テネリフェ 事故。 テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故の分析動画から自分なりの理解を整理│飛行家への道

パンアメリカン航空1736便に乗務していた日本人フライトアテンダント|大陸性ステップ 旅と音楽。

テネリフェ 事故

1977年3月27日17時6分(現地時間)、スペイン領のにあるロス・ロデオス空港の滑走路上で2機の型機同士が衝突し、乗客乗員合わせて583人が死亡しました。 私は、この事故の関する記事をこれまで2回書いています。 2013年3月27日 なぜ2回も取り上げたかと言うと、1つは、大きな事故だからです。 でも、もう一つ理由があります。 それは、お粗末なヒューマンエラーが根本の原因だからです。 これまで2回も取り上げましたが、今回は3回目と言うことで、別な視点も加えてこの事故のことを取り上げます。 場所は、アフリカ大陸の左隣、地図で見ると以下の場所です。 もっと拡大すると 島の面積と人口は、面積は2,034平方キロメートル、人口は90万人です。 参考までに東京都の面積は(2,190平方キロメートル)。 は、(1,905平方キロメートル)。 しかし、が二つもあります。 - スペインがに築いた美しい都市。 ラ・ラグーナと呼ばれています。 これが。 - スペイン国内最高峰(3718m)。 これもです。 事故は、こんな島で発生しました。 前述しましたが、死者数は、583人、生存者は乗客54人と乗員7人です。 何しろ、ジャンボ機同士の衝突ですから、こんな大事故になったのです。 ()航空1736便は、を離陸し、米国を横断して、ニューヨークの国際空港に寄港しています。 機体は-100型です。 乗客380名、乗員16名が乗っていました。 こちらは、生存者が61名。 KLMオランダ航空4805便は、オランダからの保養客を乗せたで、事故の4時間前にのスキポール国際空港を離陸しています。 機体は-200B型。 乗客234名、乗員14名が乗っていました。 生存者0名。 どちらの便も、最終目的地は大西洋のリゾート地であるグラン 島のグラン 空港 ラス 空港 でした。 最終目的地に近づく途中、機は、グラン 空港(ラス 空港)が分離独立派組織による爆弾テロ事件と、更に、爆弾が仕掛けられているという予告電話 結局は虚偽だった のため、臨時閉鎖したと告げられます。 機は空港閉鎖が長くは続かないという情報を得ており、燃料も十分に残っていたため、着陸許可が出るまで旋回待機したいと申し出たものの、他の旅客機と同様に近くののロス ロディオス空港に 代替着陸 するよう指示されました。 KLM機も同様の理由でロス ロディオスへのを指示されます。 テロ事件の影響で、他の飛行機もロス ロディオスへ数多くダイハードしていましたから、ロス ロディオスは混雑しています。 なにしろ、1941年開港の古い地方空港であり、1本の滑走路 ランウェイ と1本の平行誘導路 タクシーウェイ および何本かの取付誘導路を持つだけの規模で、地上の航空機を監視する地上管制レーダーはありませんでした。 以下は、当時の空港を図で表したものです。 KLM機は、滑走路の反対側まで行ってから反転し離陸体勢に入りました。 この時、は訛りの英語で「OK・・・standby for takeoff ・・・・I will call you」と言ったのですが、濃霧の影響でノイズが多く「OK」以降を聞き取ることができませんでした。 封鎖で足止めを食らい、乗務員も疲れていたかもしれません。 また、これ以上遅れると連続勤務時間が時間を超えることになり、今日中にオランダに帰れなくなる可能性もありました。 KLMオランダ航空には、クルーの職務時間の超過に関する規則があったのです。 そのため、機長は遅れたフライトを急いで再開しなければならないと考えていた可能性もあります。 結局、KLM機は、離陸を開始します、濃霧のため滑走路の反対側からこちらに向かう機は見えません。 スロットルを上げて離陸しようと走り出したとき機が目の前に現れました。 機は左の誘導路に逃げます、KLM機は上に飛び立って衝突を避けようとします。 しかし、どちらも間に合いませんでした。 KLM機は機を飛び越えようとして、高さが足りず天井にぶつかって反対側に落ちます。 この衝突事故で583人の命が奪われました。 KLM航空の機長は、ットのインストラクターでもあり、コックピットでは絶対の権力がありました。 副操縦士も航空もまだ離陸許可が得られていない状態なのに離陸を開始しようとする機長に異議を唱えることができません。 命に関わることなのにです。 憶測ですが、この機長はいつもシミュレータで訓練を指導していたのですが、そこではとのやりとりはありません。 そのため、すぐに離陸する癖がついていたということも考えられます。 生存者がいないのは、KLM機です。 こちらは、10メートル程度ですが、飛び上がっていましたから、その高さから落ちたことになります。 機は、機体の真ん中あたりに体当たりされましたので、機体の先頭にいた機長などは助かっています。 この事故の後、管制室とットのやり取りに関する言葉は厳格に決められ、それを遵守するように法改正が行われましたが、実際には守られていません。 その証拠に、2008年2月16日にで2機の航空機(747と)が滑走路上でニアミスするという事故と全く同じ 大惨事寸前の状況が発生しました。 は、 のと隣接しています。 そのため、管制は航空によって行われています。 本事例の管理官は当時25歳でしたが、調査時のインタビューではのジャンボ機どうしの衝突事故を知らないといったそうです。 そのときの事故以来, Take offは離陸許可以外に使わないことが勧告されました。 しかし、航空には伝達されなかったようです。 こんな事故は、何時また起きるか分かりません。 takumi296.

