろぎひとつしない。 彼らの間を取り巻く冷たい空気を破ったのは、怪盗だった。 「ククククク……さすがは名探偵」 告げると、耐え切れなかったように、さらに爆笑した。 哄笑が、酷くカンに障る。 「いい加減、馬鹿笑いはやめろ」 あまりに常と変わらぬものだから、相手がケガ人だということを忘れて蹴りを喰らわせようとすると、キッドは体重を感じさせぬ動きでふわりと攻撃をかわした。 ふうわりと、マントが広がる。 一足とびで距離を作り出した怪盗は、愉快そうに目を輝かせた。 彼をどうするつもりですか?」 「どうもしない」 「え?」 逃げられたことに舌打ちしながら、疑問の声を上げたカイトを振り向く。 「だから、どうもしねぇよ。 帰りたきゃ帰ればいいし、オレの家にいたけりゃ、いればいい」 「おやおや、探偵君は彼がお気に入りのようだ」 「るっせぇ! 茶化すな。 だいたい、こいつはなんの罪も犯してねぇだろ」 「……銃刀法違反は?」 「そりゃ、製造者の責任だ。 カイトが自分でつけたわけじゃねぇ」 「なるほど……。 まあ、彼が私の替え玉というのは間違いですが……いいでしょう」 彼は何かを深く納得すると、突如、恐るべき早口で、意味をなさないアルファベットを羅列し始めた。 「Code...... 「テメェッ、カイトに何しやがった!? 」 新一はキッドの口を封じようと近くに転がっていた石を蹴るが、よどみなく声は続く。 「A new master is registered to Shinichi Kudo」 「なにっ!? 」 キッドが下した命令に、新一はうろたえた。 聞き間違えでなければ、それは、カイトの主人を新一に書き換えるものだ。 「The change was completed...... A new master was set to Shinichi Kudo」 表情というものをどこかに忘れてきたようなカイトが、淡々とそれを受け付ける。 強制的に命を下した怪盗が煙幕を張った。 「この……待ちやがれ!! 」 「彼のことはあなたに任せますよ。 残された少年は、壊れたようにただただ涙をあふれさせていた。 あの瞬間、閃いてしまった考えは、そうとしか言いようがなかった。 はじまりは、ブルー・バースデー。 それは快斗が全てを捨てた日。 復讐を胸に誓ったその日は、皮肉なことに、大切な幼なじみが生まれた日でもあった。

次の

愛と棒と紳士と棒と、、、イーグルだ

君 の 目 に 映る 世界 の 続き を 見 たい と 思っ たん だ 愛し てるよ

<注意書き> ・微量ではございますが新蘭的な要素があります。 そのため蘭ちゃんには申し訳ないことになっています。 ・カイトという黒羽快斗のコピーロボット的なオリジナルキャラがおります。 ・ルビを多用しております。 いずれも苦手な方はご注意ください。 なお、この作品はフィクションであり、書き手に工学関連の専門的な知識はありません。 もし間違っていたとしても「だいたいこんな感じのことを言いたいのだな」と脳内補完していただければ幸いです。 正確に表現すると『人間の』快斗は唯ひとり。 黒羽快斗がそれを作ったのは、怪盗キッドのためだった。 世間を騒がす『怪盗キッド』と『黒羽快斗』はイコールで結びつく。 彼は父・盗一の跡を受け継いで、その白い衣装を纏った。 それをほぼひとりでこなす彼は間違いなく天才、それも鬼才といえるほどの卓抜した頭脳を持っていた。 彼は、自らの代役として、もうひとりの自分を作り出した。 それが、レプリカの『快斗』だ。 彼は自らが作製したレプリカを、常に『快斗』と呼んだ。 そしてレプリカには己を『キッド』と呼ばせた。 あたかも、自分は『キッド』であり、すでに『快斗』ではないと断じるように。 『快斗』が以前、「自分の名前なのに呼びにくくないか」と訊ねたことがある。 そのとき彼は平然と、「慣れた」と言った。 自分だけの名前がないことに不満そうな『快斗』へ、彼は苦笑した。 「代役をする以上、なりきってもらわないと困るからな。 うっかりオレの名前に反応し損ねた、なんてことになったら、また白馬に疑われちまう」 そのいらえに、『快斗』は納得するしかなかった。 彼は『快斗』に自らの記憶を移植するときも、怪盗としてのそれだけは与えなかった。 これもまた同じ理由で、「キッドしか知らない事柄を、誰かにもらされては困るから」だった。 彼はどこまでも徹底していた。 理にかなっていたために反論できなかった『快斗』は、いつしかそう呼ばれるのにも慣れて、本当に自分が『快斗』になった気になっていた。 「どうしてオレが『快斗』なんだ? なぁ、役割を逆にしようぜ?」 『快斗』を作った理由が、別にあるとは、思いもせずに。 「オレならキッドがいれば、いくらでも直してもらえるし、さ」 レプリカは、身の程知らずにも。 「オレ、イヤだ。 キッドの身体が傷だらけになるなんて。 オレだけが無傷なんて、イヤだ」 彼と同一の存在になろうなんて、おこがましいことは願わないけれど。 人間になることも望まなかったけれど。 彼の隣で、彼の支えになることを……夢、見ていた。 黒い学生服を着た少年は、中学生と間違えそうなほど無邪気な笑顔で、子どもたちと鬼ごっこをしていた。 その制服が江古田高校のものだと知らなかったら、きっと高校生だと気づかないままだったろう。 新一は高校二年生の一時期、ひょんなことから身体が幼児化し、『江戸川コナン』という名で、二度目の小学校生活を体験していた。 そのときのことを思い出した新一は、あの頃の自分は、ああも子どもたちにまぎれて他愛無い遊びに興じることができなかったなぁ……と、妙に感慨深げに彼らを見物する。 なにせ中身が十七歳。 無駄に理性があったため、小学生らしい遊戯に夢中になれるはずもなく、また、彼らと同化することに対し、どこか抑制をかけていた。 だが、目の前の彼は、本気で彼らとの遊びに熱中している。 彼は手を抜きながらも真剣に子どもたちを追いかけ、その中のひとりを、両腕を回しこむように捕まえたと思うと、きゃーきゃー楽しげな悲鳴を上げた子どもを、ぐるぐると回し始めた。 歓声が、ひときわ大きくなる。 逃げていたはずの子どもたちが、振り回されている子どもを羨ましそうに見ながら、彼の周りへと集まってくる。 そして「次はボクにやってー」「ずるーい、次はあたしだよ~」と、口々にせがむ。 少年は楽しそうに子どもたちをなだめて、順番に構ってやっていた。 そんな、キラキラと光がはじけるような笑顔と笑い声にあふれる風景。 事件は、深夜になってようやく解決した。 とはいえ、それは新一がいたからこその成果だった。 新一がいなければ、解決まであと数日はかかったことだろう。 人の良い刑事は新一に「車で送っていこうか」と申し出てくれたが、彼は高校生でもある新一と違って、連日その事件を調査していた。 それを知っていた新一は、さすがに気が咎めたので、その有り難い言葉を断り、ひとり家路を辿る。 夜風に少し当たりたいからという言い訳を使ったが、秋の夜はコートを着ていても少々肌寒い。 ブルリと身を震わせて、冷たい空気が入らないよう襟をかきよせる。 新一があくびをかみ殺しながら、公園の近くを通りかかったとき、視界の端に、キイキイと錆びついた音を立てながら揺れる影が映った。 薄暗いブランコを照らす、オレンジがかった街灯に、長い影が行ったり来たり。 それは昼すぎにも見かけた、あの少年だった。 黒い、学生服。 俯き加減で、表情も昼間と違って途方に暮れた迷子のような感じだったが、間違いない。 新一の危惧を裏付けるかのように、彼は小さくくしゃみをした。 「おい。 こんな時間に何してるんだ?」 呼びかけに、ゆるやかに首をめぐらせた彼は、新一の姿を目に留めて、驚いたようにまばたきした。 「何って……。 特に、何も」 少年は長い間言葉を発していなかったせいか、一瞬だけ喉が絡んだように声を詰まらせた。 「じゃあ質問を変えよう。 なんでここにいるんだ? 家に帰らないと、そのうち補導されるんじゃないか」 新一は話しながら彼との距離を縮める。 少年はぷいと顔を背けて、どうだっていいだろ、と小さく呟いた。 「まあ、そうなんだけどさ。 昼間は楽しそうだったのに、どうして今はしょぼくれてんのかが気になってな」 「見てたのか。 でも、昼間も今も事情は変わんねーぜ? ただ単に、親とケンカして、家出してきただけ」 不貞腐れながら、渋々、口を開く。 「家出って……」 いまどき、しかも高校生にもなって、家出するやつなんているのだろうか。 なにせ新一は、一人暮らし暦が長かった。 「オメー、金は持っているのか? こんなところにいたら風邪ひいちまうぜ」 反応を待っても、沈黙しか返ってこない。 この寒さのせいか、少年の頬や鼻の頭、耳たぶが、うっすら赤くなっているのが見て取れた。 「もしも行くアテがないなら、うちに来いよ。 オレは一人暮らしだし、部屋も余ってるからさ」 気がつけば、初対面なのにそんなことを言い出していた。 不審に思われても仕方がないのだが、新一はどうしても、彼の笑顔をもっと間近で見たいと強く思った。 彼が隣で笑ってくれる。 きっとそれだけで、あたたかくて、幸せな気持ちになれると確信に近いものを抱いた。 「……」 それに対する返答は、沈黙。 家出人にしてみれば、おいしすぎる提案だった。 少年は訝しげに眉根を寄せながらも、迷っているのか、視線を彷徨わせる。 「なあ、そうしろよ。 対価が気になるなら、そうだな……家事をやってくれよ。 そしたら、すげえ助かるし」 逡巡しているのを察知して、畳み掛けるように提案した。 あと、もう一押し。 「掃除でも洗濯でも料理でも、やることはいっぱいある。 それを滞在費にすれば、お互い気を遣うこともないだろ。 ……なあ、気が向いたらいつでも帰っていいからさ、自宅へ帰る気になるまで、うちに来いよ」 自分でもどこかおかしいと思うほど熱心に勧誘する。 この気持ちがどこから来るのか、新一自身にもよくわかっていなかった。 だが、そんな新一の熱意が通じたのか、少年の黒い瞳が、おずおずと新一を見返す。 「じゃあ……お世話に、なろうかな」 「よっしゃ! オレは工藤新一。 オメーは?」 「……カイト」 ガッツポーズをとった新一に返されたのは、下の名前だけ。 苗字を言えば自宅に帰されるか、警察に届けられると警戒しているのだろうか。 だが、探偵にあるまじきことかもしれないが、新一は彼が傍にいてくれるなら、素性は知らないままでいいとさえ思った。 「カイト、か。 なんかオメーにピッタリの名前だな。 それを逃さぬように捕まえると、力強く握った。 カイトが掃除をすれば、ハウスクリーニングが入ったのかと思うほど、どこもかしこもキレイになっていた。 照明の埃を取り払ったおかげで、部屋も明るくなった。 洗濯をしたら、タオル類はふわふわ。 シャツはきちんとプレスされ、しみがついていた衣服も、まるで新品のような仕上がり。 しかもほつれた衣服も、元の縫い目と見紛うほどの腕前で直されていた。 料理はどこぞのシェフ並。 和・洋・中と完璧だ。 そうかと思うと、素朴な家庭料理も作れたりして、幅が広い。 