すごく 意味 古文。 複数の意味を持つ『いとをかし』と『いとあはれ』の意味一覧《原文/訳付き》

「すごく」「とても」「かなり」の違い

すごく 意味 古文

まずは問題をご覧ください 簡単なものから並んでいました。 うす暗い・明るい・暗い・まぶしい これは簡単ですね。 特に問題なしでした。 黒い・黒っぽい・真っ黒 これも大丈夫。 これも特に問題なしでした。 あと2問、似たような問題が続きましたが、割愛させていただきます。 ( かなり・ちょっと・すごく)楽しい。 さぁ、あなたなら、一番楽しいときに、どれを使いますか? 「 チョー楽しい!」とか「 メッチャ楽しい!」はダメですよ?笑 ちょっと楽しい…を選ぶ人はいないと思います。 問題は… かなり楽しい! のか、 すごく楽しい! のか?ですよね。 これって迷いませんか? 迷わないあなたは「言葉の感覚」がキチンと備わっており、日常でしっかり使い分けておられると思います。 かなり=ふつう期待される程度を超えている状態。 すごく=程度が並々ではない。 と、辞書に載っていました。 ということは? 「かなり」は、期待されている程度を、まぁまぁ超えている、という意味に対し、 「すごく」は、並ではない、突き抜けている、という意味です。 だから「すごく」の方が、より楽しい!ということですね。 怖いときも、「かなり怖い!」と言うよりも、「 すごく怖い!」と言った方が より怖い、ということになるんですね。 じゃあ、これは? ( わりあい・とても・かなり)おいしい。 どれが「一番おいしい!」ということを表しているのでしょうか? とてもおいしい! それとも… かなりおいしい! さぁ、どちらでしょうか?もうお分かりかもしれませんね。 簡単に書きますと、 「とても」は、「非常に」とか「たいへん」という意味なのに対し、 「かなり」は、「非常にというほどではないが、普通の程度を大分超えている様子、という意味です。 「かなり」の語源は「可なり」、つまり「可能である」という意味です。 つまり、 「とてもおいしい!」 「かなりおいしい!」 の二つを比べると、前者の「 とてもおいしい!」の方が 意味合いとしては大きいということです。 日本語って難しいですね。 日常生活の中で、「あれ?この言葉とあの言葉の違いはなんだろう?」と、意識しつつ疑問に思うことはとても大切です。 特に、「似ていそうで違うもの」の両者を比べることは、勉強になります。 以前、レジで「 少々お待ちください」と言われたことがありましたが、次の日、「 少しお待ちください」と言われました。 どちらが待つ時間としては長いの?って気になったことがあります。 さぁ、皆さんはどちらが長く待たされると思いますか?笑 調べてみましょうね! 7月ももうすぐ終わります…。 時の流れは早いものですね。 体調に気をつけて、夏を乗り越えましょう! Shonan FELIX 代表 米本 喜彦 記事を最後までお読みくださりありがとうございます! このブログを執筆している米本喜彦と申します。 湘南・藤沢で"Shonan FELIX"という学習塾を営んでおり、他塾との相違点は、ズバリ「 論理的思考力」と「コミュニケーションスキル」を身に付けることができる塾だという点です。 Shonan FELIXでは ・物事を筋道立てて考える力 ・誰でも納得できる会話力 ・正しく理解する分析力 ・問題解決能力など という社会に出てから本当に必要な力を身に付けるために日々授業を行っています! 我が子には、自分でお金を稼ぎ、キチンと生活してもらいたいはずです。 まさに 「論理的思考力とコミュニケーションスキル」はこの自立していくための必要不可欠なツールなのです。 どんな些細なことでも構いません。 お子さまのためにどうぞ、ご相談ください。