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航空機事故は、印象が大きい:テネリフェの悲劇

テネリフェ 事故

1977年3月27日17時6分(現地時間)、スペイン領のにあるロス・ロデオス空港の滑走路上で2機の型機同士が衝突し、乗客乗員合わせて583人が死亡しました。 私は、この事故の関する記事をこれまで2回書いています。 2013年3月27日 なぜ2回も取り上げたかと言うと、1つは、大きな事故だからです。 でも、もう一つ理由があります。 それは、お粗末なヒューマンエラーが根本の原因だからです。 これまで2回も取り上げましたが、今回は3回目と言うことで、別な視点も加えてこの事故のことを取り上げます。 場所は、アフリカ大陸の左隣、地図で見ると以下の場所です。 もっと拡大すると 島の面積と人口は、面積は2,034平方キロメートル、人口は90万人です。 参考までに東京都の面積は(2,190平方キロメートル)。 は、(1,905平方キロメートル)。 しかし、が二つもあります。 - スペインがに築いた美しい都市。 ラ・ラグーナと呼ばれています。 これが。 - スペイン国内最高峰(3718m)。 これもです。 事故は、こんな島で発生しました。 前述しましたが、死者数は、583人、生存者は乗客54人と乗員7人です。 何しろ、ジャンボ機同士の衝突ですから、こんな大事故になったのです。 ()航空1736便は、を離陸し、米国を横断して、ニューヨークの国際空港に寄港しています。 機体は-100型です。 乗客380名、乗員16名が乗っていました。 こちらは、生存者が61名。 KLMオランダ航空4805便は、オランダからの保養客を乗せたで、事故の4時間前にのスキポール国際空港を離陸しています。 機体は-200B型。 乗客234名、乗員14名が乗っていました。 生存者0名。 どちらの便も、最終目的地は大西洋のリゾート地であるグラン 島のグラン 空港 ラス 空港 でした。 最終目的地に近づく途中、機は、グラン 空港(ラス 空港)が分離独立派組織による爆弾テロ事件と、更に、爆弾が仕掛けられているという予告電話 結局は虚偽だった のため、臨時閉鎖したと告げられます。 機は空港閉鎖が長くは続かないという情報を得ており、燃料も十分に残っていたため、着陸許可が出るまで旋回待機したいと申し出たものの、他の旅客機と同様に近くののロス ロディオス空港に 代替着陸 するよう指示されました。 KLM機も同様の理由でロス ロディオスへのを指示されます。 テロ事件の影響で、他の飛行機もロス ロディオスへ数多くダイハードしていましたから、ロス ロディオスは混雑しています。 なにしろ、1941年開港の古い地方空港であり、1本の滑走路 ランウェイ と1本の平行誘導路 タクシーウェイ および何本かの取付誘導路を持つだけの規模で、地上の航空機を監視する地上管制レーダーはありませんでした。 以下は、当時の空港を図で表したものです。 KLM機は、滑走路の反対側まで行ってから反転し離陸体勢に入りました。 この時、は訛りの英語で「OK・・・standby for takeoff ・・・・I will call you」と言ったのですが、濃霧の影響でノイズが多く「OK」以降を聞き取ることができませんでした。 封鎖で足止めを食らい、乗務員も疲れていたかもしれません。 また、これ以上遅れると連続勤務時間が時間を超えることになり、今日中にオランダに帰れなくなる可能性もありました。 KLMオランダ航空には、クルーの職務時間の超過に関する規則があったのです。 そのため、機長は遅れたフライトを急いで再開しなければならないと考えていた可能性もあります。 結局、KLM機は、離陸を開始します、濃霧のため滑走路の反対側からこちらに向かう機は見えません。 スロットルを上げて離陸しようと走り出したとき機が目の前に現れました。 機は左の誘導路に逃げます、KLM機は上に飛び立って衝突を避けようとします。 しかし、どちらも間に合いませんでした。 KLM機は機を飛び越えようとして、高さが足りず天井にぶつかって反対側に落ちます。 この衝突事故で583人の命が奪われました。 KLM航空の機長は、ットのインストラクターでもあり、コックピットでは絶対の権力がありました。 副操縦士も航空もまだ離陸許可が得られていない状態なのに離陸を開始しようとする機長に異議を唱えることができません。 命に関わることなのにです。 憶測ですが、この機長はいつもシミュレータで訓練を指導していたのですが、そこではとのやりとりはありません。 そのため、すぐに離陸する癖がついていたということも考えられます。 生存者がいないのは、KLM機です。 こちらは、10メートル程度ですが、飛び上がっていましたから、その高さから落ちたことになります。 機は、機体の真ん中あたりに体当たりされましたので、機体の先頭にいた機長などは助かっています。 この事故の後、管制室とットのやり取りに関する言葉は厳格に決められ、それを遵守するように法改正が行われましたが、実際には守られていません。 その証拠に、2008年2月16日にで2機の航空機(747と)が滑走路上でニアミスするという事故と全く同じ 大惨事寸前の状況が発生しました。 は、 のと隣接しています。 そのため、管制は航空によって行われています。 本事例の管理官は当時25歳でしたが、調査時のインタビューではのジャンボ機どうしの衝突事故を知らないといったそうです。 そのときの事故以来, Take offは離陸許可以外に使わないことが勧告されました。 しかし、航空には伝達されなかったようです。 こんな事故は、何時また起きるか分かりません。 takumi296.

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もしあの航空事故が○○だったら