カイトが来て、まだたったの二日目にして、新一は感嘆の嵐だった。 現在も、ダイニングテーブルには、栄養バランスまで計算された食事が並んでいる。 今夜は和食だった。 「カイト、すげーな。 もしかして、なんでもできんじゃねぇ?」 新一は肉じゃがに舌鼓を打ちながら、向かいに座るカイトへ尊敬のまなざしを向けた。 それに、カイトが苦笑する。 カイトが何でもできるのは、オリジナルがそうだからだ。 しかも彼は、機械であるはずのカイトが、模倣するのも難しいほどの、天賦の才の持ち主だ。 彼は鬼才であることは隠しても、天才であるということは隠さなかった。 だから、この程度のことは、探偵という存在の前でも、おおっぴらに披露できる。 カイトはあくまでも、『快斗』を『なぞる』だけの存在でしかない。 新一が買ってきてくれた食材の中に天敵がいて、絶叫した記憶も新しいカイトは、それとなく目を逸らした。 その話題からオゾマシイものの姿かたちを思い出してしまいそうだからだ。 カイトの嗜好は、オリジナルと変わらない。 以前、なにもこんなところまで一緒にしなくてもいいのではと抗議したことがあるが、その辺りはオリジナルの記憶をそのままインプットした結果なので、製作者自身にも、どうにもできなかったらしい。 よって、カイトもその名前を聞いただけで体が竦んでしまう。 「オレは確かになんでもできるけど、結構『器用貧乏』なんだ。 それなりにできるってだけ。 もっとも、その基準が高いせいか、いつも友達に『うっそだ~』とか言われちまうんだよな」 「ああ、それはオレもだから、なんとなくわかる。 アマチュアでは高レベルまで行けるけど、その先……プロへ行くには何かが足りない、ってやつだろ。 オメーの場合はプロになれるが、超一流まではいかないといったところか」 「そうそう! 新一、話がわかる!」 理解を得られて手を叩いて喜ぶカイトに、新一は目元を和らげる。 「オレも、って言っただろ。 もっともオレの場合は家事じゃなくて勉強でだけどよ。 どの教科もそれなりにいい成績なんだが、実は知識そのものは広くて浅いんだよ」 「なるほどね。 たとえテストで満点が取れても、それだけじゃ足りないと思っているわけだ。 高校で習っているのは、ぶっちゃけ基礎の基礎だし?」 「そう。 オレが知りたいのはもっと踏み込んだことなんだけど、高校じゃやらねーし、独学だとどうしても偏っていくんだよ」 夕飯を口へ運びながら、新一も目を輝かせた。 同じような価値基準を持っている相手との会話が、楽しいのだろう。 カイトの口から出る言葉は、すべてオリジナルの記憶の分析結果にすぎないのだが。 「オレは探偵だから、ムラなく学んでいこうとは思っているんだ。 でも、まだ足りない。 オールマイティなんて無茶なことは言わないし、専門的なものは専門家に任せりゃいい。 だけど、基礎がしっかりしてないと、それがどの専門なのかとか、わかんねーだろ。 常にいろんな分野にアンテナを立てて、情報収集しないとな」 貪欲なまでに、高みを目指す。 そんな新一の姿に、カイトは目を細めるように笑った。 これが、『キッド』が唯一認めた『名探偵』なのかと思った。 キッドに関わる記憶がないために、ふたりの間に何があったのかは知らないけれど、キッドが新聞やテレビを見ながら、彼について話してくれたことがあった。 白馬などは遠慮呵責なく『ヘボ』と称する彼が、工藤新一を『名探偵』と呼んだ。 いろいろと『普通』の基準から外れるものの、キッドを知るカイトにとっては、それでも『普通』の範疇に入りそうな探偵。 この相手のどこが、彼をして『名』探偵とまで言わしめるのか、知りたくなった。 「それにしても、このゆでたカボチャにピリ辛のそぼろの組み合わせがなかなかイケルな。 オレ、カボチャなんていつも一切れしか食えねぇのに」 「だろ~! カボチャだけで食べると甘くてすぐ飽きちまうんだけど、これと一緒だと二個三個って食べれちまうんだよな」 他愛ない会話を続けながらもカイトは瞳の奥に油断ない光を秘め、新一の一挙手一投足を観察する。 どういう気まぐれなのか、カイトをテリトリーに入れた探偵。 カイトはキッドの不利になるようなことはしたくないが、興味がわいた。 本物の『黒羽快斗』なら、その申し出を断らないと判断して、彼の手を取った。 だからこそ今の状況は、その一点においては、裏切りだったかもしれない。 でも『快斗』を模倣するからこそ、拒みきれない。 彼は、カイトに「人間になる必要はない。 『黒羽快斗』になりすませるようになれ」と告げた。 無理して人間になろうとすれば、プログラムが破綻し、ジレンマという無限ループに陥るからだろうか。 或いは、彼は自分自身を人間だと思っていなかったのだろうか。 「なりすませるようになれ」という言葉には、「『黒羽快斗』にもなるな」という意味も含まれる。 だけどカイトは、少しでもオリジナルに近づきたい。 それならば、しばらくはここで『自分』を作るのも悪くない、と。 オリジナルのように、密かに唇の端を吊り上げた。 あまつさえ、彼を屋敷に住まわせているのだという。 あの、縄張り意識が強くて、自分の邪魔をされるのが大嫌いな『オレサマ』が、である。 興味を抱くなというのは無理だろう。 その男の子は、初対面の際、工藤新一がふたりいるのかと思ったくらい隣人にそっくりで、でも、朗らかに微笑んだ表情はまったくの別人だった。 まぶしさを感じるほど、一転の曇りもない笑顔。 それでいて、どこか包み込むように暖かい。 その笑顔が、そのまなざしが、その人物の内面を如実にあらわしていた。 見ているだけで、心の中にじわりと安堵に似たものが広がる。 そして、納得した。 何故、彼が、彼を求めたのか。 こんな人が近くにいたら、一緒にいるだけで幸せになれそうだと思った。 カイトが工藤新一宅に居候し始めて三日目。 インターフォンに呼び出され、玄関の扉を開けた灰原哀は、その優秀な思考回路の停止を余儀なくされた。 「やっほー、哀ちゃん。 パンプキンパイを作ったからおすそ分けに来たよ」 『明るい』を通り越して能天気なその声は、隣家に身を寄せるカイト少年のもの。 だがその姿は、どこから見ても『少女』だった。 カイトは胸元まで届くセミロングのウィッグをつけて、おそらく新一の母親のお古だと思われる白いドレスシャツに、淡い水色のフレアのロングスカートを着ていた。 ほぼノーメイクに見えるが、唇に艶やかな光沢があったので、リップクリームかグロスを塗っているようだ。 片手で戸を開けた姿勢で固まっている哀に、カイトは小首をかしげた。 その拍子に黒髪がさらりと肩から背へ流れ落ちた。 「……変、だった? このカッコ」 「あなた、女の子だったの?」 常日頃は冷静沈着な科学者だが、声が震えないようにするのが精一杯だった。 「いえいえ、ちゃんと男ですよー。 ただ、知り合いに見つかったら、いろいろ質問されたりして面倒そうだから。 オレ、家出人だし」 「ああ、そうなの……。 大丈夫、似合ってるわ」 いっそ似合いすぎて恐怖を抱くほどに。 哀はカイトを家に招き入れると、自らの想像を振り切るように軽く頭を振った。 カイトが『相当変わっている』ことを新一から聞いていたが、実際に目の当たりにしてみると、『常軌を逸しているくらい変』だった。 親とケンカして家出してきたというカイトは、初日、工藤邸へ到着するなり電話を借りて、「しばらく家に帰らないから」と母親に連絡したらしい。 しかも彼は工藤邸の電話番号を新一に訊ね、それも伝えたというのだ。 ケンカしたのは母親とじゃないからいい、というのがカイトの言い分らしいが、新一は後日、 「家出しておきながら家に連絡するヤツがいるなんて思わなかった……」 と、しみじみ述懐していた。 新一の定期健診をしながら、カイトについてあれこれ訊いていた哀は、 「一般的にはしないでしょうけど、今回はケンカしたと思われる父親に、行き先が伝わらなければいいってことでしょう? きっと、母親に心配かけたくなかったのね。 ……どこかの誰かさんと違って、親思いのいい子じゃない」 などと、あてこすりつきでコメントしておいた。 その後も新一は、カイトがどれだけ家事が完璧で、だけど大の魚恐怖症であり、目を潤ませて今にも泣きそうなところが可愛い、大の甘党でケーキをひとりでワンホール平らげたらご機嫌になったなどなど、のろけのようなものを延々と話していたので、三日目にして予備知識だけは豊富な哀だった。 「はい、どうぞ」 「おお、サンキュ! 哀ちゃんはどれくらい食べる? 半分? あ、まだちっちゃいから四分の一くらいがいいかな」 哀からナイフも手渡されたカイトは、嬉しそうにナイフをパイにあててスタンバイしている。 「普通はそんなに食べないわよ。 いつもなら十二分の一くらいだけど、今日は八分の一ほどいただこうかしら」 「哀ちゃん、少食だな。 オレの幼なじみはオレと同じくらい食べるんだけどな」 「……つかぬことを訊くけど、その幼なじみって男の子?」 「いや、女だけど?」 「そう……。 類は友を呼ぶっていうしね……」 最後はぼそっと呟いた哀の視線は右下斜め四十五度ほどに落ちていた。 変人の近くには変人が集まるようだ。 その変人の中に、哀自身はカウントされてないが、隣家の名探偵が彼女の感想を知ったらまず間違いなく、哀もその仲間に入れてくれることだろう。 「ああ、その言葉、よく言われるよ。 オレにはよくわかんないけど」 声は小さかったはずだが、しっかり聞こえていたらしい。 のんびりほえほえとカイトが笑う。 その間に、しっかりと哀の分を皿にとりわけ、彼自身はホールの半分をフォークでつついていた。 「なんつーか、誰ひとりとして同じ人間がいないんだから、全員個性的って思うのは当たり前だろ」 「確かにそうかもしれないわ……」 「そうそう。 ただまあ、一般的な『普通』って言葉に当てはめようとしたら、周りの奴らはほとんど当てはまらないかも」 『普通』というのは、非常に曖昧な統計。 人によってかなり基準が異なるものだ。 それでも、どんなものが一般的に『普通』と呼ばれるのか、カイトは客観性があるらしい。 「……そう。 じゃあ、あなたの目に私はどう映っているのかしら?」 哀は初対面の際に驚きで自失してしまい、子どもらしさを取り繕うことができなかったので、カイトの前で、猫をかぶるのをやめてしまった。 子どもらしくない子ども。 同年代の子たちと比べたら、自分は奇妙なほど冷静で大人びていると感じられることだろう。 だが、カイトの答えは哀の予想に反した。 「うーん、ちょっとオレの小さいときと似てる、かなあ。 いやいや、それだと哀ちゃんに悪い気も……」 しりすぼみになっていく声に、耳を疑った。 「いや、オレなんかを哀ちゃんと重ねたら哀ちゃんに失礼だよ。 実は無駄に頭がよかったせいで、いろいろ……ね。 ハスに構えていたというか周りをバカにしていたというか、ぶっちゃけ両親以外はほとんど内心見下してたな」 哀はあまり表情こそ変わらないものの、いぶかしげにカイトを見やる。 語られた内容が今のカイトと結びつかない。 昔のオレは『人』を知らないおバカさんだったってだけ。 