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「古文と漢文、毎日読む」に挑戦中! こんにちは、 作文・論文アドバイザーの 藤本研一です。 いま、ちょっと決意を込めて 古文 を読んでいます。 それも、本1冊。 最初から、最後まで。 先月半ばからスタートして 1日5ページを目標に原文を 読んでいます。 現代語訳がついているわけでは、 ありません。 ようやく 100ページくらい 読み進めることができました。 なかなか進むものでは ありません。 それでも毎日コツコツやると 意外と読めるもんだな〜 っと思います。 これに気を良くして 漢文も、 1日の量を決めて 読んでいます。 こちらは原文ではなく、 書き下し文です。 漢字だけの漢文(白文)に レ点や一二点などを付けた文章(訓読文)が あります。 この「書き下し文」の文章を 毎日読んでいます。 書き下し文は けっこう 「昔の日本語のリズム」 を学べて面白いです。 『学問のすすめ』のようなリズム、 と言えるでしょうか。 下の『学問のすすめ』、 漢文書き下し文的リズムですので 読んでみると 勉強になりますよ! 昔の日本語のリズムを知ると、 自分の文体も変わってきます。 古文・漢文を読むと、難しい文章が苦ではなくなる。 毎日、古文と漢文を読んでいます。 すると、 思わぬ効果に 気づきました。 古文や漢文は、 一読してもあまり良くわかりません。 ある意味、 すごく読みづらいです。 厳密に意味を考えると ものすごく頭を使います。 ほとんどわからない文章でも、 読んでいるとふいに 意味がわかる 場所があります。 「意外と、自分も読めるもんだな〜」 っとほくそ笑むことができます。 難しい文章なので じっくり読んでいると、 普通の本が 実に簡単に読めるようになります。 難しい哲学の本も、 とりあえず「現代文」なので 古文・漢文よりは 読みやすく感じるのです。 これは思わぬメリットでした。 人の話を「想像する」力がつく! そのうえ。 古文・漢文を読むことは 人とのコミュニケーションにも 役立ちました。 人と話をする時、 相手が 【よくわからない話】 をしてくることがあります。 自分の経験したことのないことだったり、 相手の仕事の話だったりします。 そんなとき、 古文や漢文を普段読んでいると、 相手の言うことを 「想像」できるのです。 古文や漢文は はっきりと意味がわかりません。 だからイヤでも 内容を想像します。 推測します。 「きっと、この文章は こんな意味なんだろうな〜〜」 ギリギリ読み取れる文章から、 文章全体の意味を 想像するのです。 これは人とのコミュニケーションにも 活かせます。 相手の話の中で わかる断片から、 相手の「いいたいこと」を探る。 この練習はなかなか できません。 だからこそ、 古文や漢文を普段読むだけで 相手とのコミュニケーションも 上達するのです。 人とのコミュニケーションの力は 本を読むことによっても 上達するのです。 意外に思われますが、 本当にです。 自分と同じような考えの人と 話し合っても、 実は コミュニケーション力は伸びません。 「言わなくても、なんかわかる」 からです。 本当のコミュニケーションの力は 「よくわからない相手」 とわかり合う力です。 これは友だち・仲間と話し合っても 力がつかないのです。 古文や漢文を学ぶことは 意外と役立つのだなと 最近実感しています。 すると「追加」したくなる。 この「毎日」 やるということ。 そもそも言えば 半年前から挑戦中の 「毎日のブログ更新」 がきっかけです。 何か一つ、 毎日出来るようになると 「あと1つ何かやろう」 という思いになります。 そうやって今は ブログの他、 筋トレ・ストレッチと 古文・漢文をやるようになりました。 意外と続いています。 ありがたいことです。 何か一つ、 「毎日やる!」 と決意したからこそ、 違う自分になれた気がします。 新しい春を迎えています。 せっかくなので、 私のブログのように 「毎日、これだけはやる!」 と決めてみると楽しいですよね! うまく続けばだんだん、 毎日やることを増やしていけますし。 ではまた!.