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日本 [ ]• 日本航空もく星号墜落事故 [ ] 起きていなかったら• 登場していた多くの著名人はもちろんその後も活躍し続けていた。 大辻司郎はその後も漫談家の草分けとして活躍を続け紫綬褒章くらいはもらえていた。 偽談話の通り長崎平和祭でも張り切って演じていたであろう。 三鬼隆は八幡製鉄社長としてその後の経営にも大きな影響を与えていた。 富士製鉄との合併時の展開が変わっていた可能性あり。 部下だった永野重雄の業績の一部も三鬼のものになっていた。 日航の自主運行開始後もしばらくマーチン202が使われていた。 墜落場所が静岡県舞阪沖だったら 史実でもこの場所に墜落したという内容の誤報が出た。 三原山激突に比べるとまだ生存者がいる可能性は高かったと思う。 後の全日空の下田沖や羽田沖の事故でその風説がたびたび持ち出されていた。 事故原因も史実で最も濃厚とされた管制ミスではなく機体のトラブルか何かになっていた。 乗客全員無事だったら 実際にこの内容の誤報が出ましたが• 事故原因がわかっていたかもしれない。 ただし原因次第ではアメリカの圧力によりやはり闇に葬られていた。 後年大辻司郎は長崎民友新聞の記事「危うく助かった大辻司郎氏」は秘書が捏造した話だったということを打ち明けていた。 三原山ではなく海上に不時着していたらありえたかもしれない。 全日空羽田沖墜落事故 [ ] 起きていなかったら• 「羽田沖事故」といえば名実ともに1982年の日本航空の事故のことだった。 全日空が有視界飛行がもう少し長く続いていた。 当時は他の会社も普通に有視界飛行を行っていたような記憶がある。 この事故の調査で機体トラブル説を唱えていた山名正夫教授の知名度は史実より低い。 もっぱら「メタンガスで人工人魂を作った」という研究成果ばかり注目されていた。 日本の航空機へのフライトレコーダーとボイスレコーダー装着の義務付けが遅れていた。 72年の日航連続事故あたりでも調査がさらに難航していた恐れあり。 カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故 [ ] 発生していなかったら• 要するに進入高度があと数十センチ高いか東京の天候回復がもう少し遅れていた場合。 そもそも天候が良かった場合は翌日のBOACの事故もなかった。 悪天候によるダイヤの乱れのため焦って富士山近くを飛んでしまったのが事故原因という見方がある。 柳田邦男『マッハの恐怖』では代わりに松山沖の全日空YS11の事故が取り上げられていた。 エア・カナダに吸収される時期も史実と変わりない。 BOAC富士山空中分解事故 [ ] 発生していなかったら• 史実でこの事故に巻き込まれていた『007は二度死ぬ』の一部スタッフはもちろん無事。 その後のシリーズでも大いに腕を振るっている。 後に富士山付近を飛ぶ遊覧飛行のルートが誕生していた。 山岳波の危険性の認識が遅れていた。 世界のどこかで他の航空機が犠牲になって初めて気づかされていたかもしれない。 フライトレコーダーが無事だったら 現実では現場から発見されはしたが火災により激しく破損し一切調査の役に立たなかった。 史実で原因究明の鍵になった8ミリフィルムはあくまで傍証でしかなかった。 この事故を取り上げたNHKのドキュメンタリーは「黒い画面」ではなく別の題名になっていた。 この事故もフライトレコーダーの必要性を裏付ける根拠とされた。 柳田邦男『マッハの恐怖』で本事故を取り上げた部分の分量がやや減っている。 よど号ハイジャック事件 [ ] 発生しなかったら• 日野原重明は史実ほど有名になっていない。 史実通りに長生きしていても、単に「長寿医師」として取り上げられるにとどまっていた。 山村新治郎の人生は大きく変わっていただろう。 場合によっては次女に殺されずにすんでいたかも。 石田真二機長は私生活でのトラブルをさらされることもなく定年まで日本航空で勤務できていた。 もちろん史実の「よど号グループ」のメンバーは国内に残っていた。 日本人拉致被害者の数は減らせていた。 犯人のうち何人かは連合赤軍や日本赤軍に参加していた。 金浦空港で犯人逮捕に成功していたら• 徹底的に偽装工作を行った韓国政府や空港職員が大いに評価されていた。 少なくともノースウエスト機やシェルの看板などを隠す必要が有るため、ギリギリまで作業が行われていた可能性大。 日韓共同で最悪の事態を阻止した経緯を綴ったドキュメンタリーが作られていた。 「プロジェクトX」でも取り上げられていた。 御礼として大韓航空機爆破事件等で日本政府が史実以上に捜査協力を行っていたかもしれない。 後に日本赤軍による犯人奪還作戦が明るみに出ていた。 やはり北は「日本と南朝鮮による人民弾圧」と非難していた。 犯人グループの実態を知ることがなかったため「革命戦士」「労働者の星」などと美化していた。 金浦空港に着陸しなかったら• そのまま平壌に着陸していた。 史実通り平壌国際空港を見つけられなかった場合は着陸失敗で事故につながっていた恐れもある。 下手したら操縦士・乗客が日本に帰ってこれなかった可能性も。 大韓航空機YS-11ハイジャック事件の二の舞い。 彼らも拉致被害者の一人に数えるべきという声が上がる。 全日空機雫石衝突事故 [ ] 発生していなかったら• 民間航空路と自衛隊訓練空域の隔離が遅れていた。 ニアミス対策も史実より後手に回っていた。 結果として史実の本件よりさらに凄惨な事故でそれらのツケを払わされていた恐れさえある。 2001年の日航機同士のニアミス事故は衝突した可能性あり。 世間に反自衛隊的な空気が広がるのはある程度抑えられていた。 この事故で引責辞任に追い込まれた増原惠吉防衛庁長官はもう少し長く務めることができていたはず。 その後の政界での地位ももっと上がっていたかもしれない。 「帰ってきたウルトラマン」のベムスターの回は予定通り7月30日に放送されていた。 この場合後番組のAが1週早く始まっていたか帰マンが1週長くなっていたかはよく分からない。 「慰霊の森」はなく、心霊スポットとして話題になることはなかった。 自衛隊機のパイロットも助かっていなかったら• 現実でも射出座席のレバーを引けなかったためこうなっていた恐れは十分にあった。 上官は衝突事故を起こした当人に「死人に口なし」とばかりに責任をなすりつけていた。 どこかのマスコミがその内幕を嗅ぎつけていたら空自はもっと世論に叩かれていた。 当該パイロットは史実で後に救難機の操縦に転じたためその際に助けられた人々の一部が助からなかった危険もある。 日本航空350便墜落事故 [ ] 起きていなかったら• 「羽田沖事故」といえば1966年の全日空の事故のことだった。 詳細な映像が残っている墜落事故が日本航空123便墜落事故だけになるため、この事故が史実以上に多く取り上げられるようになっていた。 そもそも現実でも21世紀に入ってからは123便以外の国内の事故がろくに取り上げられていないような気が・・・。 それでも雫石やもく星号に比べればそれなりに特集されているような?• 123便墜落事故まで、日本航空の地位が低下することはなかった。 「逆噴射」などという言葉を知っているのは航空関係者と一部のマニアくらいだった。 むしろ「逆噴射」という言葉は1991年の「ラウダ航空004便墜落事故」で注目されていた。 