勉強できるヤツが、勉強ができないからってだけで人をバカにしちまうような、そんな感じ」 「想像つかないわね」 哀は軽くかぶりを振って、吐息にのせるように言った。 「うん、そのほうがいいな、オレとしても。 今は違うんだしさ。 ……哀ちゃんはすごくやさしくて、面倒見がいいよな。 お姉さんがいたらこんな感じなのかな~」 紅茶で喉を潤していた哀が思わず手を止めた。 「……お姉さん?」 「そう、お姉さん。 「あらあら、それじゃあずいぶん大きな弟ができちゃうのね」 温かい紅茶を口にしているはずなのに、胃の腑の辺りに冷たいものを感じながら、哀はことさら明るさを装った。 「あはは。 これからもよろしく、哀お姉ちゃん」 カイトなる人物はとにかく『普通』の枠に当てはまらない。 たとえ何があっても『それがカイトならば在り得るかも』と思ってしまう。 そんな意識を、着々と刷り込まれていった。 ほんの些細な誤差に、右手から左手へよどみなく流れ落ちていたカードが、統制を失ってばらばらと床に落ちる。 無残な結果を見下ろして、ふ、と漏れる溜息。 与えられた客室で、月によって憂いに満ちた横顔が照らされた。 カーテンも引かず明かりもつけずに、月と闇を供にしての鍛錬。 こんな技量では到底、『彼』に追いつけない。 かの人は、自身との差異を極力なくすため、機械であるにも関わらず、触覚や味覚、痛覚などのもろもろの感覚をカイトに与えた。 さらに食事や排泄などの、人の生命維持活動に必要な機能に加え、涙や表面上の体温の変化なども、こまごまと付け加えたのだ。 カイトの動力源は電気エネルギーだが、日常を送る程度なら摂取した食料を燃料に変換するだけで充分だ。 それで体温も一定に保てる。 水分は冷却装置のために、定期的に入れ替えねばならないが、なにも涙や排泄という形で排出しなくてもよかった。 ……とはいえ、性的な機能は製作者本人が居たたまれなかったようで、皆無である。 それを除けば、オリジナルは自分の分身を、人間に見えるよう、精巧に作り上げたといっていい。 それなのに、何故か、マジックだけは上手くいかなかった。 いくら忠実に再現されていても、奇術だけはうまくできない。 記憶の中にある動きを、実際に表現しきれない。 論理だけで言えば、素早さもミリ単位のブレもない動きも、機械であるカイトのほうができるはずだ。 実際、可能だ。 なのに、マジックでだけは、それができない。 「これじゃ……ダメなのに」 奇術ができないと、『キッド』になれないのに。 落としたカードをぼんやりと見つめながらひとりごち、すとん、と落下するように床へ座り込む。 「このままじゃ……」 煌々と浮かび上がるましろな月。 真っ直ぐに降りてくる光を追うように、天を見上げる。 今日、テレビの生中継を見て、初めて予告状が出されていたことを知った。 予告が出されたのは三日前だったらしい。 それは、カイトが家出した日だった。 夕飯時、いきなり食事することを放り出して、テレビにかじりついたカイトに新一は驚いていた。 いろいろ訊かれたけれども余裕がなかったので、『快斗』のように「キッドのファン」だと言って、ほとんど新一のことを無視してしまった。 ……だけど、ただのファンにしては『心配』が前面に出ていやしなかっただろうか? もしかしたら、カイトとキッドとの間にある繋がりを、気取られてしまったかもしれない。 しかし、カイトには新一がどう思ったのかがわからない。 あのときは完全に、新一のことが頭の中からすっぽ抜けていた。 相手は、キッドが唯一認める『名探偵』だというのに、その目の前で、カイトはただひたすら、画面にキッドを探していたのだ。 カイトが何か知っているのだと、新一が動いてしまったら、どうしよう……? そんな不安に、今更ながら苛まれた。 「ごめん……」 カイトは今ここにいない彼を重ねて、月に謝罪する。 そのことが、彼の不利に働かなければいいと、切に願う。 しばし、眩しい月の光を見つめていたカイトは、迷うようにハンガーにつるした学生服へと視線を移した。 逡巡は、わずか二秒。 立ち上がった彼はポケットに入れていた携帯電話を取り出す。 充電器がなかったので、電池が切れていてもおかしくなかったが、まだ残っていたらしい。 ほっと息をついて、一度しか使えない番号をプッシュする。 コール音が二回ほど響いて、ほどなく、落ち着いた声が受話器の向こうから聞こえた。 「お久しぶりです。 お元気でしたか」 カイトを案じる、老紳士の声。 どこにいるのか知らないが、雑音が聞こえないところを見ると、どこか建物の中なのだろう。 「オレだけど……。 「ええ、ご安心ください。 本日はつつがなく終了しました」 「よかった……」 その言葉を聞いて、全身から力が抜けた。 「事情はうかがっております。 何かあればサポートいたしますので、そのときは『いつもの番号』へご連絡ください」 「サンキュ。 助かるよ。 あの方の無茶に比べれば、まだまだですよ。 それに、ぼっちゃまのお怒りはごもっとも。 寺井もぼっちゃまの意見に賛成です。 ですから、思う存分、あの方を困らせてあげてください」 茶目っ気のこもった声色に、カイトは破顔した。 「そっか! 困ってたんだ。 よかった……」 くつくつと肩を震わせて笑いながら、泣きそうに顔を歪ませる。 家出してよかった、と。 自分は間違っていないのだと、自信を持てた。 「気が済むまで、そちらに滞在されて結構です。 状態はこちらでモニタリングされていますし……何かあればすぐに駆けつけます」 「やっぱり知ってたんだな」 「ええ……すみません」 「いいって。 それが当然なんだし。 あ、そろそろ電池がヤバイみたいだ。 じゃあ……おやすみ。 ありがと」 「はい、おやすみなさいませ。 ……よい夢を」 本当の祖父のように感じられる言葉に、体のどこかが温まるような、そんな気がした。 手早く履歴を消すと、携帯電話の電源を落とした。 そして、ベッドへ飛び込むように突進した。 あたたかくてやわらかい、さらりとした感触が頬や手に伝わる。 製作者の彼はどこまでも天才で、こんなところまで再現してくれるから、自身との『違い』が、認めがたく、たまらなく辛い。 目を閉ざすと浮かぶのは、白い衣装。 それはどれも、メディアを通して垣間見たもの。 与えられなかったデータのせいで、近年の記憶は虫食い状態だった。 彼がキッドとして行動、発言していたと思われる箇所には、ぽっかりと穴があいている。 椅子の背もたれに体重を預けると、おとがいに手を当てて、思考にふける。 この違法行為が信頼を裏切るものとわかっていたが、どうしても気になってカイトの部屋に盗聴器を仕掛けた。 もとより、倫理観は大雑把だった。 罪悪感はあっても必要とあらばそれを実行できる。 否、謎を追い求めている間は、罪悪感すら抱かないのが探偵・工藤新一の常だ。 そして今、棚上げしていた罪の意識が押し寄せてきて、正直なところ新一は迷っていた。 聞こえたのは、カードを切るような音と、それを取り落とす音。 最初は本のページでもぱらぱらめくっているのかと思ったが、落としたときの音が軽かったのでカードのようなものだろうと見当をつけた。 そして、彼の嘆き……。 しばらくして、誰かと電話していたというのも、なんとなくわかったが、電話に盗聴器をつけたわけではないので、誰と話していたのかは不明である。 電話番号も、打ったときに電子音がしなかったので、探ることができない。 新一は、自覚こそないが絶対音感を持っているので、音さえすれば何番にかけたのかわかったのに。 快斗の言葉から、親しい誰かにケンカ相手の動向を訊ねているというのはわかった。 しかし、新一が一番気がかりで、問題としているのは、そのケンカ相手だ。 通常であれば、彼の「親とケンカした」という家出の理由をそのまま信じることができた。 だが、いかんせん、タイミングが悪かった。 何気なくつけたテレビの特番で、白い怪盗の犯行が生中継されていた。 カイトはそれを目にした途端、小さく息を飲んで、その藍色の瞳がこぼれおちんばかりに見開いた。 次いで彼は、持っていた食器をいささか乱暴な手つきで置くと、テレビの前へ飛んでいった。 食い入るような目つきで画面の前を陣取る。 ただならぬ、その表情。 いつも穏やかで、正の感情しか見せない少年の豹変に、新一は心の底から驚いた。 「……カイト、どうした?」 カイトは、新一の声が聞こえていないようだった。 画面の中では、怪盗の予告状の解説をしている。 怪盗の予告がマスコミにもれているのは、受取人である美術館の館長が公表したからのようだ。 暗号はすでに警視庁で解かれており、予告まであと数分らしい。 「おい、カイト……」 「ごめん、あとにして!」 再度声をかけたら、振り向きもされずに怒鳴られてしまった。 予告時間までの、カウントダウンが始まる。 犯罪者のくせに人気のある怪盗はファンが多く、プラカードを持った野次馬たちが美術館の前でキッドの名をコールしている。 月下の魔術師、平成のルパン、数多くの呼び名を持つ白き衣の大怪盗、その予告時間まで、あと十、九、八、七…… 新一の視界の片隅で、カイトが拳をさらにきつくにぎりしめた。 だが、何も起きることなく予告からさらに数秒が経過する。 二、三、四、五、六、七…… 実況中継をするはずのリポーターは、しかし、一言も声を発することなく、カメラも静けさに覆われた美術館の周辺を映し出す。 カイトも息を殺して、真剣なまなざしを画面からはずさない。 そんな彼の緊張につられたのか、新一もまたかたずをのんで画面に魅入る。 独特の清涼な空気と共に、鮮やかに、美術館の屋上へと広がった。 遠すぎて聞こえるはずのない、白いマントの翻る音が、聞こえた気がした。 瞬間、観客たちの声でビリビリとスピーカーが揺れた。 驚きに彼の横顔を見ると、ほっと表情を緩ませている。 「Ladies and Gentlemen!! 今宵は私のショウへご足労いただき、誠にありがとうございます」 声援に負けない、よく通る声で、大胆不敵な怪盗はマントをさばいて優雅に腰を折る。 だが新一は、目をキラキラさせて怪盗を見ているカイトから、目が離せなかった。 月を背に負った、白くて綺麗な怪盗を飾るに相応しい、蒼く美しい宝石だった。 野次馬たちはその光景に、ほぅ、と感嘆の息をつく。 その夢想を壊すように、怒号が響いた。 「待てえええええっっっ、キッドッ!! 」 この声は中森警部だな、と、新一は苦笑する。 姿は見えないが、彼は屋上の、キッドの背後にいるのだろう。 肩越しに後ろを少し振り向いた怪盗は、しかし余裕綽綽な態度で再び観客に向き合う。 「応援してくださった皆様に、この怪盗からささやかなお礼を」 光り輝く石はいつの間にか消えて、彼の周辺を花びらのようなものが舞っている。 どこからともなく現れ、風も無視した動きをするそれは、見る見るうちに増えていく。 「総員、キッドを確保だ!! 花となって消えた怪盗に、夢のような世界に浸っている観客たち。 しかしカイトは、キッドが消えたあたりを、どこか不安そうに見つめていた。 「なあ、カイト」 新一の声に、カイトは体を震わせた。 