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入試が近づいてきたところで、入試でも必要とされながら、入試からもしかしたら遠いかもしれない、古文の世界を解説していきたいと思います。 授業をしていると、どうしても説明しなければいけないのが古文の世界の説明です。 具体的に入試で出題されたり、そのことを知っているかどうかをベースに設問が作られているケースもあります。 そして、当然、作者は自分の「常識」に基づいて、説明する必要のないものは説明せずにいるわけで、私たちは教科書や問題で作品を読む時、「注」という形でそれを理解していくことになるわけです。 これ、「入試問題で問われる」という感覚で覚えていくと、というか覚えないといけないんですけど、すごくつまらない部分で、「なんでこんなことやらないといけないわけ?」みたいな感じになるんですけど、「入試」という要素をとりのぞいたときに、読んでいて、知って、一番おもしろいのがこういう部分です。 個人的に古文がおもしろいのは、やっぱり、「昔なのに今と同じようにこんなこと思うんだ」とか、「今と違ってこんなふうになるんだ」とかで、前者だっておもしろく感じるのは、「今と違うのに同じなんだ」ってやっぱり「違う」部分が出て来るんですよね。 というわけで、新たなシリーズを展開してみたいと思います。 入試に必要な「知識」と「常識」~古文のおもしろさは… とはいいながら、入試が近づいてくると、どうしてもまずは「知識」のようなものを入れたくなります。 たとえば、月の異名であるとか、方位や時刻であるとか。 官位もそうだし、衣服や調度品などの名前であったり、読みであったり… それ自体もそうですが、そこからたとえば、行事とか節句とかといった生活に基づくものが、問題に関わってくるようになりますが、さらにはたとえば通い婚とか恋愛のありようとか、そういった古文の常識が入試の突破に必要となることもあります。 これはある意味で間違いのないことで、その古文常識そのものが知識問題のように入試入試で問われることもあれば、直接問われているわけでなくても、ある程度の古文常識があるから本文や設問が理解できるようなこともあります。 かくして、世の中には、「古文常識」の参考書ができるわけです。 で、古文のためにまたやることが増えていくわけですね。 で、そうなっていくと、また古文の嫌いなポイントが増えていくことにもなるし、「そんなこと知らなくてもいいよ」みたいなことにもなっていくわけです。 でも、本当は、古文が面白いのは、こういう今とは違う何かがそこにあるからで、古文の常識を知っていなくちゃいけない、という感覚より、「へえ~、昔はこうだったんだ」ぐらいの感覚がより大事なんだと思います。 だから、できれば、これから書いていく古文常識は、「入試のために覚えるもの」というよりは、「昔とは違う古文のおもしろいところ」という感じで、展開できればいいなあ、と思っていたりはします。 そうはいいながら、入試に出たり、必須であったりする以上、きっとつまらない話もしだすと思うんですけどね。 必要な知識の背景も、ただの暗記にしなければ、おもしろいことが多い! というわけで、このブログでの古文常識は、できるだけ「おもしろい話」を見つけて紹介する形で展開したいと思います。 まあ、どこまでおもしろいと思ってもらえるかは私の腕しだいですから、少々不安ではありますが… でも、いつも学校の授業で扱っている教材や、学校では時間の関係で、「こんな話もあるんだ」としか紹介できないものを少しでも紹介していければなと思ってはおります。 で、いわゆる暗記系と思われがちな古文常識に関しても、少しでも意外な面に気が付いてもらえたらいいなあと思っております。 というわけで、今日は「数」のお話です。 「七」は何て読むのが正解? まずは「七」って何て読みます? 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十…って続くときの、「七」です。 「なな」ですか? 「しち」ですか? それとも両方正解ですか? 正解は、 いち、に、さん、し…と読むなら、「しち」です。 「なな」は間違いになります。 何でかって? それは、数を和語で数えるとわかります。 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ… ですよね? つまり、これが和語、訓読みだということです。 いち、に、さん、し、ご、ろく…というのは音読み。 中国語の音に近い読み方です。 日本人は、日本語をしゃべり、中国人は中国語をしゃべる。 私たちは中国語を理解できないように、日本語と中国語は似ていないし、文法的にもまったく別の言語です。 でも、ぼくらの祖先は、日本語を書く文字を持っていなかったために、「中国語を使って日本語を書く」ことにしました。 つまり、中国人の発音に近いのが、「いち、に、さん、し…」の方で、もともと日本人が使っていた、言い換えれば中国人がわからないのが「ひい、ふう、みい…」という数え方。 となると、「ななつ」というような「なな」は訓読み、和語だということになります。 「…ご、ろく、なな…」と読むのは、おそらく「いち」と「しち」をはっきり区別するためのテクニックなんだろうと思います。 たぶん、こっちは大丈夫だと思いますが、「四」は「し」が音読みで、「よん」が訓読みですね。 さて、そうやっていくと、「じゅう」が「とう」になるまでは大丈夫ですね。 問題はそのあとです。 あんまり意識していないから、どうしてもそのあとは「じゅういち」という読み方しかないし、つまり、ここから先は音読みしか存在していないわけですね。 これ、意外と大事な話で、もしかしたら日本人は大きい数を数えていなかったんじゃないかっていう話でもあります。 でも、そうはいっても、30までは、日にちがありますから、どうも言えたんじゃないかっていう話でもあります。 というわけで、どうも「とう」「あまり」「ひとひ」みたいな感じで数えていたんじゃないかっていうのが有力です。 「あまり」をつけて、あとは「ひとつ、ふたつ、みっつ…」みたいな感じで足していくわけです。 そうなると、気になるのは、「二十」ですね。 これ、なんて言うんでしょうか? 知ってますよ、きっと。 そうです。 「二十日」は「はつか」ですよね。 「~か」というのは「~日」ですよね。 そうすると、「はつ~」というのが、どうも「二十」ではないかと気がつきます。 となると、もう少し私たちが知っている日本語がありますよね?「二十」といえば、「はたち」。 というわけで、「はたち」とか「はた」とかが「二十」です。 と気がつけば「三十」は「みそぢ」で、「三十日」が「みそか」ですから「みそ」とか「みそぢ」とかですね。 四十は「よそぢ」か「よそ」、五十は「いそぢ」とか「いそ」だろうなと。 じゃあ、百は? そうですね。 これの他の読み方を考えればいい。 そうです。 「もも」ですね。 じゃあ、千は?別の読みです。 そうです。 「ち」です。 じゃあ、万は?別の読みですよ。 そうなると「よろず」ですね。 こんな感じ。 八百屋は、「やももや」で「やおや」、八百万は、「やおよろず」ですね。 「君が代は千代に八千代に」は「ちよにやちよに」ですね。 でも、考えてみると、これ、必ず、「八」なんですよね。 末広がりで縁起がいいんですけど、そこに「百」つけると「八百=やお」、「千」で「八千」で、さらに「八百万」ですね。 なので、どうもちゃんと数を数えているわけではなく、とにかく数が多いことを指しているだけのようなんですね。 たぶん、一ヶ月が30日ですから、なんとかここまでは数えたっぽいんですけど、そのあとはかなりいい加減に「多い」という意味で、さまざまな単位を使っていたんじゃないかというのが有力であったりはします。 というわけで、今日は数の話でした。 最初は、おもしろい話よりは、まずは覚えなきゃっていうあたりからはじめます。 manebi.

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