少なくとも一般の日本人が知ることは今でもあまりなかった。 漫画こち亀45巻「シルバーツアーの巻」で機長に扮する時「逆粉舎矢太郎」と名乗る事はなかった。 精神分裂病(当時の病名、現在は「統合失調症」)の患者や家族が偏見の目で見られるようなことはなかったはず。 機長と同じ苗字の子どももいじめの被害に遭わずに済んでいた。 起きたのがあの時期だったら• 1985年• 日本航空は運行停止、そして倒産。 このころ全日空は国際線進出。 この年、日本航空123便墜落事故が起きたため。 ナショナルフラッグキャリアがそこまで簡単に潰れるとは考えにくい。 パンナムみたいに何かしらの遠因があれば十分にあり得る。 この時点でJALの塗装は史実とは全く別のものにリニューアルされていた。 007便撃墜事件後の大韓航空のように英語社名も変える羽目になったかもしれない。 「沈まぬ太陽」はアフリカ編、御巣鷹山編だけでなく、「羽田沖編」も制作されるようになる。 同じ85年の出来事なので御巣鷹と羽田沖がまとめられていたのでは。 中華航空140便墜落事故 [ ] 発生しなかったら• 中華航空が日本での呼称を「チャイナエアライン」に変えることはなかった。 香港返還に伴う塗装変更で漢字での社名表記が消滅しているのでこの時点で変更されたのでは。 エバー航空が日本での知名度を上げるのがもう少し遅れていた。 ハローキティとコラボした機体を出すこともなかったかも。 空港への情報カメラ設置は史実より遅れていた。 手動操作で解除不可というA300の自動操縦装置の問題点ももうしばらく判明しなかった。 他の場所で史実の本件と似た事故が起きていた恐れもある。 住宅地に墜落していたら• もちろん犠牲者はさらに増えていた。 住民が巻き込まれただけでなく救助の遅れや火災の激化により搭乗者も誰一人として助からなかった。 中部空港が海上に作られた理由に「事故時の安全性確保」も挙げられていた。 関西空港も。 多くの人々にもっと強烈に記憶される事故となっていた。 テレビなどで燃える市街地の映像がセンセーショナルに取り上げられ世界的な規模で大きな衝撃を与えていた。 事故後の訴訟がさらに泥沼化していた。 小牧空港は最悪閉鎖された。 伊丹空港から関空へのシフトも現実よりも早く進んでいた。 墜落地点に高速道路や鉄道線路が通っていた場合、これらは長期間に渡って寸断されていた。 最悪の場合、高速で走る新幹線列車が墜落機に激突し、こちらも多数の死者が出ていた。 新幹線開業以来乗客死亡事故0の記録は開業30年目の節目の年にストップしていた。 事故発生がGW直前だったということもあり、GWの旅行を取りやめる人も多数出ていた。 の建設開始が早まっていた。 その時における代替輸送の経験は翌年の阪神大震災にも生かされていた。 フィリピン航空434便爆破事件 [ ] 発生していなかったら• それでもボジンカ計画は実行に移されていた。 実行犯のラムジ・ユセフの逮捕が遅れていたかも。 おそらくアジアの航空会社の別の飛行機が爆破されていた。 爆破した座席の下にある燃料タンクが空ではなかったら• 史実では犯人は爆弾を置いた座席の下に燃料タンクがあることを知って爆弾を置きましたが、実際はその座席の下の燃料タンクは空でした。 飛行機は空中爆発を起こし、死傷者数がとんでもないことになっていた。 ボジンカ計画の規模が大規模になっていた。 その分、アメリカ同時多発テロがなかったとは言えないが、被害は少なくなっていたかも。 全日空857便ハイジャック事件 [ ] 発生していなかったら• SAP(現在のSAT)の存在が国民に知られることはなかった。 犯人が勤めていた東洋信託銀行が謝罪広告を出すことはなかった。 本当にオウム真理教関係者による犯行だったら• 史実では犯人はオウム関係者だと名乗っていましたが、のちにそれは嘘であることが判明しています。 サリンをまかれた場合、状況によっては地下鉄サリン事件よりも死者数が多くなっていたかも。 麻原彰晃をはじめとしたオウム幹部の裁判がさらに泥沼化していた。 麻原の逮捕による抗議で行われたとみられていた。 オウム真理教には今度こそ破防法が適用されていたかも。 事件の呼称が「オウム全日空機ハイジャック事件」あたりになっていた。 全日空61便ハイジャック事件 [ ] 発生しなかったら• 一部の人間が向精神薬やSSRIをパッシングする傾向がもう少し弱くなっていた。 羽田空港をはじめとして日本の空港がセキュリティを強化することはなかった。 911の後にはアメリカと同じように強化されていたのでは。 羽田空港の欠陥みたいだったので見逃されていた可能性はありえる。 墜落していたら• 史実通りの位置なら八王子市に墜落していた可能性が高いそうです。 死者数は史実よりもかなり多くなっていただろう。 犯人が行きたがっていたレインボーブリッジに直撃して墜落した場合、お台場や豊洲あたりは史実ほど人気がなくなっていただろう。 踊る大捜査線の映画の人気は少し下がっていたのだろうか?• というか東京ではパニック映画を撮るのがタブーになっていた可能性がある。 例として「交渉人 真下正義」は地下鉄サリン事件の影響で東京メトロと都営地下鉄がまったく協力しなかった。 「レインボーブリッジを封鎖せよ! 」も東京以外の橋が舞台になっていた。 ゆりかもめや自動車の代わりに水上バスがお台場への交通手段として史実よりも人気になっていたかもしれない。 レインボーブリッジの復旧完了までは、東京港トンネルの渋滞がえげつない事になっていた。 若洲~有明にかかる橋が早く完成していたかもしれない。 フジテレビのお天気カメラが墜落の瞬間を捉えており、報道部も他のキー局に先んじて緊急報道を行っていただろう。 後の911テロと関連付けられて語られていた。 1999年発生ということでノストラダムスの予言とこじつける人も出ていた。 川村隆が日立製作所の社長にならないので、日立製作所の業績は停滞したままだった。 東京電力HDの会長になることもない。 「ミス・パイロット」で当該機体が撮影に使われることもなかった。 それが通るなら世界の主だった航空会社のほとんどは潰れている気がする。 911で複数の機体が使われたユナイテッドとアメリカンは確実。 廃業とまではいかずとも大幅な縮小は余儀なくされたと思う。 飛行する機体がビデオで撮影されそれなりに衝撃を与えていた。 機長が殺害されなかったら• おそらく横田基地に緊急着陸していた。 史実通り犯人に刺された状態で生還した場合、のちのテレビ番組でそのことを語る機会があったかも。 