「……っ、ビックリした。 何?」 胸を押さえながら、きょとんと見上げてくる無邪気な瞳に、新一は口ごもる。 「あの、さ……食事……」 「あ! ごめんごめん、今から食べる。 オレ、キッドのファンだからさ~。 今日、予告日だって知らなくて、焦っちまったぜ」 装ったような明るさで、カイトは新一から目を逸らしてテーブルに戻った。 ……だが、そのときから新一の疑念は晴れない。 あれは、ファンの反応ではなかった。 カイトの様子は、そのはしばしから、キッドを心配するものに感じられた。 コナンの姿であったときに、怪盗が何者かに狙撃されているのを、目撃していた。 ただのファンはそんなことは知らないし、怪盗によって夢だけを見せられている。 怪盗を心配するカイトは、そんな怪盗の裏事情を知るほど親しいのだろうか。 それともコナンのように、たまたまその現場に遭遇したことでもあるのだろうか。 どちらにせよ、ただのファンではありえない、なんらかの繋がりがありそうだと、新一は結論付けた。 ふわああああ、と。 目に涙をにじませながら、大あくびをした新一は口を手のひらでおおった。 昨日は結局、あまり眠れなかった。 イヤホンを引っこ抜いて、すぐにベッドへ横になったのだが、つらつらと推理を並べ立てる脳は活動を続けてしまい、眠りを遠ざけた。 ようやく眠りの波が訪れたのは朝方で、しかし出席日数が常にピンチな探偵は学校を遅刻することも休むこともできなかった。 それでも、二時間目の途中で目暮警部から電話がかかってきて、事件現場に呼び出されてしまったのだが。 今は、警視庁での事情聴取を終え、それに立ちあった新一も帰路につくところである。 事件の最中は忘れていたが、新一の頭の中は再びカイトに占められていた。 脳裏に浮かぶ、テレビに釘付けのカイトの姿に、もやもやとした不快感が胸を支配する。 これは、一晩考え、否定し続けたものの、嫉妬でしかなかった。 怪盗に嫉妬なんて、懐かしい。 コナンであった頃は、本来自分が持っているはずのものをたくさん持っている怪盗に幾度となく抱いたものだ。 悠々と、気ままに生きているような姿にも、どんな危機も自らの能力で乗り越えていくところにも。 元の姿を取り戻してからも、怪盗にヤキモチを焼くなんて、思いもしなかった。 カイトと怪盗の繋がりを知りたい。 だが、カイトに直接質問はできないし、苗字も聞かなかったから素性を調べることもできない。 ……いや、やろうと思えばいくらでもできる。 顔を知っている。 学校だってわかる。 苗字はわからないが、名前だって知っているのだ。 カイトの学校へ行けば、すぐに判明してしまうだろう。 だけどあえてそれはしない自分に、新一は戸惑った。 失うことを、恐れているからだろうか……。 最初に、カイトを家へ誘ったときにも、素性はわからなくていいとさえ思った。 そんなことをぼんやりと考えながら、勝手知ったる警視庁の内部を歩いていると、意外な人から声をかけられた。 「工藤君!」 振り向き、新一は微かに瞠目した。 口元にひげを生やした男性は、探偵を毛嫌いしているはずの、二課の刑事。 「……中森警部?」 「工藤君、……まぁ、その……なんだ……」 声をかけた中森は渋面を作りながら、目を逸らしがちにしている。 普段、子どもが捜査に加わるのはけしからん、と鼻息を荒くしているだけに、どういう態度をとっていいのか、わからないのかもしれない。 気を取り直すためか、中森が咳払いをした。 「あー……快斗君が君のところで世話になっとるそうだな。 どうだ、元気にしとるかね」 その言葉に、新一は面食らった。 そして、新一が今まで目にしたことのないような、やわらかな顔で笑った。 「ああ、快斗君から聞いてなかったか? 彼はうちの近所に住んどるんだよ。 「そうなんですか……」 思わぬところからカイトの名前が出て、新一はまだ呆然としていた。 情報がうまく脳に伝達されない。 まばたきを数度繰り返す間に、なんとか平静を取り戻す。 中森は、カイトの母親が彼の所在を教えるほど、親しいらしい。 新一は思い切って、気になっていることのひとつを中森に訊ねた。 「……そういえば、カイトは父親とケンカしたと言ってましたが、警部はケンカの原因をご存知ですか?」 「は? 何を言っているんだ、快斗君の父親は九年前に亡くなっとるだろう?」 カイトは『親』とは言ったが『父親』とは口にしてない。 「知らなかったのかね? 快斗君の父親は、黒羽盗一という、世界的にも有名なマジシャンだったんだが……」 「くろば……って、もしかして、『東洋の魔術師』……?」 オウムのように言い返した。 常ではありえないほど、頭の動きが鈍かった。 それでも、有名なマジシャンの異名が、自動的に口からとび出てきた。 「そうだ。 よく知っとるな。 快斗君も盗一君のようなマジシャンを目指してるが……ワシは快斗君の母親から、家出の原因はスランプと聞いていたんだが、違うのかね?」 怪訝そうな中森に、返事もできず。 東の名探偵、日本警察の救世主、平成のホームズと謳われる工藤新一は、らしくもなく、その思考を完全に停止させてしまった。 シルクハットで顔を覆っていたが、彼は心配性の老人がどんな表情をしているのかわかった。 キッドが作製し、丹精込めて育ててきた『快斗』が、米花町の幽霊屋敷、もとい、工藤邸の居候になっている。 キッドが唯一、『名』をつけて呼ぶ探偵。 彼の倫理観は独特で、魔女をして悪魔のように狡猾と言わしめたほど腹黒い。 そんな探偵を相手にして、『快斗』がキッドとの繋がりを隠し通せるとは思えない。 彼がロボットだと悟られてしまったら、一巻の終わりだ。 あの探偵を騙しきるような技術力を持った人間は限られている。 キッドとて、幾度も変装を見破られているのだ。 ブルーワンダーのときも、使い捨てとはいえ自動人形使っちまったしなぁ……。 あれは『快斗』と違って感情プログラムも、『快斗』の記憶も持っていない、足を動かすだけの人形だったが、キッドがそういうものを作れるのだと、連想するには充分な材料だった。 そもそも、あちらの『快斗』がロボットだと露見したあとで、『黒羽快斗』が実在していることが知れれば、疑う要素満載である。 不審極まりない。 いつもキッドに対して素直で、ひたむきにキッドの役に立とうと頑張る『快斗』は可愛かった。 ある意味で自分の分身なのだが、そうとは思えないほど純真で、キッドの癒しとなっていた。 キッドは弟がいたらこんな感じなのかな、と、江戸川コナンを相手にしても抱かなかった感想を持ったほどだ。 ちなみに、小学一年生のナリをしていたときの工藤新一は、キッドにとってひたすら凶悪だったので、可愛いとは思えなかった。 むしろぶりっこされたら怖かった覚えがある。 そんな手中の珠を、天敵の探偵に掻っ攫われてしまった。 初めてやらかしてしまった大喧嘩だけでもヘコんでいるのに、これは追い討ちだった。 謝ろうにも迎えに行こうにも、すねに傷を持つ身なので、キッドはうかつに動けない。 探偵に背後を探られては大いに困るのである。 だいたい、そのようなことになってしまったら、なんのために『快斗』を作ったのかわからない。 『黒羽快斗』がふたりいると知られてしまうことも、また同じ。 キッドの無反応さに、説得を諦めたらしい初老の紳士は、狸寝入りを続ける主にコーヒーを淹れてくれたらしい。 腹筋だけで半身を起こしたキッドは、差し出されたカップを、小さな礼と共に受け取る。 薄めにいれられた、茶色がかった黒い液体に、ゆらゆらと無表情な己の顔が映っていた。 こんな、観客がいないときでもポーカーフェイスができている自分に心の中で苦笑した。 湯気をたてる液体を吹き冷ましながら一口すすれば、ほのかな甘みと、次いで苦味が広がる。 あたたかなものに、体の中がほぐれていく気がした。 何も知らなかったころの、無邪気な子ども。 そして、好敵手となりうるほどの思考能力を持ち、光の中を歩み続ける同年代の人間。 どちらも、キッドが既になくしたものを持っている者たちだった。 ただただ、その幸を祈るように、瞑目する。 計らずも、手を離すときが来たようだ。 しかも本人はこちらの心境などつゆ知らず、無傷のまま飄々と手を振ってくださった。 いちいち驚くのもバカらしくなった哀は溜息をついた。 「……あなた、サルみたいね」 慣れたくなんてなかったが順応させられてしまったことに、皮肉げに歪む口元。 「うわ、ヒドッ! これくらい新一もできるだろ。 二階から地上までの差なんて、オレの身長にプラス一メートルくらい。 ここん家はデカイからそれよりありそうだけど、そんなもんだぜ」 カイトは気にした風もなく、あっけらかんと言ってのける。 「確かに、運動神経のいい人はケガすらしないでしょうけど、普通はしないわよ。 見ていてハラハラするわ」 「あー……そっか、ごめんな? 心配をかけるつもりはなかったんだけど、普段オレが三階から飛び降りても、誰も気にしないから、すっかり忘れてたぜ」 いつものごとく、さらりと爆弾を投下したオコサマは、申し訳なさそうに肩を竦めた。 少年はそのまま助走もつけずにひらりと門を飛び越え、阿笠邸の敷地へ降り立った。 彼のお陰で哀の中にある『常識』の二文字の存在は、風前の灯だった。 哀が研究の合間に、気分転換として焼いたクッキーを、カイトは満面の笑みを浮かべながら、非常においしそうに平らげていく。 その天真爛漫な表情は三日前となんら変わりないのに、それを見つめる少女の眼差しが憂いに翳る。 昨夜、警視庁から戻ってきた新一が自宅へ直行せずに、哀の下へやってきた。 「……カイトの素性がわかった」 お茶を出そうとする哀の背に、単刀直入に切り出した辺りは、彼らしかった。 哀はキッチンでお茶をいれただけでなく、おそらく夕食も満足に取ってないであろう新一のために、鍋焼きうどんも作ってきた。 戻ってきたとき、彼はむっつり唇を引き結び、気難しい顔をして考え込んでいた。 新一が何か口を開く前に、哀は彼に食事をすすめた。 哀に頭の上がらない新一は、大人しくうどんをすする。 阿笠博士はもう遅い時間帯なので、一足先に就寝しているせいか、家の中はどこかひんやりとした空気が漂っていた。 博士の穏やかさに、普段どれほど救われているのか、こういうときにくっきりと浮かび上がってくる。 「それで、何があったのかしら? 素性がわかっただけではないんでしょう」 食べ終えた頃合を見計らって、口火を切る。 哀に促され、新一は警視庁で中森警部に会ったこと、カイトが彼の隣人であることを、ぽつりぽつりと話し出した。 父親は九年前に他界しているらしい。 警部はカイトの家出の理由を、『マジックのスランプ中で、そこから脱するまで誰にもマジックを見せたくないから』だと聞いているようだ」 ただならぬ深刻さは消えないが、哀はその理由がわかって、少しだけ安堵した。 「それであなたは、彼がウソをついたと思ったわけね」 こくりと、江戸川コナンの名残か、幼い動作で頷く新一。 哀は、食事を作るついでに自分のために淹れたコーヒーで喉を潤す。 「彼は確かに『親とケンカした』と言ったけれども、『父親』とは言ってないわ。 