日本航空駿河湾上空ニアミス事故 [ ] 発生していなかったら• 航空管制官に対して裁判が行われないので、「判決が厳しすぎる」といった批判はなかったかも。 衝突していたら• 確実に死者数がテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故や123便墜落事故を超えていた。 123便の教訓が生かされていないと非難されていた。 名実ともに世界最悪の死者数の航空事故になっている。 123便の影が薄くなっていた。 日本航空はこの段階で経営破綻していた。 日本エアシステム統合時にバリュージェット航空のように「存続会社は日本航空だが社名は日本エアシステム」になっている。 ユーバーリンゲン空中衝突事故は起こっていなかったかも。 ユーバーリンゲンのようにもしかしたら事故時の管制官を殺そうとする人が出ていた。 日本人の国民性からして想像しにくい。 123便の事故や尼崎の脱線事故などでも事故を起こした会社の従業員が殺されたという話は聞いたことがない。 時期が短くて防げなかったのでは。 123便の影が薄くなっていた。 日本の航空事故の代名詞が「御巣鷹山」から「 駿河湾」に変わっていた。 上記の雫石事故が起きてなかったら衝突してた可能性は高まっていた。 2019年現在、当事故の当該便である日本航空907便および同社958便は欠番になっている。 駿河湾は意外と深いので機体を引き上げることは出来なかった。 それでも陸地が近いため水に浮く残骸がかなり岸に漂着していた。 現在では「平成の日本で唯一の大規模な航空事故」という不正確な表現をされることもある。 事故の起こった2001年は附属池田小事件やアメリカ同時多発テロ事件・明石市の花火大会事故もあったので、21世紀初年は波乱のスタートとなっていた。 チャイナエアライン120便炎上事故 [ ] 発生していなかったら• それでもボルトの脱落が原因なので別の737NGが炎上するのは十分にありえる。 このため、ボーイングとFAAは史実通りの対応になる。 死者が出ていたら• 日本のマスコミに更に叩かれていた。 120便は欠番となり、別の便名が割り当てられる可能性がある。 海外 [ ]• ヒンデンブルク号爆発事故 [ ] 発生していなかったら• 近年では事故原因として静電気で外皮が発火・炎上したためで水素ガスは関係ないというのが有力。 後継船のLZ130も旅客輸送に投入されていた。 ヒンデンブルク号は少なくとも第2次大戦開始までは生き残っていた。 しかし結局史実の僚機同様に金属供出のため解体されてしまう。 発生場所が違っていたら ドイツ• 史実と同じような事故ならフランクフルト到着時の発生になっていた。 ドイツ国家の威信にかけた大規模な調査が行われていた。 ただし結果の一部は機密にされていた可能性あり。 ツェッペリン社の元マネージャーで反ナチ思想の持主だったフーゴー・エッケナーはこの事故を口実に粛清されていた。 大西洋上• 生存者どころか残骸の一片さえも回収できなかった恐れあり。 事故原因は今でも完全な闇の中。 発生地点がバミューダ近辺の場合は破壊工作どころか超常現象さえ噂されていた。 一般的には「ヒンデンブルク号失踪事件」と呼ばれている。 BOAC781便墜落事故 [ ] 残骸を回収できていなかったら• 本事故を含むコメット連続墜落事故の調査は間違いなく史実より遅れている。 下手をすると西側でのジェット旅客機開発が完全に止まっていた恐れさえある。 ツポレフTu-104などのソ連製ジェット旅客機が第三世界のさらに多くの国で使われていた。 フィンランドなど一部の西側国家でも使われていたかもしれない。 ボーイング707やダグラスDC-8といった後継機も与圧が原因の事故を起こしていたかもしれない。 あのおむすび形の窓を採用できていなかったらシュド・カラベルも危ない。 パンナム845便離陸衝突事故 [ ] 墜落していたら• 東京行きとしての離陸直後で機体が重かったためほとんどなすすべなく海面もしくは地面に突っ込んでいた。 事故直後の客室で何が起きたかは永遠の謎に。 747就航から1年半での惨事となったため売れ行きにかなりの悪影響が及んでいた。 何社かはキャンセルしていた。 当該機のN747PAが初の商業飛行を担当した機体ということもあり機種のイメージが急激に悪化していた。 現在ではパンナム没落の始まりとして語られることもある。 全日空雫石衝突事故と同じ日ということで7月30日は血塗られた日として航空ファンの間で語り継がれる。 日本航空ニューデリー墜落事故 [ ] 発生していなかったら• 宮崎松記はもちろん健在。 日本とニューデリーとの交流により力を入れていた。 どこかで菊池恵楓園を退官した経緯を語っていた。 場合によっては圧力をかけた人物を告発していた。 当時富士ゼロックスにいた鈴木松美が音声解析で注目されることはなかった。 2019年現在、日本航空471便(当事故の当該便)は羽田発高松行きの初便(史実の475便)で使用されている。 ニューデリー・パーラム空港への進入時に使う誘導電波の異常はもっと後まで明るみに出なかった。 トルコ航空DC-10パリ墜落事故 [ ] 着陸に成功していたら• それでも床が陥没した部分の直上に座っていたとみられる乗客は助からなかった。 機体の形が残っているため事故原因となった貨物室ドアの不具合が一目瞭然となり調査はもっと進んでいた。 この場合でもDC-10のリコールは史実通り行われていた。 これ以前にアメリカン航空でも同様の事故があったため「次こそは墜落する」と誰もが認識したはず。 この事故の経験が参考とされ日航123便事故の展開もいい方向に変わっていたと信じたい。 事故機がパリ市街地に墜落していたら• もっと東の風が強かったら本当にこうなっていた恐れもある。 当然ながら犠牲者はさらに増えていた。 多くの人命や文化遺産などが奪われたためフランス国内での反米・反トルコ・反ダグラス感情が一気に高まっていた。 フランスの政治史にも確実に大きな爪痕を残していた。 墜落直前の事故機や炎上する建物・残骸が多くの写真に写され全世界に衝撃を与えていた。 テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故 [ ] 発生していなかったら• JAL123便の事故が名実ともに「犠牲者数世界最悪の航空事故」となっていた。 管制用語の明確化やCRM導入は1980年代にはずれ込んでいた。 管制絡みで史実では起きなかった別の事故が起きていた恐れも。 KLMはジェット機で一度も死亡事故を起こしていない安全に特に定評のある会社になれていた。 遠東航空機墜落事故 [ ]• 向田邦子が亡くなったことで有名な事故です。 発生しなかったら• 当然のことながら• 本人は飛行機が苦手だったらしいので、帰国後に「やっぱり飛行機は苦手だ。 」というような形でエッセイを書いていたかも。 同行していた志和池昭一郎が亡くなることもなかったので、日本人のシルクロードブームが続いていたかも。 それでも天安門事件が発生したらさすがに終わっていた。 アロハ航空の事故があった時にこの事故に例えられることはなかった。 大韓航空007便撃墜事件 [ ] ソ連領空を無事通過していたら• 予定のコースから大幅にそれていることに初めて気づいたのは東京ACCの管制官。 知らされた機長などの驚きは想像に余りある。 ソウル到着後に操縦クルーは全員会社による調査対象となった。 少なくとも定年まで地上勤務に回されていた。 万一なおも予定通りのコース上を飛んでいると錯覚していたら北朝鮮領空に侵入していた恐れもある。 そちらで撃墜されていたらもっととんでもない事態が発生していた。 ロシア系ハーフの川村カオリがいじめられることはなかった。 現在では「大韓航空機ソ連領空侵犯事件」として外交や安全保障の専門家の間だけで知られる事件だった。 「撃墜されていたら第3次世界大戦のきっかけになっていた可能性が高い」とされていた。 ソ連当局が調査にもっと協力的だったら• 墜落直後に回収された機体の破片や遺体、遺留品などはきちんと韓国などの当局に渡されていた。 撃墜の指令を出した防空軍のお偉いさんは間違いなく処刑された。 韓国国民の対ソ感情は史実ほど悪化しなかった。 スパイ飛行説などほとんど誰も見向きもしなかった。 ペレストロイカがもっと早く始まっていたら・・・。 ソ連と韓国の国交樹立くらいのタイミングでゴルバチョフがこの事件について謝罪していた。 大韓航空858便爆破事件 [ ] 爆破に失敗していたら• 問題のラジオと酒瓶は858便のソウル到着後にようやく回収された。 ラジオや酒瓶の中身がおかしいことにその後誰も気づかなければ西側で爆破計画が知られることはなかった。 金賢姫と金勝一はそのまま西側のどこかで亡命していた。 北に戻ったら強制収容所送りか処刑が待っていたはず。 東側諸国のソウル五輪参加表明はもっとギリギリになっていた。 犯人が北朝鮮に戻れていたら• 実行犯の金賢姫と金勝一は英雄として秘密裏に称賛されていた。 病気にかかっていた金勝一は帰国後、このミッションをもって工作員を引退、数年後他界していた。 残骸の回収が進まず韓国などの当局による捜査は難航していた。 事故機にインシデント歴があることもあり完全な事故という見方もかなり有力視されていた。 日本の赤軍派や極右、ヒズボラなどの関与も疑われていた。 現在も北の工作員には韓国の実態はそう細かく教えられていない。 韓国当局による自作自演説がもっと真実味を持って語られていた。 日本のリベラルの一部には今も信じている人もいた。 どちらにしても主目的だったソウル五輪の妨害はうまくいかず。 西側・非同盟諸国は少なくとも参加していた。 アロハ航空243便天井脱落事故 [ ] 乗客が犠牲になっていたら• 「犠牲者なし」などと誤記する出版物はなかった。 犠牲者が日本人だった可能性も小さくない。 この場合日本ではよりセンセーショナルに報道された。 この時点でアロハ航空がハワイアン航空に吸収合併されていてもおかしくなかった。 墜落していたら• 機体の破損範囲がもっと大きければ確実にこうなっていた。 史実での経緯を考慮すると墜落前に機首が脱落していた。 現場が海上のため調査は困難を極めていた。 残骸があまり見つからなかった場合はテロやパイロットのミスという説も出ていた。 こちらの場合でもアロハ航空は事故後に消滅している。 イラン航空655便撃墜事件 [ ] 着陸できていたら• イラン当局が発行したこの事件を題材にした切手の図柄は着陸直後の傷ついた事故機になっていた。 機長は反米プロパガンダのためあちこちに引っ張り出された。 同様に外国人乗客の証言も集められこちらもアメリカ叩きの材料にされた。 犠牲者が出ていない場合はアメリカはイランに対しビタ一文たりとも補償していない。 当該機のEP-IBUは引退後もアメリカの蛮行の象徴としてテヘランかどこかで保存されている。 一部でこの事件をイラン側による自作自演ではないかとする説も出る。 パンナム103便爆破事件 [ ] 発生していなかったら• それでもカダフィは何らかの形でアメリカへの報復を実行に移していた。 そのためリビアへの経済制裁は史実通り。 パンナムのさらなる経営悪化はしばらく避けられていた。 ホノルル発での日本便の復活も実現していた。 だが高コスト体質を変えられなかったと思われるため最終的には同時多発テロ後辺りに吸収合併か倒産に追い込まれていた。 大西洋上で爆発していたら• 事故機が予定通りのスケジュールで飛行していたらこうなっていた。 もちろんロッカビーの人々は巻き込まれなくて済んでいた。 残骸のほとんどが大西洋に沈み調査に相当な悪影響が出ていた。 未だにパレスチナ系のテロリストが犯人ではないかと疑われている。 カダフィは最後まで関与を否定していた。 事故機は18年使われていた機体のため老朽化による空中分解も疑われていた。 ユナイテッド航空232便不時着事故 [ ] 空港にたどり着けなかったら• おそらくトウモロコシ畑の中に高速で突っ込んでいた。 生存者無しの大惨事になっていた公算が大きい。 第2エンジンの爆発時に第1or第3エンジンも止まっていたら確実にこうなっていた。 コックピットに非番のパイロットがいたことが判明するのは遅れていた。 03年にバグダッドでミサイルを撃ち込まれたDHL機も墜落していた可能性大。 着陸に成功していたら• それでも着地速度からして若干のオーバーランは避けられなかった。 ここで火が出なければ全員生還も十分考えられた。 パイロットのヘインズ、フィッチ両氏は連邦政府から勲章を贈られていた。 テレビドラマのみならず劇場映画の題材にもされていた。 事故機のN1819Uは老朽機のためそのまま登録抹消された。 事故原因となった第2エンジン周辺だけは資料として保存されている。 ガボン航空惨事 [ ] 起きていなかったら• サッカーザンビア代表は無事最終予選を突破し、アメリカW杯に出場できていた。 それでも本選で優秀な成績を残せていたかは微妙。 しかしその後もアフリカ勢を代表する強豪国であり続けていた。 2018年のロシア大会までに少なくとも一回はベスト8以上に進出していたかも。 事故後にザンビア代表のキャプテンを務めたブワルヤは史実ほど有名にならなかった。 今でもザンビアを代表するサッカー選手といえばムワンザ選手。 ザンビアとガボンの関係が悪化することはなかった。 