私たちが勝手にそう解釈しただけ。 たとえば、名付け親や、親のように慕っている『誰か』がいるかもしれないわ」 弾かれたように新一が顔を上げた。 底の知れない青い瞳に射竦められ、舌先が凍りつく。 「キッド……かもしれねぇと……オレは考えてる」 憶測を滅多に口にしない新一が、哀にそう告げるということは、かなりの高い確率で確信があるのだろう。 きつく、眉根が寄せられた。 そのまま彼は俯いて黙り込む。 らしくもなく取り乱していたのは、それだけカイトと一緒にいたいからだろう。 「工藤君が……」 新一の視線が逸れ、呪縛から解き放たれた哀は溜息をついた。 「それと……カイトを疑う自分が嫌だ」 搾り出すような声色が、苦悩の深さを物語る。 重苦しい空気は相変わらず拭えないものの、哀に話すことで落ち着いて分析ができたのか、新一の雰囲気から硬質さが取れた。 「それで、工藤君はどうしたいの?」 問いかけに対して、ためらいがちに唇が開かれた。 「そういえば工藤君、今日も警視庁へ行っているのね」 「ああ、そうみたいだ。 警察は新一を頼りすぎだぜ。 昨日も遅く帰ってきてさぁ……夕飯は食べてきたみたいだからまだよかったけど、どうにかならないものかね。 あれじゃ、身体壊しちまいそうだぜ」 思い出すように哀が告げれば、クッキーに夢中だったカイトも呆れを隠さずに愚痴めいた心配を零した。 「あら、まだ聞いてなかったの? 工藤君、昨日は帰り際に中森警部に捕まって、あなたのことをよろしく頼まれたみたいよ」 何の気もないように装って、それでも意識はつぶさにカイトを見つめる。 だが、カイトはまったくもって通常通りだった。 「なんだ、遅かったのは哀ちゃんのところにも寄ってたせいか……。 そういや、警部も警視庁だもんなー。 警部、なんだって?」 カイトは新一が、昨日は帰りが遅かったから話さなかったのだろうと、納得しているようだ。 「さあ? 詳しくは私も知らないけど……工藤君、警部からあなたの家出の理由が『マジックのスランプ』だと聞かされて驚いたって言っていたわ」 「ふ~ん、おふくろ、そういうことにしたんだ」 クッキーをくわえたカイトは、ぱきんと半分に折る。 「じゃあ、本当は違うのかしら?」 「半分はそうだけどね。 本当の理由はオレが新一に言ったので正解」 すがすがしいほどあっけらかんとしていて、やましいことなど、何もなさそうだ。 情報を小出しにして反応を見ていた哀は、あまりの手ごたえのなさに内心、首をかしげた。 「ではお父様と、何が原因でケンカしたの?」 あえて父親の不在を知らぬふりをしたまま訊ねる。 「ん? あ、違う違う! 親父じゃねぇんだ。 血の繋がりはないけどさ、ただ、オレにとっては『親』としか言いようがないんだよなぁ……」 クッキーに伸ばしていた手を引っ込めて、どこか懐かしむように、頬杖をついた。 彼は、訊けば答えてくれる。 カイトに気づかれないよう溜息をついた。 哀も、カイトと話すのはキライではない。 自分を偽らなくていいし、斬新でおもしろいとさえ思える。 それに彼といるその空間は心地よいと、出会ってからたった数日しかたっていないのに、心を許している己に驚く。 「ちなみに、ケンカの原因は意見の不一致! オレが『絶対イヤ!』って思ってることをしようとしたからなんだ。 あ、何かはナイショな、口にするのもイヤだから」 悪戯っぽくウインクするカイトに、哀は思わず笑みを零した。 「それに、二日前に知り合いに電話したら、オレが家出して困ってるっておしえてくれたんだ! 向こうが反省して『アレ』をやめてくれたら連絡もくるだろうし……そのときは哀ちゃんたちにも紹介したいな」 ワクワクとこれからのことに思いを馳せる。 前向きな人と一緒にいると、それが自分にも伝播するような気がして、楽しくなる。 「早くその日が来るといいわね」 「うん!」 まるきり子どもそのものな返事に、哀はくすくすと声を立てて笑った。 新一から、夕飯はいらないと連絡が入って、カイトはそのまま阿笠邸で食卓を囲むことになった。 料理上手なカイトと哀が協力しながら調理するのを、博士が孫を見守るようにニコニコしている。 と、こっそり哀にだけ告げられた言葉に、少女が破顔する。 「いつもみたいにあなたが女装すれば、姉妹になれるわよ」 ここ数日は、隣に来るだけなので女装することがなくなっているが、カイトは買い物などの外出の際は未だに女装している。 「なら、オレとおそろいの服でお出かけなんてどう? オレってひとりっ子だから、ちょっとやってみたいんだよね」 「おお! それはいいのう! ワシもぜひ見てみたいわい」 「あら、私としたことが墓穴を掘ってしまったわ」 思わぬところから熱のこもった反応が返ってきてしまって、哀とカイトは顔を見合わせ、声を立てて笑った。 いつもは二人で囲む食卓も、三人になると、とてもにぎやかなものとなる。 少年探偵団といるときのように、哀も自然な笑顔だった。 BGM代わりにしていたテレビから、そのニュースが流れても、彼は常と変わらなかった。 「あ、これ、この間の映像だ。 予告状が出されたのは、オレが丁度家出した頃だったからチェックしてなくてさ。 犯行当日にテレビ見たとき、焦ったのなんのって」 テレビの中では二日前の怪盗キッドの犯行を取り上げており、その再現VTRが流れていた。 幻想的な風景は、いつ見ても意識をそこへとらわれてしまう。 束の間、食事の手を止めていた三人は、ほぼ同時に感嘆の息を吐いた。 「そういえば、また予告状が出されているみたいよ。 今日、工藤君が警視庁に行ったのも、そのことで中森警部に相談されたからだって、さっき電話で言ってたわ」 「へ~! それ、まだテレビでやってないよね?」 「そうみたいね」 カイトが再びテレビへ意識を向けるが、すでに画面は別の話題に移っていた。 新たな予告状が公表されていれば、あっさり話題が切り替わるはずがない。 「うーん、新一に訊いたらダメかなあ」 探偵には、守秘義務がある。 きっと難しいだろう。 うんうん唸るカイトに、博士が助け舟を出した。 「ためしに訊いてみてはどうかのう。 もしも予告状が公開される予定なら、一足先に教えてくれるじゃろうし、ダメでも怒りはしないじゃろ」 「あ、そうだね! そうしよ~っと」 うきうきと、いかにも幸せそうなカイトを見つめながら、和やかに夕食タイムは終了した。 哀がカイトの反応に違和感を覚えたのは、後片付けのときだった。 「洗い物なら、オレに任せてくれちゃっていいからさ。 哀ちゃんは先、お風呂入っといでよ。 明日も学校があるんだし、早く準備して寝ないとね」 学校のことを言われて、哀はふと思い出した。 哀に話しかけたときの表情もそのままに、カイトの動きが、完全に停止している。 我知らず、背を、冷たいものが駆け抜けた。 普段とのギャップがありすぎて、恐ろしい。 「あ……」 小さな声を漏らしたカイトが、ゆっくりとまばたいて、動きを取り戻す。 硝子玉のような瞳に、感情の彩が映し出された。 こんなのは、予想と違う。 不意打ちもいいところなそれは、カイトの反応を知りたいと、哀にあれこれ指示を出した新一も、想定外だろう。 「そう……だね。 気が向いたら、行こうかな」 いつもより少し沈んだ声に、どこかぎこちなさは取れなかった。 ……種は、蒔いた。 あとはどんなものが芽吹くのか待つのみ。 走る悪寒に、我が身を抱くように腕をさすった。 嫌な予感が、する。 何かがおかしいと、カイトの頭脳が、心臓が、警鐘を鳴らしていた。 カイトに勘なんてものはない。 もうひとりの自分、『黒羽快斗』としての考え方、価値観、行動パターンなどといったデータを元に統計をとり、分析した結果だった。 それはとても根拠ある、予感。 なんとか平静を装ったまま阿笠邸を辞して、誰もいない隣家へ戻ったカイトは、玄関の扉にもたれかかるようにずるずると座り込んだ。 カイトは、『黒羽快斗』がふたりいるというのを知られるのはまずいので、外出する際は必ず女装した。 最近は、阿笠邸だけなら素のままで行き来しているが、誰にも目撃されないよう、細心の注意を払っている。 でもキッドは用心して、学校に通わなかった。 哀から伝えられた中森の言葉を額面どおりに受け取れば、それだけのはず。 機関のどこかが囁きかける。 しきりに訴えてくる恐ろしい予感に、我知らず身体が震えた。 カイトにインプットされている最優先事項は、『黒羽快斗になりすますこと』。 その命令によって、カイトは何があっても、『黒羽快斗』の価値観に従って行動する。 だから彼にジレンマというものは存在しない。 普通の機械なら、矛盾する命令があれば、不具合が起きて機能が停止してしまう。 良くも悪くも、機械は命令されたことしかできない。 でもカイトは『快斗』としての記憶がある。 多くの行動例がある。 一見、矛盾しているような心理も行動も、『快斗』が過去に行ったそれらと照らし合わせ、分析して、最適と思われる行動をとれる。 命令された、その最優先事項に従っているだけでいい。 これまで、どんなことがあっても、カイトは命令を守っていた。 なのに、それを取り落とした。 哀の言葉に、それほどの衝撃が襲った。 最優先事項を忘れかけたのだ。 よくも、その時点でクラッシュしなかったと思う。 さほど間を空けずに切り替わったものの、それでもタイムラグができた。 それを哀に不審がられなかっただろうかと、気を回す余裕すらなかった。 失うことが、とても怖い。 それは『黒羽快斗』が父親を失ったときの心の動きに似ていた。 心が冷え切って、身動きがとれない。 忠実すぎるほど、カイトは彼を模倣してしまう。 冷え切った玄関で膝を抱えたカイトは、静寂を引き裂く電話の音に、ビクンと身体を硬直させた。 呆然と顔を上げると、人を急かすような音はしつこく鳴り響いている。 のろのろとだるそうな動きで発信源の前にたたずんだカイトは、迷いながら受話器を手にした。 」 その声を耳にして、カイトは一筋の光明を見た。 「……ぼっちゃまですか?」 寺井の口上を遮るほど勢い込んだカイトの様子に、機械の向こうで戸惑う気配がした。 彼はきっと、カイトの状態に異変が起きたことを知って、連絡したのだろう。 「うん。 あのね、オレ、寺井ちゃんに聞きたいことがあるんだけど……」 カイトはこれ幸いとばかりに、予告状のことを聞こうとしたが、盗聴を恐れて、躊躇った。 使っているのは工藤邸の電話だ。 盗聴器を、新一本人ではなくとも、新一を目障りに思っている者が仕掛けているかもしれない。 何しろ彼は有名な探偵であり、多くの事件に関わってきている。 誰かに怨まれていても不思議はないし、誰かに利用されそうになることも珍しくはない。 カイトは今、その能力の大半を封じられている。 よって、盗聴器の探知なんて芸当はできないのだ。 しかもそれを探知できるようにするための封印の解除は、キッドしかできない。 「よろしければ、明日、店に来ていただけますか?」 「うん、そうする。 ……大丈夫、一日くらい遅れても、まだ間に合う、よな……?」 それに対する返答はなかった。 「いつでもよろしいので、いらしてください。 ……何か用意しておくものはありますか?」 