アエロフロート593便墜落事故 [ ] 発生していなかったら• 「児童操縦」と揶揄されることはなかった。 東武鉄道で運転席に子供を入れた運転士の処分は史実より甘かった。 中華航空140便の墜落事故も起こっていない場合はエアバスの業績が一時低迷することはなかった。 回復体勢を取るようにする訓練は行われなかったかも。 エールフランス8969便ハイジャック事件 [ ] パリ市街地が攻撃されていたら 1994年12月24日午前、アルジェリアのウアリ・ブーメディアン空港からフランスのシャルル・ド・ゴール国際空港へ向かうエールフランス8969便は4人組のテロリストに乗っ取られるも3日後の27日にフランスの特殊部隊によって全員射殺されました。 その後の調査で4人のテロリストは当機のジェット燃料を火薬代わりにして市街地を攻撃する計画を立ててました。 もし、この計画が実際に実行されていたら? 事件後に空港警備が厳重になった為、実史の2001年「9・11 アメリカ同時多発テロ」は起きなかった。 よって、が現実化していた。 「9・11」後にアメリカのブッシュ大統領は「テロ掃討作戦」と称して戦争を起こし、この時フランスはが慎重姿勢を見せたが、パリが攻撃されていたら、フランス政府と大統領は、アメリカとの同調姿勢を採った。 事件発生がだった為、毎年の事件発生日には世界中のキリスト教会で追悼ミサが行われている。 長崎では8月9日みたいになっていた。 日本国内ではテレビ放送において年末の特別編成に入っていたが、それが吹っ飛んだか…。 又、正月休みが間近だった為、ヨーロッパ方面への旅行のキャンセルが続出。 開港直後のに打撃を与えていた。 2012年夏季五輪の会場は追悼の意味をこめてパリになっていた。 時間が経ちすぎている(開催地決定は2005年)のでそれはない。 実際、2012年の五輪開催候補地には同時多発テロで攻撃されたニューヨークもあったが落選している。 あるいは2004年大会 実史ではアテネで開催 あたりに立候補し当選していたかもしれない。 アフリカ諸国からの移民に対する感情が史実よりはるかに悪化していた。 突っ込んだ場所によってはパリのランドマークの内どれかが破壊されていたかもしれない。 なお史実ではエッフェル塔に突入する予定だったらしい。 バリュージェット航空592便火災事故 [ ] 着陸に成功していたら• 事故機の自動操縦装置や機内インターホンが壊れていなければ可能性は0ではなかったと思う。 73年のヴァリグ・ブラジル航空の火災事故(パリ)のような状況になっていた。 乗客の多くは着陸前に火災のため死亡していた。 ナショナルジオグラフィック「メーデー! :航空機事故の真実と真相」での本件の回の原題が「遅すぎた奇跡」といった感じになっていた。 どちらにしてもバリュージェットのずさんな安全管理は史実同様に問題視されていた。 トランスワールド航空800便墜落事故 [ ] 航空テロだったら• 事故当初はテロ説が有力視されていました。 トランスワールド航空は史実より早くアメリカン航空に吸収されていた。 パンナム103便の時と同様、反米の国家がいくつも疑われていた。 事故機はフランスを経由してイタリアへ向かう予定だったため、フランスやイタリアと仲が悪い国も同様に疑われていた。 アトランタオリンピック期間中、警備規模は史実の数倍にも及んでいた。 史実でもアトランタオリンピックに対する嫌がらせ目的が強く疑われていたため、テロだと判明した場合史実の数倍は警備に神経質になっていた。 空港などのセキュリティも強化され5年後の同時多発テロは防げていたかもしれない。 犯人が逮捕され、且つ犯人がアメリカ国籍を持たない場合、犯人の在住国の政府は自国民が230人を殺害した責任を取り、巨額の賠償金(おそらく1人当たりの金額がパンナム103便を上回るぐらい)を支払っていた。 該当国がイランやリビアあたりなら徹底的に関与を否定し支払いも拒否していたのでは。 その場合、アフガニスタン紛争やイラク戦争みたいに報復してた可能性がある。 スイス航空111便墜落事故 [ ] 発生していなかったら• それでもスイス航空が経営破綻しなかったか微妙。 ただ、仮に経営破綻しても日本航空みたいに元の会社名を名乗り続けていたかも。 継承会社はルフトハンザの子会社にならなかった。 経営危機から立ち直れていた場合、日本航空が経営立て直しの参考にしていた。 「ポリエチレンテレフタラートは燃えない」ということが信じ続けられてきた。 コンコルド墜落事故 [ ] 発生していなかったら• コンコルドが史実通りあまり普及していなくても、超音速旅客機の研究や作製が停滞することはなかった。 SSTの研究が進まない理由は燃費の悪さや環境問題なので史実とあまり変わらないと思う。 エアバスA380の大きさは史実ほどではなかったかも。 事故以前の94年時点で計画がかなり固まっていたのでそこは無関係。 場合によってはコンコルドそのものが21世紀になってから見直されていたかもしれない。 同時多発テロ後の航空不況の中であの空飛ぶ金食い虫同然の代物を商業ベースに乗せるなど想像すらできない。 その後も事故が発生しなければコンコルドは「歴史上最も安全な旅客機」の称号を手にして引退できていた。 史実で事故原因となったコンチネンタルのDC-10の整備不良はしばらく発覚しなかった。 最悪の場合そちらが事故を起こしていた危険すらある。 大韓航空85便ハイジャック誤報事件 [ ] 本当にハイジャックされていたら• アメリカ同時多発テロと同一犯の場合• 本機の経緯を考えれば韓国国内に共犯がいた事になる。 捜査初期の頃は北朝鮮の関与も疑われていた。 不幸にも犠牲者が出てしまった場合、アフガニスタン紛争やイラク戦争に韓国軍が参加していた可能性大。 アメリカ同時多発テロと同一犯でない場合• 犯人が誰であろうと、アルカイダと何等かの関与を疑われるのは確実。 そもそもこの場合、アメリカ同時多発テロが発生する前にハイジャックを行っていたかもしれない。 ユナイテッド航空93便はすんでのところで運航を取りやめ助かっていたと見られる。 アメリカン航空587便墜落事故 [ ] 発生していなかったら• 後方乱気流に対する過剰な対策が続いていた。 ノースウェスト航空85便はもしかすると助からなかったかも。 事故原因が〇〇だったら• 航空テロ 事故当初は同時多発テロから2か月しかたっていないこともあり、これが疑われていました。 ブッシュ大統領はイラクに対してもっと強硬的になっていた。 イラク戦争の規模も史実より大きくなっていた。 ヨーロッパなどでは「事故を戦争拡大のダシに使い犠牲者を冒涜した」とブッシュの評判がさらに悪化していた。 