「あ、服がほしいかな。 しかし振り向くことはせずに、電話に集中しているふりを続けた。 「どのような服にしましょうか」 「寺井ちゃんの見立てに任すから、オレの部屋からテキトーに持ってきて」 「はい、ではそのように」 「あ、新一? おかえり~!」 カイトはたった今、接近する新一に気づいたそぶりでちょっとだけ顔を上げた。 「ただいま」 新一は電話の向こうに気遣って、小さな声でいらえた。 「おや、ではそろそろお暇しましょうか」 「うん、おやすみ、寺井ちゃん」 「おやすみなさいませ」 受話器を置くと、新一がリビングに向かいながら苦笑した。 「……別に、急いで切ることなかったのに」 「んー、でも、ちょうど話も終わったところだったし」 「今の……カイトのおじいさん?」 「血の繋がりはないけどな。 寺に井戸の井って書いて、ジイって読むんだ。 『おじいちゃん』っていうには、ちょーっと若いんだけどな」 ソファに腰を下ろした新一のために、コーヒーを淹れてやりながら答える。 「いろいろ近況とかおしえてもらってるんだ。 あ、明日、オレ出かけてくるな。 着替えも家から持ってきてもらうんだ」 「そっか」 どっかりソファに陣取っている新一は、ネクタイをはずしてブレザーを脱ぐと、ごろんと横になった。 彼の端正なかんばせには、疲労の色が濃い。 「新一、なんか疲れてない? 中森警部の相談って、そんなに大変だった?」 「ああ……。 警部のお陰で耳が痛いのなんのって」 ぼやく新一に、カイトは実感をこめて頷いた。 テレビで中継を見ていても、中森警部の声は、遠くからでもかなり響く。 「中森警部も有能なんだけど、あの人、いっつも自分が先陣をきるからな。 たぶん、いつもキッドに逃げられるのって、そのせいだぜ。 距離を置いて全体を把握しながら指示を出せば、惑わされることも減るはずだ」 「ああ、中森警部、キッド逮捕が生きがいだからね。 もう何年も追ってるって言ってたし」 生き生きとキッドを追う警部の姿は見ていても気持ちがいい。 あまりにもキッド一途で、清々しいというか、微笑ましくなるほどだ。 「ほかにもいろいろ、キッドの資料を一式見せてもらって、対策したせいかな。 最後はもう、声がかれるまで怒鳴ってたぞ、あの人。 かなり意見を戦わせたせいか、オレも喉が痛てぇや。 ……でも、これで……次こそは捕まえるさ」 仄暗い炎を燃やす瞳は、天井ではなく、虚空を見ていた。 否、彼の瞳に映っていたのは、キッドかもしれない。 「へー……そういえば哀ちゃんからも聞いたよ。 予告状の暗号は解けた?」 「いや、今回は暗号じゃないぜ」 「え? 暗号じゃないのに参加してるんだ?」 できあがったコーヒーを新一の前に置いたカイトは、向かいのソファに座って首をかしげた。 「ああ。 別にオレは、暗号だけが目的じゃねーからな」 「そうなんだ……。 なあ、予告がいつかおしえてもらっていいか?」 「いいぜ。 予告を出されたデパート側がもうマスコミに公開しちまったらしいからな。 どうせ明日には正式発表されるだろうし……。 予告は三日後の二十時四十五分、ターゲットは東越デパートに展示されている、『永久の炎』というルビーだ」 「うっしゃ、見物に行こ~っ! サンキュ、新一!」 カイトは学校で『快斗』がするように、ガッツポーズをする。 子どもみたいなはしゃぎ方をするカイトを、新一は微笑ましそうに見守っている。 カイトは彼の瞳の奥に、油断ならない光が宿っていることに気づかなかった。 翌日、カイトは寺井が経営する、ブルーパロットへ足を向けた。 本日休業と張り紙をしてある扉をくぐると、寺井は待ちかねていたようにカウンターから出てきた。 「お待ちしておりました、ぼっちゃま」 新一の母親の服を借り、念入りに女装しているカイトを見ても、寺井は動じなかった。 慌てず騒がず奥の住居スペースへ案内してくれる。 それ以降は互いに無言で、カイトは寺井が機械を使って盗聴器のたぐいが仕掛けられていないかチェックし終えるのを待つ。 キッド特製の機械は、何の反応も示さなかった。 「……問題ないようです。 早速ですが、相談というのは今朝発表された、予告のことですね」 「違う……いや、違わない、か?」 「ええ、違わないでしょう。 瞳は驚愕に見開かれ、唇が震えた。 「やっぱり……キッドは……ッ!」 続きは、言葉にならなかった。 あのときの、数日前の彼の言葉が、耳の中で木霊して離れない。 こんな偽りの存在が、あなたに成り代わり、あなたの居場所を奪うなんて、許されない。 自分自身が、許さない。 「オレ……、オレ、なんか間違った!? なあ、どうしてだよ!? 」 必死の表情ですがりつくカイトを振り払えもせずに、寺井は痛ましげに顔をそらした。 彼を模倣した細くしなやかな指が、小刻みに震えている。 強張るほどに、血の気を失うほどに力を込められ、白く白くなっていく。 「オレはキッドを手伝いたい。 けど、こんなのは嫌だッ! どうしたらいい!? 」 ぼろぼろと頬を濡らす雫が、体内で熱を持ちすぎた機関を冷やすためにあふれているのだと理解していても、寺井は直視できない。 腕に食い込む手を、振り払えもしない。 カイトが家を出たのは、最初は最良の選択だったろう。 キッドに都合が良すぎるほど、カイトを預けられる環境が整っていた。 優秀な発明家は、ロボットであるカイトを修理できる。 偶然とはいえ人を若返らせる神秘的な薬を生み出した薬学者はその他の医学にも精通しており、カイトを精神的にもケアできるだろう。 そして、キッドと酷似した容姿で、さらに気質までよく似ている探偵。 カイトはあっさりと探偵の存在に馴染んだ。 カイトが積極的に世話をやいたのは、彼がキッドに似ていたせいもあるだろう。 確固とした価値観を持つ彼は、これからカイトがさらに成長していくための、人間のお手本としても悪くなかった。 だが、寺井はそれを口に出来ない。 それはカイトをさらに追い詰めることにしかならない。 「なあ、助けてくれよ! たすけて……おしえて……? オレは、どうすれば……いい……?」 消えていく悲痛な訴えに、ただただうなだれる。 すすり泣きは、冷たいコンクリのカベに吸い込まれることなく、反響した。 カイトは小一時間ほどかけて、ようやく落ち着いた。 そうそう、泣いてばかりもいられなかったのだ。 寺井が用意してくれた砂糖とはちみつ入りのホットミルクを飲みながら、状況説明に耳を傾ける。 寺井は昨日、カイトのパラメータに機能停止と見られる変化があったことをキッドに知らせようとしたのだが、連絡がつかなかったこと。 そして連絡の取れない状態が今も続いていることを話した。 キッドは独自に動いて連絡を絶つこともしばしばだった。 常ならば、心配こそすれ、ここまで慌てない。 しかし、彼がカイトを作った本当の理由がわかっている今は、とうてい安心できなかった。 「あのさ、今回のターゲットのこと、何か知ってるか?」 「一通りは調べました。 ただ、あの方は、この石の名前は気になるものの、探し物である可能性が低いとおっしゃっていたのですよ。 展示の期間も長いですから、スケジュールに余裕があったら盗む、とも」 「そうか……それならあんまり危険はなさそうだ」 「それは、一概に言いきれません。 組織側でも名前を気にして目をつけている可能性があります」 キッドの言葉がどこまで本当なのかわからなかった。 彼は本心を覆い隠すことがうまい。 「可能性が低い」という発言は、この状況を見越してのフェイクである可能性が高かった。 「うん……でも、どうしても話がしたい。 連絡が取れないなら、オレが出向かなきゃな」 警察や探偵は気づいていないが、中継点ならば予告状に書いてある。 それは、暗号でないときの予告状特有のものだ。 解き方を知っていれば、それが暗に含まれているとわかっていれば、発見できる。 そのことを、『快斗』の価値観を知るカイトは、誰に教えられるまでもなく、予告状を見ただけで読み解けた。 「……わかりました。 では、寺井がサポートいたしましょう」 カイトは完全に決めてしまっている。 こうなっては、決して退かないと、『快斗』をよく知る寺井はわかっていた。 潔く諦めて補佐に回ってくれるという寺井に、カイトはずっとこわばっていた頬を緩めた。 「サンキュ。 頼りにしてるぜ」 寺井と作戦を練ったカイトは、カイト自身が新一に疑われているであろうことを、寺井に教えられた。 カイトが予告状の内容を一足先に教えてもらえたのも、哀にいろいろと話を振られたのも、そのためだと言った。 だけどカイトは帰宅してからも、新一の探るような目を気にしないことにした。 家の中はぎこちない空気が漂ってしまったが、それも受け流した。 現在、最優先すべきことはキッドと話をすることだった。 そうして迎えた予告当日。 新一は朝からキッド捜査に加わることになって、カイトどころではなくなった。 カイトはキッド見物に行くと宣言してあったので「もしかしたら、帰りは一緒になるかもしれないな」なんて、冗談を交えて新一を見送った。 あとは普段通りに家事をして、時間をつぶす。 夜が来ると、早めに夕飯を食べた。 そして食器を片付けると、恒例の女装をして家を出た。 新一が本当にカイトを疑っているなら、哀と阿笠博士に頼んであとをつけさせているかもしれない。 だが、それを確かめ、無理にまく必要はない。 デパート周辺はキッド見物に来た人たちであふれているから、彼らは人ごみで自然とカイトを見失ってしまうだろう。 盗聴器や発信機の対策として、女装して家を出たカイトは途中で動きやすい服に着替えた。 借り物の服はロッカーに預ける。 あとから何か言われても、キッドの追っかけにスカートは不向きだというのは、言い訳として妥当だ。 人波を縫うように黙々と歩いて、誰にもつけられていないことをそれとなく確認したカイトは、ようやく寺井と合流した。 そして、割り出したキッドの中継点の近くへ、車で送ってもらう。 今宵のキッドのターゲットは、『永久の炎』。 その別名を、『不滅の業火』という。 予告状には『罪深き炎の石を頂きに参上する』とあった。 キッドは別名の方を表現したのだろう。 カイトも前日、展示場へ足を運んだが、その深すぎる紅さは暗い炎を連想させ、あまり好きになれなかった。 キッドは間違いなく、その石を手にするだろう。 予告時間が過ぎてからしばらくして、遠くでダミーのキッドが風に流されていくのを、それをヘリコプターが追跡するのを眺めた。 それに遅れてもう一体、今度はキッドが動かしているであろうダミーが、また違った方向へ飛び去るのを見た。 もうすぐ会えるのだと思うと、緊張した。 実は、白い怪盗の扮装をしたキッドと直接対面するのは、これが初めてだった。 カイトは工事中で人気のないビルの屋上で、手を握ったり開いたり、そわそわしながら時が過ぎるのを待つ。 闇を切り裂く白に、目を、瞠る。 翼を畳むと同時に、ばさりと広がったマント。 左目にはモノクル。 白いスーツに、青いシャツを身につけ、紅いネクタイがアクセントとして映えている。 冷涼な気配が辺りを支配し、カイトの舌が凍りついた。 「これはこれは、珍しいお客様だ」 夜気をはらんだ、涼やかなテノール。 これこそが、怪盗としての、キッドなのか、と。 カイトの知るキッドとはまるで別人の存在に、ひたすら圧倒される。 カツカツと真っ直ぐ歩いてくるキッドは、しかし適度な距離を保って、停止した。 「いったい、どのようなご用件で?」 優雅に首を傾げられ、カイトは息を吐き出す。 そこでようやく、自分が呼吸を忘れていたことに気づいた。 キッドは静かに、カイトの言葉を待っている。 だが、そう長くはここにいられない。 キッドがキッドである時間が長引けば長引くほど、彼の危険が増す。 カイトは意を決して、口を開いた。 「オレが……オレがキッドをするから、キッドは『快斗』に戻れよ!」 用意していた言葉は吹き飛んで、直截な表現をしたカイトに、キッドは不敵な表情を崩さずに哂う。 「おやおや、これは面妖な。 ……キッドは私でしかありえない。 私にしかできない」 カイトには無理だと、そう告げる。 それは今、怪盗たるキッドを目にしたカイトにも、痛いくらいわかった。 この空気は、場を支配するほどの力は、作り物である自分には生み出せない。 「じゃあ、『快斗』を捨てるのだけはやめてほしい! オレは『快斗』じゃない! 代わりなんてしたくない!! 」 言いながら、ほぞを噛んだ。 これでは、あのときと、ケンカして飛び出したときと同じだ。 一度失敗したのと同じ言葉で彼を説得できるはずがない。 「キッドを助けたいけど、こんなのヤだッ!!! 」 ぎゅっと目を閉じて駄々っ子のように叫びながら、情けなさのあまり胸がつぶされそうな感覚が襲った。 感情というものがどこから来るのか、カイトにはよくわからない。 けれど、キッドが左胸の心臓辺りに埋め込んだ擬似感情発生装置が、暴走している気がした。 「……バカ。 その顔で泣くなよ」 不意に、怪盗の纏う空気がやわらいだ。 おずおずと目を開ければ、見守るようにあたたかなまなざしが注がれていた。 カイトは涙など流していなかった。 瞳の表面に溜まっていた水が、ひとしずく、こぼれた。 「おふくろが『親が何かを押し付けたりしても、子どもは反発するだけよ』って言ってたけど、本当だな。 しかもオメーは、オレだし。 ……当然かも」 謳うような声は苦笑が滲んでいたけど、どこか楽しげだった。 「この前、一度だけ家に寄ったら『子どもにそんな重いものを、たったひとりで背負わせてはだめよ』ってお説教されちまった。 共に歩め、ってことなんだろうな。 きっと」 カイトにとっては、キッドは生みの親であり、育ての親だ。 そしてキッドの母親は以前、三人で食事をしたときに「息子と同じ大きさの孫ができちゃったわ」なんて話していた。 カイトは、彼の母親が自分の味方をしてくれたのだと知って、その場にへたり込みそうになった。 身体にじわじわと広がるのは、安堵だ。 だが、安心するにはまだ早かった。 ただ、冬の冴え渡る夜空のような双眸の美しさに、やはり自分は彼になれないと、確信していた。 一個目はあからさまなダミーだった。 グライダーが風に流されている時点で不自然だったのに、警察車両は気づかずにそれを追ってしまった。 一斉に警察がダミーを追った後、デパートの屋上から飛び立ったものは、軽い向かい風が吹いている方向へと飛び去った。 新一は、それを追いかけてしまった。 精巧で、また自在に動いていることからも、ダミーに見えなかった。 けれど、野次馬をかきわけ阿笠博士にチューンナップしてもらったバイクに跨ったとき、頭上のグライダーに違和感を覚えた。 滑らかに空を飛ぶその動きが、あの怪盗にしては固い気がしたのだ。 新一以外のものが見ても気づけないような、微小な差。 「クソッ! 三段構えかよっ!」 盛大な舌打ちと共に、新たに飛び立った白い鳥を追うべく、方向転換した。 早めに気づいてよかった。 どのみち足となるものが必要なので、タイミングも悪くなかった。 しかし、道路に沿って走らねばならないものと、そんなものはお構いなしに一直線に飛ぶものとの差は大きい。 なんとか離されすぎないうちに、怪盗が降り立ったビルへ駆け込んだ。 エレベーターという文明の利器は故障中の張り紙がしてあったので、仕方なく一気に階段を上った。 屋上の扉の前で一旦立ち止まった彼は、呼吸を整えながら少しだけ扉を開けて、怪盗の存在を確かめる。 だが、真っ先に彼の目に飛び込んできたのは、ここにいてはならない人の姿だった。 「カイト!? 」 思わず扉を蹴飛ばすと、怪盗キッドのまなざしが、新一に注がれた。 だが、新一に背を向けるカイトは、振り向きもしなかった。 疑惑が確信に変わる。 嫉妬を孕んだ黒い感情が急速に広がっていく。 「なんでオメーが! ここで!! こいつと会ってんだよッ!? 目の前の怪盗をそっちのけでカイトに詰め寄る新一は、明らかに冷静さを欠いてしまっていた。 「おやおや……この方は、きちんと予告状の暗号を読み解いてここへ来たというのに、とんだ言いがかりですね」 聞こえよがしの嘆息に、新一は怒気をはらんだ双眸でにらみつけた。 「暗号、だと?」 「ええ、そうですよ。 文面をそのままの意味で受け取ったあなたたちは、暗号だと気づかなかったようですが」 ククク、と愉快そうに喉の奥で哂う。 「……なるほどな。 それはオレの不覚だが……てめぇ、こいつに何をした!? 」 「さて? 特に何も、と言ったところで探偵君は認めやしねぇだろ」 純然たる怒りの発露に対し、怪盗の口調がガラリと変わった。 江戸川コナンと対峙していたときと同じ、どこか乱暴なそれになる。 「ほい、それは必要ないものだったから、返しといてくれ。 じゃあな!」 無造作に時価数億円もするビッグジュエルを投げられ、新一は慌ててキャッチする。 その間に地上へ飛び降りたキッドが、落下途中でグライダーを広げた。 「チクショウ! 待ちやがれ!! 」 屋上のギリギリのところまで来て叫ぶが、悠々と鳥は去っていく。 宝石を守る側としては、それが隙になってしまうことはどうしようもないのだが、悔しさが拭えない。 「待って! キッド!! 」 「って、オメーも待て!」 カイトが急に我を取り戻し、キッドを追うようにビルから飛び降りようとするのを見て、新一は大いに狼狽した。 抱き込むようにしてなんとか押しとどめるが、カイトは暴れることをやめない。 」 「無茶だ! 追いたいなら階段を使え!! 」 がむしゃらな暴れ方は、人体を封じ込めるための要所をおさえた新一の拘束を解くには至らなかった。 「~~~~っ、わかった。 そうするから離せ!」 焦燥にかられるカイトが方向転換しようとするのを見て、ようやく力を抜いた。 そして怪盗が逃げた方向を確かめると、みるみる遠ざかる白い翼が、突如、制動を乱すのを目撃した。 」 「ウソだろ!? 」 ふたりが見守る中、怪盗が操るグライダーが、どんどん高度を落としていく。 新一もカイトを追いかけるが、九十九折りになっている階段を一息に飛び越え、そこから横に一歩飛んで方向転換すると、またジャンプ一つで段を飛び越えてしまうカイトには追いつけない。 新一にできるのは、せいぜい四~五段飛ばしだ。 地上に出るとバイクで走るが、自分の足で駆けているカイトの背があっという間に遠ざかっていく。 「……おいおい」 バイクでも追いつけないなんて、そんなのアリかよ。 少しげんなりしながら、キッドが墜落したと思われるポイントを目指す。 たどり着いた先は埠頭近くの、コンテナが並んでいる場所だった。 遮蔽物が多いため隠れるにはうってつけだろうが、探す側は大変だ。 新一は油断なく辺りを探りながら、携帯電話で、博士とキッドの現場近くにいるはずの哀に連絡を入れる。 「工藤君、ごめんなさい! 見失ったわ!」 開口一番、名乗る余裕もなく言われてしまった。 「発信機は?」 新一が電話した第一の理由はそれだ。 それさえあれば、キッドがいるであろう詳しい場所が判明する。 「ダメ、発信機はロッカーの中よ。 途中で着替えたみたい」 そういえばカイトは、外出する際のお決まりである女装ではなく、どこにでもいそうな少年の姿だった。 「そうか。 悪いが、オレがいるところまで車を回してくれ」 言いながら、新一は持たされていた発信機のスイッチをオンにした。 「わかったわ」 無駄口は一切なく、携帯電話を仕舞いこんだ新一は、身を隠しながら慎重に移動していく。 キッドを狙撃した敵も彼を追っている可能性が高い。 キッドがすぐ落下しなかったことから、狙撃手はしとめ損ねたことをわかっているはずだ。 人が立てる物音は、どこからも響かない。 気配も感じられないが、新一は自分ならどこに身を隠すだろうかと考え、扉が少しだけ開いている倉庫を見つけた。 広がるのは紅が映える白い布。 「カイ……ト……」 吐息のような声が聞こえたのか、キッドの上半身を支えるように抱きしめていたカイトが振り向いた。 「新一……やっぱり来たんだな。 危ねぇから、ちゃんと閉めてくれ」 どうやら扉は、新一のために開けられていたらしい。 するりと中へ身を滑り込ませると、音を立てないように扉を完全に閉ざした。 「……ケガ、してるのか」 「ふ……大したことはありませんよ」 どこまでも余裕を含ませた声色は、新一の神経を逆なでする。 怪盗はシルクハットを目深にかぶっていて、弧を描くようにつりあがった口元でしか表情を読み取らせない。 キッドはカイトに身を預けるようにしながらも、自力で立っていた。 左肩を負傷しているのか、そこから血が滲んでいるものの、床に血痕はなかった。 「ざまぁねぇな」 新一は嘲笑うが、怪盗はさらりと受け流した。 「そうですね。 とりあえず個人的に動かれては都合が悪いので、お待ちしていました」 「ああッ!? 」 「私は血を好まない。 誰にも邪魔はしないでいただきたいのでね。 ……奥に、マンホールがあります。 そこを通って、ここから立ち去ってください」 新一は憤りを覚えるが、この場を去ることに異存はない。 「てめぇはどうするんだよ。 そのケガで、やりあうつもりか?」 「……入り口を塞ぐ者が必要なのですよ。 もしかしたら、そちら側も負傷しているのだろうか。 「不本意ながら、オレもカイトに賛成だ。 そんな後味の悪いマネ、できっかよ」 「時間がないのです。 急いでください!」 かたくなに拒絶するキッドは有無を言わせずカイトの手を引いて、奥へと追いやる。 珍しく、余裕の仮面がはがれかけている。 「探偵君、そこの箱をどかせ……隠れてっ!」 片腕が使えないためか、新一に頼みかけたキッドが鋭く注意を放った。 新一も急いでふたりのあとを追い、物陰に身を潜めた。 ほどなく、気配を押し殺した何者かが倉庫の扉を開けた。 ゆっくりとした物音を立てないその動きは、しかし、俊敏だった。 数名が扉から身を滑り込ませ、すかさず銃を構えた。 静かに倉庫内を取り囲んだ敵の数は、三。 退路の確保にダンボール箱をよけようにも、その動きは彼らの目に入ってしまう。 彼は新一の視線に気づいて、首を振る。 大人しく好機を待つことしか、策はないらしい。 新一は勝機を見出すべく、めまぐるしく頭脳を回転させた。 だが、そうするうちに捜索者のひとりがこちらへ近づいてくる。 