事故機の行き先(ドミニカ共和国)からしてひょっとするとキューバの関与が疑われていたかもしれない。 ユーバーリンゲン空中衝突事故 [ ] 発生していなかったら• 事故時の管制官は殺害されずに済んでいた。 「アフターマス」もなかった。 犯人がロシアで英雄扱いされることも、北オセチア共和国の建設副大臣になることもなかった。 別の惨事が起きない限りTCASと管制官の指示のどちらを優先するかの国際基準はできないまま。 それでもバシキール航空は史実通り倒産していたと思われる。 犠牲者の子供たちは様々な分野で優秀な子供たちだったみたいだから今頃その世界では有名になっていたかもしれない。 ノースウェスト航空85便緊急着陸事故 [ ] 墜落していたら• 「CRMの成功例」と言われることはなかった。 当初の目的地である成田空港で墜落していた場合、羽田空港の国際線ターミナルの必要性がさらに叫ばれていた。 そうなっていた場合、史実以上に羽田空港国際線ターミナル建設後の成田空港の存在感が少なくなっていた。 デトロイトのその後の衰退もあり、どこかでデトロイト-成田線を廃止していたかも。 そうなれば、デルタ航空エアバスA350が、275・276便以外の他の日本発着路線で運用されていた。 あの機体(デルタ航空N661US)は、747-400生産初号機という歴史的価値のある機材。 よってデルタ航空博物館で展示されるデルタ航空の747-400は、別の機材になっていたか、747-400自体、デルタ航空博物館での展示対象から外された。 ヘリオス航空522便減圧事故 [ ] 客室乗務員が機体のコントロールに成功していたら• 機内の状況が通信を介してもう少しはっきり地上に伝わっていた。 操縦室に入れるタイミングがもっと早ければ生還さえ考えられた。 それでも当人の技術からして安全に着陸できた可能性は低いと思われる。 たとえアテネに着陸出来ていても何人かは減圧の影響で命を落としていた。 アテネ市街地に墜落していたら• もう少し飛び続けていたらこうなる危険性も実際にあったという。 地上では火災や破片の直撃だけでなくパニックなどによる犠牲者も出ていた。 墜落位置によっては古代遺跡や遺物にも被害が出ていた。 撃墜が原因でこうなっていたら時のカラマンリス政権に対する支持は一気に消滅していた。 場合によっては政権交代を誘発しその後の経済危機にも影響があったかもしれない。 USエアウェイズ1549便不時着事故 [ ] 起きていなかったら• 「ハドソン川」という川が世界中に知られることはなかった。 アメリカニューヨークやニュージャージー周辺の人にしか知られてない。 日本人の多くが隅田川を知っているようにアメリカ人なら大抵知っていると思う。 「ハドソン川の奇跡」というテレビ番組や映画が製作されることももちろんなかった。 「バードストライク」が知られる事もなかったかもしれない。 「日本航空123便は海に着水させるべきだった」という意見が少なくなっていた。 死者が出ていたら• 乗員だけが死亡• 命がけで乗客全員の命を守ったとして、機長のチェズレイ・サレンバーガーはヒーローとして称賛されていた。 1桁台• それでも乗客の9割以上の命を守ったとして、機長のチェズレイ・サレンバーガーは称賛されていた。 だが「1人でも死なせてはいけなかった」などと謝罪会見をしていたかもしれない。 アメリカでそのような会見が行われたというニュースは寡聞にして聞いたことがないのでそれはなさそう。 乗員乗客の3分の1以下• それでもユナイテッド航空232便の事故のように過去の教訓を生かして乗客の3分の2は助かったとして、機長や副操縦士は称賛されていた。 だが危険な判断だったと批判もあっただろう。 乗員乗客の半分以上• 川への着水は危険な判断だったとして、機長は批判された。 だが一部の専門家は「全員死亡という最悪の事態は防げた」と弁解していた。 全員死亡• 機長は世界中で批判され、機長の遺族への風当たりも日本航空123便墜落事故以上のものになっていた。 引越しなどを余儀なくされたかもしれない。 USエアウェイズも世界的に批判された。 航空機を水面に着水させるのは禁止になっていた。 「日本航空123便は海に着水させるべきだった」という意見はもちろんなくなる。 パンナム006便事故などの成功例もあるのでそこまで極端な対応はできないはず。 そもそもそうなると洋上の事故での生還の手段が消滅してしまう。 圧力隔壁の破損 参考:• ユナイテッド航空232便と同様、日本航空123便墜落事故の教訓を生かして乗員乗客の半数以上は助かるが、さすがに死者ゼロにするのは無理だっただろう。 乗客の半数以上が助かれば機長は称賛されていただろうが、批判もあった。 操縦困難になった機体がニューヨークの市街地に突っ込むという最悪の結末も考えられた。 エールフランス447便墜落事故 [ ] 発生していなかったら• メーデー民で無能の象徴としてこの事故の副操縦士の名前があげられることはなかった。 「建物がしょぼいBEA」という言葉もなかったかも。 カンタス航空32便エンジン爆発事故 [ ] 墜落していたら• 原因は爆発したエンジンの破片貫通による翼の炎上か油圧の喪失。 エアバスA380初にしてカンタスのジェット機初の死亡事故にもなってしまった。 特にオーストラリア国内では「ダーウィン空襲を上回る建国以来最大の惨劇」として想像を絶する衝撃を与えていた。 下手をするとA380の製造が2010年代前半のうちに中止されていた恐れもある。 オーストラリア観光への大打撃も避けられなかった。 爆発が起きた現場直下のバタム島の住民に破片直撃などによる犠牲者が出ていた危険もある。 大韓航空ナッツリターン [ ] 厳密に言えば航空事故ではないのですが便宜上ここで考えます。 引き返しを命じた時に既に離陸していたら• おそらく飛行機が引き返すことはなく、そのまま航行を続けていた。 この場合チーフパーサーは到着先の仁川で降ろされ叱責を受けていた。 逆に飛行機が離陸後に再着陸を強行するように副社長が命じていたら、JFK空港は大パニックになっていた。 これが原因で大韓航空機のJFK発着が一時的に禁止されていたかもしれない。 管制官の命令を無視して強硬着陸した場合、場合によってはテネリフェの事故を超える犠牲者が出る可能性もありえる。 発生していなかったら• チョ・ヒョナはナッツ姫と呼ばれる事は無かった。 チョ・ヒョナの妹で水かけ姫ことヒョンミンが有名になることはなかったかなってもあまり注目されなかった.

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