危険に場慣れしてるため、新一は表情こそ平静だったが、それでも痛いくらい鼓動が早かった。 くい、と。 それまで身じろぎ一つしなかったカイトが、キッドのマントを小さく引いたのが、視界の端に映る。 「……コードの、解除を。 オレなら、なんとかできる」 彼は唇の動きだけで、キッドに話しかけた。 読唇術を心得ている新一もそれが読み取れたが、なんのことかわからない。 キッドがかぶりを振るが、カイトは退かない。 「……じゃあ、勝手にやるよ?」 「……」 キッドの逡巡が、新一にも伝わってくるようだった。 彼らが何を話題にし、キッドが躊躇しているのかは、わからない。 だけどそれはふたりが親しさに他ならない。 明確な繋がりを目にした新一は、そんな場合ではないのに暗然とする。 ただし、殺すなよ」 一度瞑目した怪盗が、再び藍の強い黒瞳を開いたとき、そこからは一切の迷いが消えてきた。 「探偵君はこいつを動かして、マンホールを開けてくれ」 闘志に煌く瞳に射抜かれた新一が気を呑まれたまま頷くと、即座に煙幕弾がキッドの袖口から転がり落ちた。 Voice-print collation completion...... Combat form shift! 」 凛と響く声に続いて、カイトから事務的な音声が発せられた。 白い煙に視界を遮られながらも、至近距離にいた新一は、それを目の当たりにしてしまった。 さらに腕が肘の辺りでありえない方向に折れ、そこから弾丸が発射された。 「うわっ、なんだ!? 」 急に視界を奪われた男たちが、闇雲に銃を放つ。 すべて一瞬の出来事だったはずなのに、新一の目にはスローモーションのように、コマ送りで映った。 新一は思わず、この現実を疑った。 その間に体勢を低くしたキッドが、ぼんやりしている新一の元へ移動し、彼の腕を取った。 「急げ、探偵君」 せかされて、飛びそうになっていた意識を取り戻した新一は背筋を這う冷たいものを無理に頭の片隅に追いやった。 少々乱雑だが迅速にダンボール箱をどかせて、重いマンホールを少し持ち上げると、あとは足でそれを横にずらす。 キッドは敵の視界が晴れないうちに、さらにもうひとつ煙幕を落とす。 カイトには敵の位置が見えているのか、あっという間に物音がしなくなった。 「掃除完了。 みんな眠らせたぜ」 「よし、裏口から出るぞ」 マンホールはフェイクにするらしい。 新一は忌々しい思いを抱えながらも、怪盗の後に続く。 訊きたいことが、たくさんあった。 怪盗はこの辺りの地理をよく知っているのか、迷いのない足取りで駆ける。 とてもケガをしているようには見えない。 左の肩を汚す紅さがなければ、新一も忘れてしまいそうになる。 あと少しでコンテナの群れから出るという、まさにそのとき。 ぱしゅん、と空気を押しつぶしたような音がして、キッドが身体をよじった。 まだ、敵がいた。 カイトはすぐさま、腕に仕込まれていた弾丸を撃った。 だが、同時に狙撃手も発砲しており、それが無理に初撃をかわしたために、体勢を立て直せないでいたキッドの足を打ち抜く。 どさりとスナイパーが倒れる音もした。 うめき声ひとつ立てなかった怪盗は、ほかに敵がいないことを確認すると、淡々と応急処置を開始する。 腕の動きはぎこちないが、キッドはこんなときでもマジックで応急キットを取り出し、足をきつく縛ると、あふれる血を拭ってから止血テープを貼る。 地面に流れた血は、キッドが何かの薬品をまくと、蒸発するように消えた。 「だ、大丈夫!? 」 「気にするな。 早くここを離れるぞ」 血が残っていないかぐるりと確認し、立ち上がる。 「バカ、無理するな。 カイト、そっち側を持て」 さすがにこの無茶は見逃せなくて、新一が左側からキッドを支える。 カイトも新一に倣って、キッドのケガに障らないよう、慎重にキッドの腕をとり、自分の肩に回させた。 そして片方の手をキッドの腰に回し、もう片方で彼の膝裏をすくいあげた。 ふたりが左右から抱えるという、妙な体勢となってしまったが、走るのには支障はない。 計らずも、至近距離で怪盗の顔を見ることになってしまった新一は、束の間、息をのんだ。 まじまじと、その顔を見つめてしまう。 これまで距離を置かれていたため、どこか不明瞭だった造作が、この暗がりの中でもはっきりと見て取れた。 新一がここ数日を費やして調査し、立てた推論の通りに、キッドの顔はカイトと同じだった。 覚悟していたはずなのに、動揺してしまう。 だが、しばし硬直していた新一は、怪盗が微かに笑ったことで、敵愾心をよみがえらせた。 無理矢理、視線を彼から引き剥がす。 「……行くぞ」 号令を出し、抵抗せずにおとなしくしているキッドを抱えたまま駆けた。 「あ、五十メートルほど進んだら、右に折れてください」 「いや、もうすぐ博士が来るはずだ。 そっちに運ぶぜ」 せっかく確保不能の怪盗を捕まえたのだ。 逃すつもりは、さらさらない。 それに、訊きたいことも大量にある。 「治療するにも、そのほうがいいはずだぜ。 灰原は、免許こそねぇが腕は確かだ」 「……やれやれ、ずいぶんお人よしですね」 「安心しろ、オメーほどじゃない」 呆れの滲んだ皮肉に、間髪いれず切り返すと、否定できなかったのか、キッドが押し黙る。 ハートフルさ加減では、この怪盗に敵うものはいないに違いない。 と、そんな場合ではないのにこっそり思ってしまった新一である。 「新一、キッドをどうするつもりなんだ?」 探るようなカイトのまなざしは、返答次第によっては攻撃すると物語っていた。 そこに滲んだ敵意と警戒に、新一は唇を噛んだ。 未だ機械そのものの瞳に見つめられるのが居たたまれなく、ぎこちなく顔を逸らす。 「オレは、探偵だ。 犯罪者を見逃すつもりはないが……警察に突き出すかどうかは、話を聞いてから決める」 ウソはつけなかった。 どうすべきなのか、新一は未だに迷っている。 敵に撃ちこんだ麻酔の効果がどれほど続くかわからないので、できるだけ現場から遠ざかっておく。 新一は頃合を見計らって、路地の影に、キッドをおろした。 「……灰原? 今、どの辺にいる?」 電話をかけると、あと五分もしないうちに着くと言われ、簡単に場所を説明して切った。 「さて、話してもらおうか。 オメー、カイトとどういう関係だ?」 「見ての通り、としか言いようがないですね」 飄々と肩をすくめる怪盗に、新一が唇をへの字に曲げる。 「てめぇ、真面目に答えろよ」 「……」 「なあキッド、オレが話していいか?」 問い詰められるキッドへ助け舟を出すように、カイトが首をかしげた。 黙考していた怪盗は、諦めたように溜息をつく。 「しかたないですね……。 実は以前、彼がケガしているところを拾いまして、彼が失った腕や視界を、私が機械で補ったのですよ」 つらつらと、嘘八百を並べ立てる怪盗に、カイトが目を丸くする。 「彼、マジシャンを目指していまして……私もかねてから彼のことは知っていましたし、本人もマジシャンになる夢を諦めるつもりはないと言っていたので、僭越ながら、技術を提供したんです」 「ほほう……」 わざとらしい感心の仕方に、青い瞳が物騒な光をもらす。 「つまりオメーは、カイトが人間だと言いたいのか?」 「おや、それ以外のなんだと?」 至極不思議そうに問いを返されるが、新一は騙されなかった。 「そうじゃないなら、どうして、オメーの顔はこいつと同じなんだ。 オメーは今……素顔だろ。 それに、ただマジシャンを目指してる奴に、なぜこんな戦闘能力が必要になるんだ。 しかし、それに慣れてしまえば、いつしか認識が甘くなる。 彼がどんな、人間にはできないと思えることをしても、彼ならばできそうだと思ってしまうようになる。 「オレは、カイトのことを調べるために、学校へも行ってみた。 そしたら……ここ数ヶ月のカイトは、どこか反応がいつもより幼くて、みんな多少なりとも違和感があったそうだぜ」 ここ数日、『黒羽快斗』について調べていた新一は、途中から『黒羽快斗』がふたりいるのではないかと思っていた。 そしてキッドの素顔を知り、それは確信に変わった。 だけどそれでも新一は、今日、このときまで、カイトがキッドのそっくりさんか、血縁の誰か。 あるいはクローンではないかと疑っていた。 人ではなかったなんて、今の今まで考えもしなかった。 普通ではない能力の披露は、さらに普通ではない存在を隠すための偽装だったのだ。 「天才と謳われるオメーなら、できるんじゃねぇのか。 人にしか見えないロボットを作ることも、それに感情というものを持たせることも」 長い長い、沈黙が降りた。 動くものは風に嬲られたものだけで、新一はひたと、カベに身を預けて立っているキッドを、視線で射止めていた。 カイトも足を地に縫い付けられたように、みじろぎひとつしない。 彼らの間を取り巻く冷たい空気を破ったのは、怪盗だった。 「ククククク……さすがは名探偵」 告げると、耐え切れなかったように、さらに爆笑した。 哄笑が、酷くカンに障る。 「いい加減、馬鹿笑いはやめろ」 あまりに常と変わらぬものだから、相手がケガ人だということを忘れて蹴りを喰らわせようとすると、キッドは体重を感じさせぬ動きでふわりと攻撃をかわした。 ふうわりと、マントが広がる。 一足とびで距離を作り出した怪盗は、愉快そうに目を輝かせた。 彼をどうするつもりですか?」 「どうもしない」 「え?」 逃げられたことに舌打ちしながら、疑問の声を上げたカイトを振り向く。 「だから、どうもしねぇよ。 帰りたきゃ帰ればいいし、オレの家にいたけりゃ、いればいい」 「おやおや、探偵君は彼がお気に入りのようだ」 「るっせぇ! 茶化すな。 だいたい、こいつはなんの罪も犯してねぇだろ」 「……銃刀法違反は?」 「そりゃ、製造者の責任だ。 カイトが自分でつけたわけじゃねぇ」 「なるほど……。 まあ、彼が私の替え玉というのは間違いですが……いいでしょう」 彼は何かを深く納得すると、突如、恐るべき早口で、意味をなさないアルファベットを羅列し始めた。 「Code...... 「テメェッ、カイトに何しやがった!? 」 新一はキッドの口を封じようと近くに転がっていた石を蹴るが、よどみなく声は続く。 「A new master is registered to Shinichi Kudo」 「なにっ!? 」 キッドが下した命令に、新一はうろたえた。 聞き間違えでなければ、それは、カイトの主人を新一に書き換えるものだ。 「The change was completed...... A new master was set to Shinichi Kudo」 表情というものをどこかに忘れてきたようなカイトが、淡々とそれを受け付ける。 強制的に命を下した怪盗が煙幕を張った。 「この……待ちやがれ!! 」 「彼のことはあなたに任せますよ。 残された少年は、壊れたようにただただ涙をあふれさせていた。 あの瞬間、閃いてしまった考えは、そうとしか言いようがなかった。 はじまりは、ブルー・バースデー。 それは快斗が全てを捨てた日。 復讐を胸に誓ったその日は、皮肉なことに、大切な幼なじみが生まれた日でもあった。

次の